「おっし,相沢,そろそろ上がんべよ?」
ミットに収まる球の音も心地良い,試合中日のキャッチボールの途中。
『キリのいいところで』と念を押したにもかかわらず,予定数を若干オーバーした上にまだまだ投げる気満々な相沢にマイルドに釘を刺す。
「えー?肩慣らしになんないじゃん。もちょっと付き合えよー」
「だーかーらー,明日までとっとけっての。さっきシノザキさんにも言われたろ?『過剰に負荷になるようなことは控えとけな』ってさ」
「むう」
去年のようなスクランブル,しかも「行けるとこまで引っ張ります」的な結果的長丁場とは事情も違う。
首脳陣やスコアラーさんたちとのミーティングの後,ピッチング部門のコンディショニングコーチからの直々のお言葉をきっちりと反芻し,ミットを外して立ち上がるオレに不承不承相沢も続いてくる。
明日はいよいよ本拠地開幕。
ゲートイン寸前の競走馬の入れ込みっぷりを思わせる,結構珍しい相沢の様子ではあるがそこはそれ,急遽お鉢の廻ってきた初先発とあれば無理も無いことなのかもしれない。
「ところで,これからどうする?」
シャワー室で汗を流して,ロッカー室の前のストレッチスペースで髪を乾かす,現在午前11時ジャスト。
ちょっと先に出てパンツ一枚でチェアーに横たわり変なストレッチを続けている相沢に声をかける。
「おお,オレは昼から実家行かなきゃいかんのだ」
「……まあ,やらしい」
「ドアの鍵もかけないで昼間っから自家発電に勤しむお前ほどでもないが」
「て,テメエ!だからそれは誤解だって言ってんべよ!」
「んだと,コラ!先にケンカ売ったのはテメーだべよ!」
……う,うう,暗に美坂とえっちなことし過ぎて消耗しないよう釘刺したつもりだったのだが,やっぱコッチ系で弄ると自爆の方がキツいわ。
聞けば,相沢寮(相沢の実家の例のアレね。美坂が管理人やってるところの)に,固定資産税とかなんとかの準備に区役所からお役人が来て建物を見てまわるらしく,オーナーであるところの相沢はそれに立ち会わなければならないとのこと。
夕方にはピッチングコーチやバッテリーコーチに,先輩キャッチャーのツルオカさんを交えて,明日の相手であるところのジェントルメンの戦力分析と傾向対策その他もろもろを行なうことになっているので,それまでには戻ってくることになってはいるのだが。
「まあ,明日に響かない程度に,さっさと行ってさっさと帰ってくるわ」
「ぜひそうしてください」
「あんだとコラ」
「やんのかコラ」」
ボディーブローにミドルキックの軽い応酬の後,そう言い残して駅の改札に向かう相沢と別れて,オレはちょっとした用事も兼ねて,午後の休息の時間を過ごすべく駅前のブックセンターに向かうことにした。
#52
関内の駅前のショッピングモールの中にあるブックセンターが,シーズンオフ以外はあまり遠出の出来ないオレや相沢にとって主要な本の入手先になって久しい。スポーツ新聞だったり,近くのコンビニや駅中の売店で買うことが出来るような週刊誌を除いて,そこで売って無いようなほとんどの漫画や小説,野球関係の書籍なんかは寮からほど近いココで購入することが出来るので大変助かっていたりする。
「えーっと,月刊誌月刊誌,スポーツ,スポーツ,と……」
そんなわけでオレがココまで探しに来ているのは,今日店頭に並ぶ予定のうちの球団が出してる月刊誌,『スカイレイダーズフリークス!』という球団ファン向けの雑誌なのです。昨日,広報からいただいた見本誌をチェックしてみたら,嬉し恥ずかしなことに,今月号では『ヤングレイダーズストライク』という今年期待の若手の特集企画の,なんと筆頭にオレのページが組まれていたのですよ。あろうことかシンちゃんとか相沢を差し置いて!
『ココじゃほとんど売ってないから送ってきてよ。潤』
ちょっと嬉しかったんで実家に連絡したところ,出てきた母親からいきなりそう頼まれて,
『あ,オレ自分用に5冊もらったんでそれを送るよ?』
『それじゃ足りないわよ。お世話になったおじいちゃんとかおばあちゃんとかおじさんやおばさんや……』
『……ええー……?』
『そうね,全部で30冊もあれば大丈夫!あ,ちゃんと潤のサインを入れとくのよ?』
さらにそんなわけで,25冊を急遽準備しないといけなくなったのが今日の朝のことだった。
んで,早速さっき練習帰りに広報の事務所によってお尋ねしたところ……
『ええっ?!ここにも無いんですか?!』
『うーん……余剰在庫はほとんど無いなあ……ここにあるのはほとんどスタッフ配布分だしなあ……』
聞けば,開幕号については部数を多めに刷ってるものの,関係会社やチームスタッフ,取引先への配布でほとんど在庫がなくなってしまうので,基本的には一般書店発送分の返本を待つしかないとのこと。それでも広報書籍の担当のおば様が気をきかせてくれたおかげで,何とか20冊譲っていただくことが出来たので,自分ではあと5部を入手するだけで良くなっていた。
「えーっと,お,あった!」
スポーツコーナーの中,12球団のファン雑誌が平積みになってるスペースの中で,2列に積まれた「スカイレイダーズフリークス!」の青い表紙が目に飛び込んでくる。うんうん,さすが地元だ。結構手にとって買っていく方もいらっしゃる!ありがたやー!!
「さて,と」
思っていたより売れるもんなんだなあ,と感心しつつ眺めている場合でもなく,人が途切れたタイミングに自分の分を確保するべく山に手を伸ばす。
「あ」
そのとき手に取った本の重さに感じる,不自然な違和感。
「…す,すみません!」
「あ。こ,こちらこそ,ど,どぞどぞ!」
共につかんだ本の隅の,そのキレイな指先の持ち主のものと思しき,ふわりとゆれるアイボリーのスカートの裾に,つい恐縮して手を放す。
いかんいかん,駆け出しとは言え一応プロの野球選手。こんなところでご婦人のファンの邪魔をするわけには!
「え,あ,あれ?き,北川さん?」
「お,あ,あれ?!す,鈴佳さん?!」
我ながらきっとバカッ面なんだろうなあ,と呆けながら見とれるそのお姿は,久々の再開となった舞佳ちゃんのお姉さん,鈴佳さんだった。
「あははっ!いいことじゃないですかー!それ,ものすごい親孝行ですよー?」
ちょっといい感じの陶器の中から立ち上るレモンティーの香気の向こう側で,抱え込んだ5冊の本の顛末に,セミロングの髪を揺らしながらかわいらしく笑う鈴佳さん。
「……うーん,そんなもんなんでしょうかねー……?」
「そーですよー」
舞佳ちゃんをさらにひとまわり幼くしたような愛らしいお顔立ちに,大きく綺麗な瞳を楽しげに細めて両手でカップを包み込むそのしぐさは,ちょっと一緒にいることを自慢したくなる可愛らしさである。
そんな鈴佳さんを,ブックセンターでの簡単な近況報告や舞佳ちゃんの話題などの世間話からのさりげないコーヒーショップへの誘い込みに成功したオレに,みんなものすごい賞賛を与えていいと思う!
すごく思う!
だってどきどきだったんだよ!さりげなさを装ってもちょっとヒザ笑ってたりしたんだよ緊張で!!いやマジでガチで!!
「ふふ,オープン戦や開幕三連戦でのご活躍,すごかったですね!」
「うわ,ご存じでいてくださったんですか!ありがとうございます!」
「あは,ネットとか,テレビとかでちゃんとちぇっくさせていただいてますよ?」
「うっわ,照れるなあ……それはちょっと恥ずかしい……」
「舞佳と一緒にですけどね」
「わはー」
うわあ,俺って果報者だなあ。でも,これでこそがんばった甲斐もあったというもの!
「そのうち,球場まで応援しに行きたいと思います。もし見かけたらよろしくですね!」
「よろしくどころか超是非是非!お待ちいたしておりますですよー!!」
結局,そのまんま他愛も無いハナシを小一時間ご一緒させていただき,ついつい嬉しくなってしまったオレは調子に乗って鈴佳さんをその自宅までお送りさせていただいたのです。
「ふふふ,本日はごちそうさまでした!がんばってくださいね!」
別れ際のその笑顔を思い出しながら,含み笑いなんかしつつ足取りも軽く帰宅しちゃったりするオレなのでした。
いよっし!明日はがんばるぞー!超がんばるぞー!!
「お前,なにミーティングに遅刻してるんだよ」
「……」
「ちょ,な!て,テメエまさか!!こ,このポルノ野郎?!」
「うわああああああんボクが悪いんじゃないんだよー!香里が!香里のお尻が!荷物直すため倉庫の中で持ち上げた香里のデニムのお尻が悪いんだよー!!」
「登板前は控えろって言っただろうが!プロの自覚あんのかくらああああ!!」
「ああっ!ちょ!ちょっとまて落ち着け北川っ!い,一回しかしてないってばー!」
「だからその一回を何で明日以降にとっておけんのだー!!」
「あああああああすまんマジごめんー!」
うう,ふ,不安だ。大丈夫かマジで。
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