LIAR'S SMILE





「…ふぅ」

入室するなりオンにした暖房の空気が漸く行き渡り,やや乾燥した温かい部屋の中。
のそりと身を起こし,大きく一つ深呼吸をして,息を整える。

「んしょ,っと」

うっすらと浮いた汗で,少々伸びすぎた前髪を額に貼り付けた青年が,とすん,とベッドの壁際に転がった。
先ほどまでの荒い息づかいがようやく落ち着く。

「…うわ,寒!」

気化によって熱を奪う汗に肌寒さを覚え,しばらく前に足元に蹴りつけた毛布をもそもそとたぐり寄せる。

「…んもー…」

その傍らでは,漸く整った呼吸の後で,少々不満げに口をとがらせる女のコ。
渡された使用済みの避妊具の口を縛り,丸めたティッシュのくずと共に片づける。

「…シャワーしてから,って言ったのに」

真っ白い肌の上に,ほんのりとした赤みとともにうっすらと汗を浮かべながら,女のコは,乱暴に脱ぎ散らかされた衣類をベッドの傍らの椅子に掛け直す。
早い落日故の部屋の薄暗さの中で,全裸の彼女の緩いウエーブの髪と豊かな胸が,所作に合わせて優美に揺れる。

「ぶわ!」

彼女-美坂香里は,ベッドの傍らの相沢祐一を睨み付ける。
おもむろにベッドに上がり,毛布を強引にひったくり,祐一の顔にばふ,と押しつけると『べー』とちっちゃく舌を突き出す。
−この部屋に入るなり,いきなり唇を奪われる。
そんな強引な始まりの情事に,多少なりとも抗議の意志は見せておきたい香里であった。

「…ごめーん」

もぞもぞ,と毛布を被り直し,素直に謝る祐一。
−だって,しょーが無いじゃないか。
一緒にこの部屋に上がった後,コートの下から現れた,香里の扇情的なデニムボトムの後ろ姿は,ご無沙汰の恋人には刺激が強すぎたのだから。

「…ん。よろしい」

ホントに反省しているかどうか分からないけど,とりあえず謝らせて満足げな香里。
…本気で怒ろうはずもない。段取りに少々狂いはあれど,香里にとっても,本日のメインイベントの一つであることに変わりはなかったのだから。
ただ,カタチばかりの抵抗の後,この方面において無自覚的に才能溢れる祐一に,好き放題翻弄された気恥ずかしさのオトシマエが欲しかった香里はそう,やはりまだまだ乙女なのであった。

「…ね,今日,ホントに良かったの?」

再びベッドの祐一の傍らに滑り込んで,右頬に軽くキスをする。
そのまま,仰向けな祐一の右腕を枕代わりに,抱きつくように身を預けながら香里が訊いてくる。
ぴっちりと吸い付くような香里の肌と香り-シャンプーにボディーソープに汗に後なんだっけ-が,引き寄せた毛布の中から今一度祐一を刺激する。

「それはもう!」

「違うわよバカ」

「あだ!」

その美貌,その愛らしさ,そのカラダ,その腰使い,その仕草,その反応,すべてにおいてストライク。
サムアップしそうなイキオイで,そんな先ほどの恋人との情事の感想を正直に述べる祐一のあごに,こつん,と軽く右拳を当てる香里。

「ソッチじゃないわよ!」

主語を省いた迂闊さに,赤面しつつ訂正を。…嬉しいと言えば嬉しいのだけど。

「えーと,…何?」

じゃあなんなんだ,と口をとがらせ気味に祐一。…なんだよ,賛辞のつもりだったのにー。

「秋子さんや名雪のトコ。…ほら,お正月早々だし」

「ああ,どーせ明日にゃまた帰るし」

自宅から大学に通う香里に対して,祐一はこの下宿先のアパートから大学に通っている。
盆暮れ正月の水瀬家への帰省は,学部の違いによるカリキュラムの差とか,自立の準備とか,もっともらしい理由を主張して始まった祐一のわがままたる一人暮らしとの対価の一つである。水瀬家での生活が決してイヤなわけではなかったのであるが,もともと気楽さを愛する祐一としては,美しい叔母や可愛い従妹に引け目を感じつつも,これだけは譲れないところであった。

…交際開始な高校当時からすでに逢瀬の場所に窮していた,香里との究極のデートスポットだけは。

「とりあえず,オレは今北川や斉藤とかと卓を囲んでることになってる」

「…うわー,ウソツキー」

「…お前がいきなり電話してくるからでしょーが」

「…そーなんだけどね」

本日は他ならぬ恋人からの『逢いたいの』コール。普段,何かと人付き合い−学部の友人ゼミの友達バイト仲間−が多く(その分あたしが割食ってるじゃないの,との香里の主張は当然である),また経済自立を旨とする祐一のバイトの多さ故に,なかなか一緒にいることの出来ない香里からのお誘いである。
実際に北川とかから電話があったとしたら,フツーに音速で断るところである。酒の入らないうちに,クルマをすっ飛ばして香里を連れ出すための口実ぐらいには許してもらいたい祐一であった。

「そーゆーお前は良いの?」

自宅在住な普段の香里は,当然のように家族と一緒に暮らしている。正月とあっては,本来ならなおさら一緒にいることを強要されそうな本日ではある。
そんな彼女との『最長明後日朝までだいじょぶ』とのクルマの中での会話によれば,そー言った家庭行事−例えば親戚回りとか−をバックレてきてるっぽいことは明白なのである。

「あたしはこっちのお友達のところでお泊まりの新年会」

「…お互い様じゃん!」

うそつき呼ばわりの後にコレである。ツッコミの一つも入れたくなるのは人情か。

「ふふ♪」

悪戯っぽく笑って,その唇を祐一の胸元に押しつけてくる香里。

「…この不良」

軽い憎まれ口を叩きながらも,覆い被さってくる香里を優しく抱きしめ,つむじにキスをする。
己がための,しかも一緒にいるための方便,と言われてしまえば,そんな彼女を愛しく思うのをどーやって止められようか。

「親はともかく,栞が,ね?…それに,別に嘘はついてないわよ?」

胸の上で,むく,と顔を祐一の上に向け,にっこりと微笑む香里。ゆっくりと祐一の頭を抱きしめると,祐一の顔中にキスの雨を降らせる。
閨中事後の戯れではあるが,意外にストレートな彼女の愛情表現は聊かこそばゆかったりもする祐一であった。

「…まあ,新年会っつーか姫始めだけどあた!」

「バカ」

照れ隠しの時に多い,そこはかとない下品発言の祐一を窘めるのもじゃれ合いのうち。

「…はは」

「…ん♪」

バカをやった後な祐一に対する,軽いパンチの後の甘ったるいキスの,絶妙のコンビネーション。
他人に見せることのない対祐一限定の香里の必殺技だったりもする。





「…ね,こっちには,いつ戻るの?」

しばしの優しい沈黙のあと,枕を祐一の胸に移した香里が,祐一の指に,自分の指を弄ぶように絡ませながら口を開く。

「4日にはバイト入ってるから,ソレまでには」

優しくソレを握り返しながら,答える祐一。右手の指は香里の長く,美しい髪を梳くように指を通している。
帰省からのアパートへの帰宅,の意である。二人の間でしか成立し得ない会話をするようになって,随分経つ。

「…ちゃんと卒論の方は,進んでるの?」

大学生活ももう4年が過ぎようとしていた。今年の4月には,長かった学生生活とも別れを告げて,自分で食い扶持を稼ぐコトになる予定,である。

「うーん,骨子は出来てるので,何とかなるんじゃないかと」

「ホントにもう,バイトもそろそろ切り上げて集中してくんないと」

いつ卒論の準備をしてるんだかわかんないほど,4年目もいつもと変わらない生活を続けている祐一に,ちょっとお小言。

「あー,うん。今度の一週でバイトおしまいだから,さ」

「…就職決まってるのに卒業できなかったら,洒落になんないわよ?」

頬を祐一の胸にすりつけつつ,呟く香里。
既に自らの卒論も完成し,教員免許も取得して,母校の高校への数学教師としての採用も決まっている。
祐一はといえば,卒論を残して単位は取得済み,地区内に本社のあるソフトウェア会社に内定も出てとりあえずは就職の目処も立った。
-そう,あとは,自分とこのオトコとの行く末だけ。
まだまだ懸念材料は大量にあるのだけれど,喫緊の課題はまず祐一が卒業できるかどうか,なのである。

「大丈夫大丈夫ー」

「もー。相変わらずルーズなんだから…計画性ってのをちょっとは」

-心配の種は尽きない祐一の,頭の痛くなるほどのお気楽さに,お説教モードに入りかけたところで

「…んっ!」

「…」

祐一の唇に突然塞がれる自らの唇。

「…冬休み終わったらきっちりカタつけるから,さ」

ゆるゆると唇を離してみると,ソコには『そんな心配すんなよー』と目で苦笑しつつ,優しげな表情の祐一。

「…いいわ,今日はごまかされてあげる」

『そんなに信用できないかなー?』といった困り顔になりかけな祐一に,ほんの少しだけ苦笑してみせる香里さん。
そう,なんだかんだいってホントにやらないといけないコトはしっかりとやる。祐一のそんな部分については,彼女バカ気味ながら評価してるトコロであった。

「…お正月だし?」

「…」

なにがお正月だからなのかは分からない。ただ,祝日が許してくれる,こうやって二人きり,ゆっくりと過ごせる時間に,

「…おひさしぶりだし?」

「…」

祐一はバイトと水瀬家の往復,香里は翌日の卒論の口頭試問。クリスマスイブは慌ただしくて,食事だけで精一杯だった。

「…さっきの,良すぎた?」

「バカ」

祐一の誕生日以来の,本気のらぶあふぇあに,正直に反応しすぎた迂闊さをちょこっと呪う。

「…はは」

「…ふふ」

磨りガラスの向こうの,ぼやけた街灯の明かりだけが包む,もうすっかり暗くなってしまった部屋の中で抱き合いながら笑いあう。
二人で居られるからこそ得ることのできる,この安らげる時間を,とても愛しく思う祐一と香里であった。

「…♪」

「…」

祐一は,自ら口づけを求めてくる香里に長い長いソレで応じ,

「…あ」

今一度のキモチヨサを求めるべく,体を入れ替えて香里を組み敷いていく。
流れるような祐一の動作に身を任せる香里の豊かな胸が,その美しさを飾るように妖しく揺れる。

「…」

白いシーツの上に広がる,長く美しい髪に,恥ずかしさと期待感で見上げる腕の中の香里のその表情に覚えた愛しさに,ほんの一瞬,息が詰まりそうになる。

「…忘れてた」

間を取ろうとするかのように,落ちた前髪の奥で優しく微笑む祐一。

「…な,なあに?」

…その穏やかな笑顔の奥の,ちょっと真剣みを帯びた澄んだ瞳。
−照れ屋の彼の滅多に聞けない愛の言葉か,はたまたこんなタイミングでまさかまさかの求婚か。
ちょこっとどきどきしながら,精一杯の作り笑顔な香里さん。

「…あのさ」

「…う,うん」

こくん,と喉の奥底で飲み込む唾が微かな音を立てる。心臓の鼓動が,早くなる。





「…今年も,よろしく」

「…ぷ,何ソレ」

少しの沈黙の後の,予想外。思わず吹き出してしまう香里。

「いやほら,新年だし」

そりゃ,確かに『新年のご挨拶』とかはまだだったような気もするけれど。

「…別に今じゃなくたって…」

「そりゃまー,そーだけどさ」

「そうよ」

あーもう,期待して損しちゃった。
こういうちょっとずれたトコロは,もちょっとなんとかなんないかしら,と思う香里なのであった。

「…ソコは『今年も』じゃなくて」

けれども,そう,出来れば,一緒に,

「………『一晩中』?」

「バカ」

これからも,ずっと。





[END]

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