#47





「そろそろ,いいか?」

ここは寮の裏手の,昼間になるとシーツとかの洗濯物が盛大に干されるちょっとした空き地の隅っこ。
『まだ微妙に伸びてるっぽい』という成長期の終わってないらしいその長身を器用に伸ばしたり畳んだりしながらウォーミングアップを終えた相沢が,腿上げ運動のピッチを鬱陶しいくらいに上げながら訊ねてくる。

「もちょっと待って。まだ体があったまりきってないー」

まだまだ寒い,どころの騒ぎではない,日によっては0度近くまで冷え込む3月下旬の朝。

「まーだーかー?」

刺すように痛い,という程ではないものの,ジャージの上にジャケットくらいは欲しい薄寒さの中で,異様に俊敏な体のキレを見せ付けるように相沢である。

「うるへー,起きて10分も経ってないのにそんな簡単に動けるかっつの!」

「寮に帰った時間は同じだっただろうが?」

「…お前とオレじゃアルコール耐性がぜんぜん違うでしょうが」

「鍛え方が足らんのだ」

「鍛えて何とかなるもんと違うー!」

三日後の開幕を控えた昨晩,オープン戦の打ち上げでしこたま飲まされたオレと相沢。…なのですが,体の鍛え方があらぬ方向まで進んだせいか最近とみに強力なアルコール耐性を獲得してほとんどザルとなりつつある相沢と違い,基本的にはあまりお酒の強くないオレにとっては,4・5時間程度の睡眠ごときではリカバー不可な,正直つらい雀の声なのである。

「…体の一部は起きる前から元気だろお前?」

「朝っぱらから下品だぞお前!」

「そうそう,そーやってテンション上げて行こーぜ?」

「う,ううっ…踊らされてるような気がする自分がやだよう」

くだらないやり取りが続く中,何のかんので体を動かしていくうちに,ジャージの内側で噴き出してくる汗。
…こうなってくるとアルコール抜けるのも随分と早いはずだ。

「おっけー,んじゃ,もちょっとストレッチやったら軽くキャッチボールして,それから投げ込みな?」

その場運動のペースの上がる俺の様子を見ながら,ニカっと笑みを見せる相沢である。

「おうよ…って,いいのかよ?そのハイペースぶりは」

「ああ,肩さえしっかり作っとけば,50(球)程度ならいいよってことだったし」

投げ込みがしたいのは,分かっていたのだ。
沖縄キャンプで二月後半にコーチ陣からストップがかかってリタイアせざるを得なくなった相沢である。以来,3週間のノースローからのメディカルチェックを経て,ようやくのキャッチボール解禁と相成ったのが先週末であった。
一昨日,首脳陣の前での『とりあえずほぼ全力投球』テストをクリアし,一軍帯同にゴーサインは出てる。

『あんまり飛ばさせるなよ?シーズンに間に合ったからいいようなもの…』

『ゲームの計算に入ってるヤツに抜けられるとすごく困るからな。目付け役は頼んだよ?』

一軍のバッテリーコーチと投手コーチから直々に呼び出されての,そんなやりとりも記憶に新しく。
ヤツとしてもこのオフ『誰よりも練習しまくったぜ』という手ごたえがあった分,早いところ全力で投げ込んだ
感触ってやつを確かめておきたいところなのだろう。
が,病み上がりは病み上がりなので必要以上に張り切らせてどこか壊してゴーファーム,っていうのが一番避けたいシナリオなのである。チームにとっても,あと,オレやシンちゃんにとっても(先輩ばっかりしか周りにいない状況,ってのは結構精神的にツラいもんですよ?)。

「解った。きっちり(肩)作れたら合図しろよ」

「おう♪」

ご機嫌上々な相沢は,腕をぐりんぐりん振り回している。

「あと,オレギア持ってきてないからまっすぐだけだぞ?」

が,一応釘を刺しておかないと。

「…ええー?」

「『…ええー?』じゃないっ!捕球し損ねたらどーすんだ!」

…真っ直ぐであれば,だいたい体の正面に来るのでほぼ確実に捕球する自信があるのだが(ただし,相沢の球速は最速150km/hを軽く超えるので失敗したら大惨事になる危険性はある),変化球になると体で止めなきゃならなくなる可能性が高くなるのだ。

「お前,一応プロのキャッチャー?」

「そういうお前もプロのピッチャーでしょうが。無茶言うな!」

相沢の変化球は,基本的にキレがある。しかも,調子の良し悪しにかかわらず,である。…調子のいい時はキレが良すぎて捕球を失敗する危険性が高く,調子の良くないときはコントロールが定まらずに暴投の餌食になる危険性が高いというまことに厄介なシロモノなのだ。
詰まるところ,プロテクトギア無しではまともに相手ができないのである。そこは多分本人もわかってるはずなんだけどなあ。

「ちぇ」

「『ちぇ』じゃないっ!」

ちょっと唇を尖らせる,作ったような不貞腐れ加減のまま指先にボールを乗せて,くるくると回す仕草の相沢。
まあでも,こればっかりはあきらめてもらうほかはないのである。オレも変な怪我したくないし?

「…まあいいか,準備はおーけー?」

「いつでもいいよ。…いいな,軽めに入るぞ?」

「わーった,わーった!」

変わらずアップを続けつつ,お互い,背中合わせの位置から距離の歩測に入る。

「これくらいか?」

「もう半歩前」

「…そんなもんかね。足元は?」

「…っと,これくらい(の硬さ)ならいいな。おけーおけー」

相沢は,芝生の切れ目からちょっと後ろ,先輩の投手陣もよく自主練に使ってるマウンド状の土の隆起の部分に陣取る。きっちりと踏みしめられるように,硬めの位置で。
オレは,そこからちょっと離れた,距離で言えばだいたい公式戦でのマウンドから本塁までのところで屈伸や股割りをして準備をする。

「よーし,これでいいな?」

「おう,んじゃ,いってみるか」

さらに,それから4,5回軽めに肩慣らしを行った後,オレはしゃがみこんで捕球態勢に入る。
怪我の防止にこれほど気を遣うことになるってのも,この世界ならではだよなあ,などと妙な実感をしつつ。

「うし,来い」

…さて,どの程度回復しているのかとりあえずはお手合わせ願いましょうかね?










「………」

「おーい,大丈夫か?北川?」

仰向けに見上げる空は,朝日に蒼い。

「…あんま大丈夫じゃねえ…ってか,痛えよバカ…!」

ひりひりするのは右頬骨のちょっと下。
手元の狂った相沢のストレートを,顔面との間にミットを挟み込むようにガードするのが精一杯だったオレはぐったりと冷たい芝生に横たわる。

「確かに球ぁ重くなった…重くなったが」

済まなそうに横でしゃがみ,覗き込む相沢に,手をひらひらさせながら概ね回復の旨を伝えながら身を起こし

「ちょっと軌道が綺麗になり過ぎと違うか?」

全部で30球前後,中心に集めてもらうようにほぼ全力で投げさせてみた感想,である。
昨年の後半,公式戦でオレが受けた頃と比較して,球質で何割増か重くなってる印象がある。球速も出ている,とも思う。
…ただ,球が相沢の手を放れたほんの数瞬後,変化するのかしないのかを解りづらくするような,あの微妙なストレートのブレが無くなっているような気がするのである。

「ううむ,きっちりガードされちゃうあたりやっぱそうか」

「きききききっさまー!狙ってやがったのかコラー!!死んだらどーすんだー!!」

悪戯っぽく舌を出す相沢に激高なオレ。ばばばばばばっきゃろ!マジでアブねえじゃねえかよわざとだったら!!

「違う違うそうじゃねえ,今のはホントに手元が狂ったんだよー?ごめんよー?」

て,てめえ。じゃあそのにやにや笑いはなんなんだコラー!!

「ホントかー?!」

「ホントだってば。ちょっと抜いたら,こう?」

「…くっそー」

偽悪的な相沢が憎らしくはあるけども,一応ホントっぽいので許してやることにしよ

「…ちっ」

「いいいいい今舌打ちしやがったなー?!」

「あーごめんごめんマジで悪かったってばさ!」

「…ったく,もー。ともかく,一応明日にでもきっちりギア付けるから,他の球種も混ぜてもっかい投げて見ろよ。やっぱ球筋綺麗過ぎなのはちょっと気になる」

「…むう,解った…」

あまり綺麗すぎる軌道は,ともすれば棒球になる危険もあるのである。全般的にどうなってるのか見たい気はあるが,如何せん本日はもう投球の規定数であった。

「ま,ともかく礼を言う。また明日な?…明日?!」

「どした?」

そこまで言って,何かを思いだしたように相沢。

「…そ,そう言えば明日はオレの実家,3人入居するんだった。やっべ,栞に天野,空港に迎えにいかねえと!!」

「入居?…って,あ,あああ!そうか!美坂妹たちの…って今日!!」

「…入居日の前日って言われてたの綺麗さっぱり忘れてたわ」

「せめて昨日言えよー!!」

そうなのである。
一応休みであるところの明日,女性用アパートへと改造された相沢宅(別館)の落成かつ住民の入居の日なのであった。
そして,その入居者であるところの,めでたくもこちらの大学へと進学を果たした美坂妹こと栞ちゃんと天野さんが,本日午前の飛行機でご到着と相成るのとのことでありました。

「うわ,やっべ!香里からメールが!うわ!角が!!」

「空港,何時だっけ?」

「朝…10時…」

「今,8時30分…?」

ここから空港までは,電車で接続とか何もかもうまくいったとして大体4,50分と言った距離である。正直言って間に合うかどうかは

「わあお,フロ入って着替えて速攻電車乗ってぎりぎりだ!!こうしちゃいられねえ。んじゃな北川!!」

相当微妙,である。

「お,おい!ちょっと待ってオレも連れてってー!!」

まったくもって,である。
栞ちゃんに天野さんがお見えになるとあっては,不肖このオレもご挨拶をしにいかないわけにはまいりませぬ!

「謹んでお断り申し上げます」

「そんな殺生なー!」

「ええい,鼻水まで垂らしながらしがみつくな!連れてってやるから急いで準備しろやー!!」

「うわああああああん,待ってよー!」

垂らしてない!そんなもん垂らしてない!

「音速音速ー!!」

…そんな急転直下な展開で,オレは相沢の後を追い寮に駆けだしていくのでありました。

う,うう。せめてあと30分早く気付いてー!!←身だしなみが気になるんですよ!オレも!







46話にもどるー。
    48話につづくー




お囃子・感想などいただけましたら。

おなまえ(省略可)



お囃子!(ちょっぴり←→盛大)

ぱち ぱちぱち ぱちぱちぱち

よろしければ何か一言!(省略可)







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