Tears Macerate Reason
「…う」
窓の外の過ぎる寒さをほぼ完全に遮断した居間の中の,あまりにも居心地の良すぎる,大きめな揺り椅子の上。
「…くぁ」
寝起きの猫がするような伸びをして,寝ぼけ眼の相沢祐一は,北国特有の二重になった窓ガラスの外に目を凝らす。
バイトとか授業とかの学生故の忙しさからしばし解き放たれ,年末帰省と称してこの家に戻ってきたのが昨日の夕方。
「…」
シャツのポケットをまさぐって,お気に入りのジッポーライターを取り出し,銜えたタバコに火をつける。
「…」
遠くに響くのは,微かな電話のベルの音。
「…んー」
程なく始まる階下での電話での小さな話し声をBGMに,
「…そ,か。…ココ水瀬邸なんだな…」
未だにしゃっきりしない頭の上を,吐き出した煙が緩慢に拡散していくのを,祐一はぼんやりと眺めていた。
とん,とん,とん。
しばしの間をおいて,軽快な足音が階段を上ってくる。
「…」
ぱたぱた,と軽いスリッパの音が,居室の前で止まる。
開く扉から差し込む明かりと室内を窺う気配に,揺り椅子の上で器用に寝返りを打つ祐一。
「…あ,起きてたんだ」
影の主の穏やかな微笑みが,声のトーンで分かる。
ほわっと温かくのんびりとしたその口調は,この家の一人娘,水瀬名雪嬢であった。
「…いんや,半分寝てた」
だらしなく銜えタバコのまま,祐一がひらひらと手を振る。
「…タバコ,危ないよー?またいつかみたくボヤになっちゃうんだから」
かちゃん,と後ろ手にドアを閉めて入室の名雪嬢。
喫煙癖への苦情の引き合いに出されたのは,去年の春,引っ越し早々のアパートでの失敗談。
…タバコが好きではない彼女としては,実は結構おかんむりなのだが,どこか甘えっ子のような可愛らしいその口調は,微かに微笑ましささえ感じさせる。
「…あう,ごめん」
弱々しい灯がフィルターを焦がし出す前に,祐一は傍らの灰皿にタバコを押しつける。
「…」
再び揺り椅子に沈み込む後ろから,無造作に束ねた,伸ばし放題の髪の頭を抱きしめるように,祐一に頬擦りをしてくる名雪。
「…んー…」
「あ,くすぐったかった?」
「ちょっと,な」
目蓋を微かに撫でるその前髪は聊かこそばゆかった。
「…ちょっと,こうしてていい?」
「…どぞ」
背の低い揺り椅子越しのセーターの向こうの柔らかい,見た目より遙かにボリュームのある名雪の胸と優しげなシャンプーの香りに包まれる居心地は,それはそれは素晴らしいものだった。-ぬいぐるみかなんかの代わりかしら?と最初のうちはくすぐったくてしょうがなかったこの行為にも,気がついたら慣れてしまっている自分に,祐一はちょっと苦笑する。
「…ん,ありがとー…」
…思えば,こうしてゆっくりと二人で過ごすのは,数ヶ月ぶりのことである。
…いくつかの出会いと再会と,そして別れを経て,祐一がこの少女と思いを通じ合わせるようになって久しい。が,今は,自らの進路の希望と名雪のソレとの違いが電車で数時間の距離となり,主に経済的な理由で頻繁に会うことが出来ない身,である。
こういうときくらいは出来る限り名雪の望むままにさせてやりたいささやかな彼氏ゴコロ,であった。
「…うわ,もうこんな時間か」
心地良い,というには少々力が入りすぎてるような気もする(名雪にしては,であるが)抱擁に身を任せながら,頭越しに確認する時計の針は,部屋の暗さの由を示していた。
「うん,もうご飯だよ」
ぽやっとした,相変わらずな愛らしさのその声の,穏やかなトーン。
「…そーいや,さっき電話が」
鼓動まで祐一と合わせようとするかのように,ゆっくりと,ゆっくりとカラダを揺らしリズムを取る名雪に,少々照れくさくなって,先ほどのお電話のお相手のご確認。
「…うん。お母さんからだった」
「あ,そか。秋子さん,今日は泊まりがけで忘年会だったんだっけか。」
保護者の勤め先の企画が思いがけずプレゼントしてくれた「週末の夜の二人きり」に素直に喜んで,
「『戸締まりと火の始末に気をつけて,風邪引かないように暖かくして寝なさい』って」
秋子の口調をそっくりに真似て,ほんの少し,気恥ずかしそうに微笑む名雪。
「…はは」
朝方,駅へ送った車の窓越しの会釈の時に,軽くウインクして見せた叔母の瞳は,交際を報告した頃からのその優しさを変えてはいなかった。
若さ故の過ちその他が事後承認気味に黙認な分,最低限の節操は自ら約したところでもあったが,保護者たる秋子のさりげない気遣いには,こうして罰悪げに苦笑せざるを得ない祐一であった。
「んじゃ,もう少ししたら降りてきてね?」
ポトフに挑戦してる,という名雪が,名残惜しげに祐一の後ろを離れ,仕上げの準備のために立ち上がる。
「あっと,名雪?」
「なぁに?」
未だにスポーツ少女であるところの名雪が垣間見せる,流れるような一連の所作と,一段と女性らしさを感じさせるようになったその逆光のシルエットに,話しかけようとした言葉を止める祐一。
「…やっぱいいや,後でな」
そんな,普段あまり愛想が無い,祐一の見せる笑顔,
「…ヘンなの」
の眼の奥に悪戯っぽい光を認めた名雪は,くすっと笑うと,そのままぱたぱたと相変わらずなテンポの足取りで階下へと向かう。
「さて,と」
名雪を見送った祐一は,立ち上がって一つ大きな伸びをすると,部屋の隅に投げ出した,くたびれたデイバッグの奥をごそごそと探り出した。
「…美味い」
スプーンでひとすくいした蕪は,柔らかく煮付けられていて,それはそれは心地よい喉越しで食道を滑り降りていく。絶妙の塩加減と具材から煮出された滋味とブイヨンのハーモニーは,平常の一人暮らしで味にそれほど頓着することのない祐一には,過ぎたごちそうであった。
「…ほんとぉ?良かったぁ!」
座るポジションは,高校時代と変わらず,二人並んだおなじみの位置。正面の優しい秋子さんの笑顔と引き替えに,いつもより近くに椅子を寄せた名雪の嬉しそうな声がリビングに響く。
「…コレ,結構手間かかったんじゃないの?」
銀のスプーンで大きめの具材をかちかちと切り分け,口に運びつつ祐一が尋ねる。前に自分で作った同種の食物は,時間とガスを大量に消費した苦労に見合わない出来映えで,自らを大層落胆させたものであった。
「…ん,そーでもないよー?」
賛辞もさておき,スプーンの止まらない祐一の美味しそうな食べっぷりに,午後一からの準備も報われたような気がして満足げな名雪。
「…うん,良いわ,コレ」
じっくりと一通りの具材を味わった後は,空腹も手伝ってペースが上がる。
添えられたマスタードも,温かいバゲットも,名雪の笑顔の元で,祐一の食欲を加速する。
「イヤ,でもマジ美味いってコレ」
この街に来てから,秋子さんの手料理で好きになったラムを口に運びながら,賞賛の祐一。
食事の美味しさは口元も緩ませる。
「…わ,嬉しいよ祐一」
「…やっぱ塩加減とか,そういうのかね?」
素で作り方が気になるご様子の祐一に,
「…そーゆーのもあるけど」
ほんの少しだけ,考えたご様子の名雪さん。
「何か特殊な隠し味でも?」
「えーと」
「?」
しばしの沈黙の後,
「…愛情とか一杯込めて作りました」
顔を真っ赤にして俯きながら呟く名雪さん。
「…」
一瞬の間のあと,破顔する祐一。
「…もう,そこ笑うとこじゃないよー?」
ますます頬の赤さを増しつつ傍らの祐一をぽかぽか殴打。
「おー,嬉しいねえ,コイツぁ♪名雪の愛情たっぷりの手料理と来ちゃあ,味わって喰わねいとなあ!」
「…何でニセ江戸っ子口調なのー?」
「わはは♪」
楽しい名雪と,楽しい食卓,である。
「…もー」
「…♪」
「…ね,祐一,ちゃんと普段,ご飯とか食べてる?」
そんな祐一の横顔に,ふと何か気づいた様子の名雪嬢。
「ん」
「でも,痩せちゃったよ祐一」
「…栄養のバランスとか大事だよー?」
美味しい食事と名雪の笑顔の前にうっかり渡した主導権のおかげで,優しい声で咎められる不摂生に少々耳が痛い。
「…ふゃい」
多食なほうでは無い上に,食事の優先順位もバイトやアルコール,及びタバコに比べると低い日常が手に取るように分かるだけに心配な名雪。
「…もーちょっと,ある?」
「うん!」
でも,がんばって自分で作ったお食事で見せる,そんな祐一の望外な健啖ぶりと,久々な楽しい二人きりの会話に,つい頬も緩んでしまう名雪なのであった。
「あ,そだ」
素朴だが温かい食事も終わり,コーヒータイムにさしかかった頃,祐一が思いだしたように口を開く。
「?」
「はいコレ」
不思議そうな名雪に,デイバッグの中から小さな包みを取り出して,ご進呈。
「わ♪何?」
目を輝かせて,嬉しそうに手に取る名雪。
「何って,おまえ今日,誕生日でしょが」
12月も23日。今年ももう少しで暮れそうな,そんな頃合い。
「わー,覚えててくれたんだー♪」
心底嬉しそうに大事そうにそのプレゼントを両手で包むと,可愛く頬擦りして喜ぶ名雪。
「なんだよそりゃ」
名雪のただでさえ幼さの残る容貌が,こういうとき一気に子供っぽさを増して大変に愛らしく思う祐一ではあるのだが,
「祐一のことだから,素で忘れてたりしないかなー?なんてちょっと思ってたんだー」
微かに不安を覚えていた名雪の正直な告白に,
「何者だオレは」
思わず自業自得な信用の無さを抗議してみたりする。
「だって,昨日だって帰ってくるなりすぐ眠っちゃったりしてさー」
そんな軽い逆切れ気味の祐一に,名雪はちょっと視線をそらせつつ,恨みがましげに呟く。
夜には相変わらずめっぽう弱い名雪が,最終に近い電車での祐一の帰還を珍しくがんばって起きて待ってたというのに,
「…ぐぁ」
「今日だってさ,こないだの電話じゃ一緒にお出かけすることになってたのに,祐一結局ずっと寝ちゃってたし」
「…う」
ギリギリまでバイトだった故の疲労があるとはいえ,睡眠で華麗にスルーされると言うこの仕打ち。
「だからすごく嬉しいよ,祐一♪」
しかしながら,作った不機嫌というのがもともととてもヘタクソな名雪。ましてや『祐一からの誕生日のプレゼント』という彼女にとっての最大の誕生日の楽しみが目の前にあるのである。隠しきれない嬉しさは,弾けるような笑顔と共にそんな恨み言をあっさりと消し飛ばしてしまったのであった。
「…ね,開けていい?」
返事で了承する祐一を待たず,可愛らしいリボンをほどいて,包みをがさごそと開けていく名雪。
「わ,綺麗ー…」
ジュエルショップの,名前の書かれていない包装紙の中から出てきたパッケージの中には,名雪好みのデザインのトリロジーのネックレスが光っていた。
「付けてみていいかな?」
うっとりとした視線で,ネックレスを手にとって眺めた名雪が,嬉しそうに訊いてくる。
当然,拒む由は祐一に無い。
ストッパーを胸前で止めて,トリロジーをくる,っと胸前に回そうとする彼女の長い髪を,掻き上げて手伝ってやる。
「わ,ね,…どう,かな?」
立ち上がって,くるっといろいろ角度を変えて祐一にその姿を見せてくる名雪。
クリーム色のセーターと同色の膝上のスカート,白いストッキングといった出で立ちの名雪の胸元に,きらりと光るトリロジー。
それは,彼女の素のかわいらしさを引き立てるアクセサリーとして,十二分に機能していた。
「…お,いーね♪」
一段と女性らしさを増したラインの名雪の可愛らしいポーズに,素直に賞賛の口笛を吹いてみせる祐一。
「うふ♪嬉しい」
ばふ,と,そのままの勢いで祐一に抱きついてくる名雪。
「あは」
頬にキスの雨を降らせてくる名雪。やわらかい体の重みが,祐一に嬉しい。
「あ,そーだ,バイト先から」
盛り上がりをこのままマキシマムに持っていくのは,まだ早い。
「コレ,もらってきた」
「わ,バウンドケーキ?」
ソレは,ドライフルーツをふんだんに利用した,祐一のバイト先で一番人気のバウンドケーキ。
しかも元々はミックスベリーのレシピながら,イチゴをかなり多めにしてもらった,いわば名雪仕様とでも言うべきスペシャルバージョンなのである。
スウィーツに弱い,しかもイチゴ好きな名雪に,本日手渡す,もう一つのおみやげである。
「うっわー,いちごー♪」
カッティングしていくごとに名雪の表情がみるみるゆるんでいくのが見て取れる,してやったりな祐一である。
「いっぱいはいってるー♪♪♪」
幸せ満面な名雪。うっかりそのまんま昇天とかしてしまそうな恍惚ぶりは,何か見てはいけないモノを見ているかのよう,である。
「ちょい待ち,大きめの皿無いか?」
そう,このままぱくつくのはまだ早い。
「…うん,あったと思う。ちょっと待ってね?」
台所から,白い,大きなお皿を取りだしてくる名雪。イチゴのケーキとあって普段よか3割増なてきぱき速度である。
「ふっふーん,こーして仕上げるんだわ」
得意げな祐一の右手には,ボトルに入った生クリームとハンドシューター。
「わ♪」
そう,これから仕上げるのはミックスベリー・バウンドwith生クリーム名雪スペシャルなのだ。
「わあー♪♪♪」
絞り口から打ち出されていく生クリームが,芸術的な弧を描いて,みるみるうちに皿の上に美しい模様をカタチ作っていく。
「んで,コレだ」
ココで取り出しましたる茶色の小瓶は,封を切ると豊かな洋酒の風味。
「わ,お酒?」
「うん,ダークラム。結構イケるぜ?」
実のところ,祐一が名雪に向けて贈るメインのバースデープレゼントが,コレだったりするのだった。
このためだけにバイト先でバイト終了後に先輩とかから飾り付けを教えてもらったりしてきたのである。
…このクリスマス前のかきいれ時に抜ける分,前倒し3徹とかの(主に体力的に)高い代償を支払ったりしたものであるが。
「か・ん・せ・い♪」
「よ!パティシエの卵!」
「おー,本職が聞いたらキレるよそんなん」
目を輝かせて,わくわくしながらこれ以上無いレベルの上機嫌な名雪。
にこやかに笑いながら,生クリームたっぷり・イチゴ超増量でケーキを小皿に取り分けてサービスな祐一。
「…どだ?」
今回はベースも自分で作ってみたのである。
…レシピ替えによる分量補正とかもちゃんと先輩にアドバイスを請いながらな,密かな自信作。
「…おいしいいいいいいいいいいいいいい♪」
くぅー♪と喉を鳴らしながら,一口目を口にした名雪が満面の笑みで応える。
「ぃよし!」
後ろ手で小さくガッツポーズな祐一。
「すっごーい,おいしーいいいいいいいい♪」
口の中に広がるバターと洋酒の風味,生クリームの豊かさとイチゴの甘酸っぱさが奏でる,幸せな甘さ。
「んふー♪」
傍らでコーヒーをすする祐一に,幸せそうに体をすり寄せる名雪。
「…名雪殺すにゃ刃物は要らん,ってのは相変わらずだなこりゃ」
あまりにも幸せそうな表情でケーキ(主にイチゴの部分)をほおばる名雪に,苦笑しつつ祐一。
でも,『名雪を喜ばしてやろう作戦』が割と大成功風味なので口元がにやけ気味,の妙な表情になってしまう。
「だってえー♪」
きゃっきゃと嬉しそうに,ぱくぱくケーキを食べ進めていく名雪。
「ね,コレ,全部祐一が?」
はしたなくも口元にクリームをぺっとり付けた名雪が,祐一を肩越しに見上げる。
「おうよ,バイト三ヶ月の成果,ってやつだ」
にか,っと笑いながら得意げに応える。
フツーの料理の方はともかく,こっちの方はさんざん日々練習してるのである。
「…あと,愛情とな」
さら,っと続ける祐一に
「…」
ぴくん,とスプーンを止めて祐一をきょとん,と見つめる。
「…なんだよ」
しまった,などというコトは口が裂けても言えない。ただ視線を逸らしてすっとぼける祐一。
「…こほん」
目を閉じて膝を揃え,居住まいを正す名雪嬢。
「…」
それから,おもむろに,ぽむ,とジーンズ越しに,祐一の膝を一叩き。
「…」
ぽむ!ぽむぽむぽむぽむ!
ソレはつまり,『行っちゃうよ?』の合図。
「わ!」
そのまんま祐一の膝の上に,ちょこん,とお尻をスライドさせるように飛び乗ってくる名雪嬢。
「…んー♪」
見上げる肩越しにしなだれかかり,
「…ゆういちー」
おもむろに,くる,と体の向きを変えて,甘えっ子のように抱きついてくる。
「…ちょ!」
その瞬間。
「祐一ぃ…」
吸い付くような柔らかい唇の感触と,カラダの重さとその感触,甘い香り。
「わぷ!」
視界も感覚も,その全てを名雪に奪われる祐一。
「…」
「…」
うーん,段取り失敗。
このコは,自分みたく愛情表現のときに,ことさらに照れてごまかして見せたりしないのだった。
「…祐」
小さな子をあやすように,名雪のアタマを撫でくり回す祐一。
「わはは,クリームだらけだな」
ちょこっと離したお互いの唇の回りに薄く付いたのは,ケーキ由来の生クリーム。
「…祐一も」
「おまえのせいでしょ」
そうやって,笑いあった直後の一瞬の隙に。
れろ。
「お」
「…んふ♪」
祐一の唇の回りに付いたクリームを,自らの舌と唇で拭い去り,にこ,っと微笑む名雪。
羞恥とダークラムのアルコール分が彼女の頬を赤らめているが,じっと見つめる視線は彼女のホンキ度を感じて些かこそばゆい。
「…あ…」
今度は,祐一の方から,名雪を抱きしめて,ゆっくりと唇を重ねていく。
セーター越しの名雪のカラダの中の,心臓の鼓動を感じる。
「…ダメぇ…」
長く,貪るようなキスの後,祐一がその両腕を,手慣れた手つきでその腰に滑らせると,名雪は,離れる素振りを見せる。
「…後かたづけ,しないと…」
理性がまだ,勝ったご様子の名雪嬢。
明日戻る予定の母に綺麗な台所を引き渡さないといけない身としては,お片づけをしないままのらぶあふぇあ没入は避けたいところなのである。
「ちぇ」
「ふふ…」
軽く頬にキスをすると,祐一の膝の上から下り,乱れた衣服を直して台所へ向かう名雪。
無邪気で無自覚な挑発の後,お預けを食わされた格好の祐一は,ちょこっと残念な気分。
が,他に気がかりなことがあるときには,今ひとつこういうコトにのめり込んでくれない恋人の性癖も熟知してるが故に苦笑して見送るしかないのであった。
「…んんー♪」
10分ほど経っただろうか。
「んんんー♪」
鼻歌を歌いながら,台所で洗い物をしている名雪をリビングでコーヒーを飲みながら待っている祐一。
『なあ,一応風呂の準備はもうすぐ出来るけど,他に手伝っとくコト無い?』
祐一も元同居人であるが故に何かしてないと落ち着かない。
『あん,いーよぉ。お風呂まで座って待ってて?』
が,水瀬家留守預かりを自認する名雪嬢にお伺いを立てないと,こと家事のコトで余計はできず。
「んうー♪」
ご機嫌上々,軽快に洗い物や台所の掃除をこなしていく名雪。
(…)
手持ちぶさたな祐一は,何をするともなく家事を進める名雪を眺める。
「んー♪」
髪をアップにし,エプロンドレス着用の名雪がてきぱきと水仕事を片づけていくその姿,
「…んー?」
首筋の後れ毛に感じる微かな色気と,手際を考えたりするときに首を捻って手を止めるその仕草,ほんわかデザインのエプロンドレスの横から覗く,セーター越しの豊かな胸と細いウエスト。
(…あーやって,計算してないところで妙にエロいのが名雪なんだよなあ)
「♪」
所作に会わせて揺れる,スポーツウーマンらしい引き締まった,それでいて可愛らしいお尻,スカートから覗くストッキングで包まれた健康的な色気の,カタチの良いおみ足。
(腰も細っこいし,脚も綺麗だし)
「…あん!」
ドジった時の可愛らしい仕草と,取り落としたふきんを拾うときに,ダイレクトにトレーナーの隙間から覗く,立派に育ったのーぶらな胸の谷間。
(またちょっと,大きくなってるよな)
「…♪」
(…うー…)
…考えてみれば,愛と欲望と情熱の恋人同士なすきんしっぷも,数ヶ月のご無沙汰なのである。
「♪」
(…あうー)
…い,いかん。もう,限界かな?
「…さ♪おっしまい!」
…そして。
ソレは,おおよそ後かたづけを終えて,台所を水拭きした名雪が,ふきんを固く絞ってぱたぱたと広げ,流しに掛けたそんなタイミング。
「きゃ…」
祐一は名雪を後ろから抱きしめる。
「…あん,どうしたの?」
くすぐったそうに身をよじる名雪。肩越しに見上げる,ちょっと不安そうな表情が,祐一の悪戯心を悪い方へと刺激する。
「…名雪…」
優しく抱きしめた耳元から,そう名前を囁くと,そのまま名雪の肩越しに唇を重ねていく。
「…あ,や…!ちょ…!」
抵抗の意志を見せる名雪であったが,その気な祐一の,力を込めた抱擁の前には単なる徒労に過ぎない。
「…ん…」
「ダメよ,まだ終わってな…あん!」
せめてコトバで抵抗を,と試みる。
「…んぅ…」
しかし,祐一の唇は,名雪の唇を執拗に攻め続ける。
密着したカラダと,部屋の中の暖房と,カラダの中を巡るダークラムが二人の間の熱を加速度的に高めていく。
「…やぁ…」
その唇がわずかにひらいた隙を逃さない。祐一は,名雪の口腔に舌を忍び込ませて執拗に名雪のソレと絡み合わせる。
「…うぅ…んっ…んむぅ…っ」
祐一の攻勢は名雪の全身に及んでいた。
「…あ…ん!」
祐一の指は,それ自体が独立した生き物であるかのように,名雪のガードを徐々に優しく溶かしていく。
その右手の指は,セーターの内側の大きく育った果実を,衣服越しにソフトに刺激している。
「…ん…」
左手の指は,同時進行で名雪のスカートのジッパーから内股に滑り込み,太股の内側を微妙なタッチで刺激する。
「…くぅ…ん」
抵抗の声を上げようにも,激しく絡み合う舌のおかげで甘い吐息しか漏らすことのできない,名雪の唇。
「…ん…ふ…ぅ」
自力で体重を支えるのが難しくなるほど力が抜けた名雪の下肢は,やがて後背の祐一にもたれかかるように崩れる。
「…名雪ー…」
縺れさせた舌を強引に引き抜き,軽く唇を合わせるだけのキスをする。
「…ふぅ…ん…」
名雪の口から大きな,甘いため息が漏れた。
腕の中の愛しい少女,恋人よ。…ごめんな。オレ,もう限界だ。
「…祐…一…」
はじめの強引さから,優しく,ソレでいて激しくなった祐一の愛撫。
名雪はもう,拒みきれない。
「…祐一…」
二人の息の荒さが,徐々に落ち着いてきた頃。
もと祐一の部屋のベッドの上で,祐一の胸を枕代わりに微睡みかけた名雪が,小さく祐一の名前を呼んだ。
「…」
声を出さずに,名雪の頭を優しく一撫でして返事代わりにする。
「…今,何時?」
夜の帳がおりて大分経とうかという時間帯のはずなのに,なかなかに眠くならない眠り姫からのおたずね。
「…」
名雪の頭をこてん,と時計のある方向に向けてやる。
「…あ」
そこにぼんやりと浮いた蛍光色の時計のデジタルは,
「…やだ,日付,変わっちゃった…」
夜半を少々回った時刻を示していた。
「…そんなに!いやん,ケダモノ…」
突然,シーツで顔を覆うと大げさに恥じらってみせる祐一。
「…えー,ちょ!祐一ぃ?!」
そんなの無いよー?!な名雪嬢。
(−好き放題したりさせたりは)
「…名雪のえっちー!」
「…もう,祐一,キライ!」
(…祐一の方だったじゃないの!)
…台所での強引なオープニングに,お風呂の中でのうれしはずかし各種プレイ,最後は部屋に戻って名雪に主導権を預け,彼女の欲しいままにさせての今のこのリラックスタイム。
そんなヤらしい祐一を,恨みがましく,じとーっとした表情で睨み付けたあと,コチラはホントの恥ずかしさで,シーツで顔を覆う名雪嬢。
可憐な,愛らしい彼女が,こういうときだけに見せる媚態はそれはそれは甘美なモノであった。
しかし,今の祐一にとって最高のご褒美は,行為が激しければ激しいほど,事後に見せる彼女の,この恥じらいの深さである。
…こーいう仲になってしばらく経つが,この初々しさが失われていないことを,実のところ大いに喜んで祐一なのであった。
「…わは…」
フォローはすかさず入れるもの。
そんな名雪を抱きよせて,軽くほっぺにキスをする。
−『可愛かった』の賛辞と共に。
「…ん」
多分顔は真っ赤なんだろうけども,息づかいや仕草からはおへその曲がっちゃったよなオーラは感じない。−よっしゃ,成功♪
「こーゆーのも,たまにはいいべ,な?」
「…」
こっちの方は容易に首肯しかねる名雪さん。
結果的にほぼ同じコトになるとはいえ,始まりはもっとロマンティックにキメて欲しい,というのはやはり乙女心なのであろう。
「あ,そだ。ちょっと,オレのバッグ貸して?」
祐一が,ベッドサイドのデイバッグを示す。
それは,胸抱きにした名雪と,指を絡ませつつな近況報告とかのとーくの途中,名雪が眠さを訴える直前のタイミング,でのコトであった。
「…はーい」
大分おねむ入った名雪が,緩慢さが増した所作で祐一の求めに応じる。
「…おう,さんきゅ」
祐一は,上体を起こして,なにやらデイバッグの中をまさぐり出す。
「?」
窓の外からのぼんやりとした明かりに映える,祐一の横顔に宿る悪戯っぽい瞳に,名雪が上体を起こす。
「もう24日だったよな」
「…うん?」
そう,一日あけるとソレはクリスマスの前の日,12月の24日,である。
「…あんま,高くないけどさ」
そういいながら,祐一は小さな包みを取り出すと,名雪へと差し出す。
「…」
「これ」
差し出される包みに,まん丸お目目な名雪。
イマイチ,状況が掴めなさそ−な,その不思議な表情。
「…え…」
「…って,きょうイブだろ?」
「…」
そんな名雪が包みを解いて,ぱかん,とパッケージを開けてみると,
「…わ…」
ソコには,小さなターコイズの石が埋め込まれたデザインリングが慎ましげに光っていた。
「ホラ,手,出して」
おずおずと差し出す名雪の左手の中指に,すっとリングを滑らせる。
ほんの少しだけサイズ違いなのを除けば,なかなかに良く似合う,と思う。
「ほら,おまえよく『クリスマスと誕生日が一緒くたで損した気分』とか言ってたじゃん」
「…」
こくん,と息をのんでソレを凝視する名雪の横で,照れくさげにコトバを続ける祐一。
「…だから,たまには,な?」
「…」
名雪の肩が,微かに震える。
「…」
−長い髪が,隠す表情が気になって,
「…?」
気になって抱き寄せる名雪の目には,うっすらと涙が光っていた。
「…嬉しい…」
ぎゅ,っとパッケージを握りしめる手のひらに,涙の粒がこぼれ落ちる。
「…ぐす…嬉しい…」
胸の中に,顔を埋めるその声も,いつしか涙声だ。
「…おいおい,どした?…ってコレ,そんなご大層なもんじゃ」
「…じゃ,ないの…」
「そんなんじゃなくて,こんなに…」
祐一のからだをぎゅ,と抱きしめる名雪。
「…こんなに,祐一がわたしのこと…」
こぼれ落ちる涙が,カラダを伝う。
「…名雪…」
「…」
名雪が祐一の胸の中に顔を埋めていく。
すすり泣く名雪の髪を,祐一は優しく撫でつづける。
ふと目をやる窓の外には,いつしか雪がちらついていた。
「…ずっと…」
名雪の穏やかな呼吸音が寝息のソレに近づいて『もう寝ちゃったかな?』と祐一が思った頃,ぽつん,と名雪が口を開く。
「…ずっとどこかで,夢なんじゃないかって思ってたもの…」
こてん,と頭の向きを変えて,そう呟く。
「…こんなに,幸せなの…」
リングの光る,二人絡めた指先に,ほんの少しだけ力を込めて。
「…」
「…あのときから,ずっと…」
頬を,祐一の胸にすりつける。
「…あー…」
そう,それはあの雪の日,あの夜のベンチ。
「…いや…」
お互い,不器用に思いを確認しあった日から。
「…オレもさ,嬉しい」
今でこそ,こうやって離れてはいるけれど。
「そーやって喜んでくれるってのは,なんか,こう,彼氏冥利に尽きるってか,さ」
心の距離は離れてない,と実感できるこの少女と。
「ちゃんと卒業とかして,就職とかしたら」
いつかは,そう,いつかは。
「もーちょっとマシなのを持ってくるから,それまでコレでどーか一つ」
−迎えに,行くから。
「…祐一…」
抱きしめる腕は,温かい強さでお互いを包む。
何でもない,でもたまらなく愛しいこのひととき。
…早く一緒にいられるそのときが来ればいい。
…どーすればいまこのときが止められる?
まあ,どっちでもいいか。
ふたりでいられるなら。
そんないつかの冬の夜を,強さを増した雪が,それでも優しく降り包んでいく。
「ソレまで愛想尽かされないよに努力は致しますので」
「…ソコはもーちょっと努力しようよー…」
「もっとかよ!」
「…『末永く』ってのがいいなぁ…」
「…考えとく」
「…即答してよー」
[END]
[BACK]