#44
「うわ,すげえ打球!」
「もう,ほとんど実戦形式のノックだな」
「グラウンドも適度に荒れてイレギュラーの嵐だねー」
金属バットを使ってるわけでもないのに鋭く響く,金属質な打球音。
豪快なノッカー(たぶんコーチ)の打ち出す打球の不規則なバウンドは,キャンプイン間もないフリーダムファイターズの野手を容赦なく襲っている。
「おらおらおらおら!ぶったるんでる場合じゃないっすよー!年棒交渉で見せたあの粘りをここでも見せてもらいやしょーか!」
「うはあ,キッツいなコーチの兄さん」
「はいはい,仕事場じゃあ手え抜けませんやファーストの大将!ほい!もう10丁―!」
「くっそー!おら来いやー!」
「ぬうりゃあああああああ!」
息の上がり加減なファーストの周辺に雨あられとノックを浴びせるノッカーさん。捕球率は5割程度といったところだろーか。
「………ウチのコーチ,もちょっとベテランにゃ緩かったよな………」
気の毒に,と相沢がつぶやく。実際,高校のときに見た野球部のノックのペースよりもかなりハードである(うちの野球部は地域内では結構強豪校なので練習はそれなりにハードだった)。
「うーん,やっぱ優勝争いをしてるようなチームはその辺が違うってことかな?」
ここ10年,パ・リーグのBクラスで最下位争いを演じ続けてきた北海道フリーダムファイターズであったが,おととしに外国人監督が就任し,昨年はコーチ陣の入れ替えを断行した結果,防御率も打率も得点力も向上し,勝率5割を上回るレベルに回復させてきていた。
「パ・リーグは今年からプレーオフシステムが導入されるんだったな」
そう,リーグ活性化策として導入されたプレーオフ。レギュラーシーズンで3位までを確定させると,リーグチャンピオンシップ(優勝決定シリーズ)への出場権を得る形式のペナントレースへと,パ・リーグはいち早く移行するのだ。従ってリーグ終盤まで出場圏内のチームは気が抜けない戦いが続くことになり,結果最後まで厳しい戦いが続くことになるのです。
「…キッツいだろうけどにゃー」
見る分にはだいぶ面白くなるのでしょうがやるほうの心中は察するに余りあります。
「ウチのリーグは,来年からだったね」
「ああ」
まあしかし,逆に言えば,戦力的に一位抜けが厳しい(具体的にはウチのようなチームね)でも何とか3位まで食い込みまですれば,日本シリーズへの挑戦権を得ることができるのです。この点についてだけはオレも相沢もシンちゃんも,密かに心の中での燃え材料にしてるところなのでした。
「ところで,シンちゃんは?」
休みだろうがなんだろうが野球関連のイベントは欠かさない,根っからの野球好きであるところのシンちゃんが,なぜか本日は来ていない。
不思議に思って相沢にたずねてみると,
「………あー,ほら,アイツ,彼女を送りに空港まで」
とのお返事であった。うーん,流石にモテるやつってばこの辺のマメさが違うのんね。
「そーいや,来てたんだっけ?」
おとといくらいの晩,せわしなかったシンちゃんを思い出す。
確かに練習上がりがちょっと早かったよな。そー言えば。
「つうか,呼んだらしいよ?この中休みにあわせて」
…わざわざかい。
あ,まあ今日を逃すと後はオープン3連戦突入後の調整休みくらいだしな。
「なんて愛妻家なんだ」
たぶん昨日の晩がものすごく愛妻家だったんでしょうね(性的な意味で)。けっ!←ものすごく羨ましい
「………それがシンちゃんの彼女はすごいやきもちやきでさ」
心当たりがありまくる感じの相沢さん。そーいやお前んところもそーだよな。お前はあんまり口には出さないけども,美坂見てればよー分かるわ。
「うわ!浮気監視か!」
うんうん,美坂はたまに,オレにもさりげなく探りを入れてくるしね。ましてやそういう疑惑に事欠かない相沢だしね。
「今度の週末が一番危ないって踏んだらしい」
とりあえず目の前にいさえすればおいたはしない,って寸法ね。まあ,確かに妻帯者の皆さんでもこの週末は飲みに繰り出した後にそういう方面のあんな店やこんな店に突貫かけまくりな人が多かったそうですしね。え,ぼ,ボク?やだなあ,ボクは溜まってた洗濯物をランドリーにかけて倉田先輩と川澄先輩と(あと相沢と)ご飯食べに行って軽く飲んで品行方正にお休みしましたよ?………相沢がその後どーしたかまでは知らないけどね?
「お,次,桜井だぜ?」
相沢のその一言が,誰にともなく言い訳をしているオレの意識をグラウンドへと引き戻す。
「え,あ,さ,桜井?」
「そう,桜井舞人」
相沢があごで軽く示したその先−グラウンド上のノックスペースに,太い黒のラインで縁取られたベースボールキャップを目深に被った,ほぼオレと同じくらいの体格のシルエットがストレッチを軽く交えつつ移動していく。
桜井舞人,19歳。右投げ右打ちの内野手,守備位置は主にショートで背番号39。昨年の太平洋リーグ(新人教育リーグ)で一緒に戦ったこの男は,「打撃の確実性さえ増せばスタメンレギュラーは固い」「もう少し穴が無くなったら,相良との二遊間で向こう10年は鉄壁の内野」と若手の間ではかなりの評価なのであった。
「あ」
「こらー!なんだその股抜きはー!なめとんのかー!!」
「しーましぇーん!」
……褒めた先からコレなのか。
たまーに,とんでもない大ポカをすることがあるのですが(でも去年の一軍戦に限っての守備機会内の守備率はなんと98.97%。す,すげえ),それもまたご愛嬌。
「ぬん!」
「はっ!」
「ほっ!!」
その後は13連続捕球。広い守備範囲と球際の強さは,今までに出てきたどの内野手よりも際立っており,うちのイシイ(タクロー)さんの全盛期と比較してもどうなんだ,というレベルに見えます。
「うっしゃ来やがれノッカーのおじさん!それとも先に息切れですかそうですかこの桜井様の華麗なる守備にそんなあなたももうメロメロですかー?」
「んだとこのガキ!」
あのハイスパートな動きのあと,一分と経たずにもう整ってる息。心肺機能も相当なものなのだろう。
「んじゃお望みどおり!」
あからさまなノックミスと思われるイレギュラーも,手の届く範囲(しかも相当広い)をほいほい捌いていく。
「にわかには信じがたいが,ああいうやつっているんだな」
「ああ。守備だけで飯が食える,ってのはああいうことなんだろうなー」
「しかしあの変なジャンプは余計じゃないのか?」
「あのわけのわかんない回転もね」
思わず惚れ惚れしちゃうよな桜井クンの美技,である。無駄な動きが随所に混じるのは余裕なのかサービス精神なのか。
「こーらーさくっちー!まーじめにやらんかーい!」
「そーだよー!ちゃんとやんないとダメだよー!」
突然,グラウンドを切り裂く黄色い怒声。
「あう!」
その声援(?)のせいか,バランスを崩した桜井クンが,もろにイレギュラーバウンドを顔に受けて昏倒する。
「あだだだだだ………」
「やーい,バーカバーカ!」
はしゃぐように笑う,嫌味の無いその罵声の方向に顔を向けると,そこには緑の黒髪ショートの,超元気な女のコ(かなりな美少女)のお姿。快活そうな吊り目がちの大きな瞳に,ニーソとミニスカの間の眩しい絶対領域が印象的である。
「………うわ,いいなあ,アレ」
「北川,視線がやらしい。イヤ分かるけど!」
小声で突っ込む相沢のむこう,そのミニスカショートのお姉ちゃんの,
「でもでも,大丈夫かな?さくっち,痛そうだよー?」
「げ!」
眩しげに揺れるおしりの向こう側,心配そうに桜井クンのほうを見つめるその黒い,大きな瞳は,これまた思わず見惚れてしまう素敵な美少女,であった。
「心配ナイ問題ナイナイナイザッツライフイッツオーライ!頑丈にデキてんのよあいつは!」
腰まで伸びた長い髪と,均整の取れたスタイルを包む清楚なワンピースがとてもとても印象的なその少女は,けらけらと笑うそのミニスカショートのお嬢さんの横でそれでもやっぱり心配そう,である。スカートの裾から覗くその美しいおみ足のラインが,何とも言えず悩ましい。
「でもー」
「よ,モテるね大将!」
すかさず内野に向かって野次が飛ぶ。なんのかんので若手な桜井クン。ベテランからの弄られも容赦はない。
「彼女がいっぱいいていいよな!おじさんにも分けてよー!」
「そーそー!昨日来てた北海道弁のあの,おっぱいのおっきなおねーちゃんでもその横の女子高生風二人組でもどっちでもいいから!」
「お兄さんはその片っ方の茶髪気味の,中学生くらいのかわいらしい女のコが良いなあ」
「それじゃおじさんはもう片方の赤毛のちっこい女のコが!」
「あのあとはみんなでお楽しみだったのかー?!おいおい,新聞に載るようなことはやめとけよー?ただでさえそういう嗜好をお持ちの人には厳しい世の中だからなー?!」
「そそそそそそそそそそそんなんじゃありません!」
「でも超羨ましいよやっぱおじさんにも分けてー」
「ちちちち違うんですったら!」
慌てふためく桜井クン。なんというか,モテるやつってモテるんだよなー。ようわかんないんだけど。
………良いなあ。
「………てーいせーい,コーチさん!がんがんやっちゃってくださいそんな人サボらせても何も良いコトないですよっ!」
突然,野次の間押し黙ってたその黒髪の女の子がぶんむくれたようにグラウンドに叫ぶ。
「くきーっ!この漁色家―!!淫逸―!!!小児性愛者―!!!!」
「ぞぞぞぞゾンミ落ち着いて!」
ゾンミと呼ばれた,その黒髪のコがその辺に落ちていたウエイトや鉄アレイを抱えて桜井クンに放り投げようとするのを,ミニスカのコがはっしと止める。確かにあんなのが当たったらシャレにならん。
「オッケー彼女のお墨付きと来たー!そんじゃ桜井―,がんがん行くぞー!!」
「ひー!」
再開されるマシンガンノック。流石の桜井クンも捕球が間に合わずがんがん体で止めざるを得ない。
「ひいー!!!」
たちまちサンドバック状態と化す桜井クン。でも,後ろにほとんどそらさないのはやっぱりすごいなあ。
「くきー!もっとやっちゃえそんなヤツー!」
清楚な雰囲気はどこへやら。その暴れっぷりはかわいらしくもやっぱりちょっと怖い。
「いやあああああああああああ!!」
「む,惨い…」
「…あ,相楽か?アレ」
そんな桜井クンさいどから,もうかたっぽに視線を移すと,そこには淡々と捕球とスローを続ける相良クンの姿が。
「相良クンのほうは,桜井クンに比べたら守備範囲は狭いんだけど(それでも充分に広い)届いたら確実に捕球してるね」
定位置よりわずかに深く構えたその場所から,センターラインのすぐ横へ,時にはファーストベースの後ろへと打球の強さに応じてがんがん捕球していく。
「球際の強さは桜井以上,か。身の捌き方にも無駄がねえな。………うお,アレを捕るか!」
とても届かない,と思われるようなイレギュラーのバウンドをなんなく捌いた相良クンは,ファースト位置に軽くトスをし一連の動作を終える。こちらのほうは,堅実で無駄のない,正確な動き。
「うわ,捕ってからも速い速い。なんつーか,プレーのスピードが違うわ」
生半なあたりでは,セカンド方向への内野安打もエラーもそう期待はできない。
鉄壁とはまさにこのことか。
「むう。この時期で既にあの仕上がりか」
「よっぽど良い当たりしない限りこの二遊間は抜くの難しそうだな」
打撃のほうはどうだか分からないが,守備のほうは既に実戦体勢であることが分かる。うちの内野陣の現状の仕上がりとは,比較すべくもないのかもしれない。
「ああ」
「くぅらあああああー!桜井ー!サーボってんじゃねえよこのダボがー!」
突然の怒声に,再度桜井クンのほうを見てみると,どうやらノッカー変更のご様子。
「くっそおおおおお言いたい放題言いやがってこの不良コーチが」
よく言ってぼろきれのような桜井クンだが,なんだかさっきまでとちょっと様子が違う。
「なんか言ったかこのガキ!かわいい彼女来てるんだろがちったああ良いとこ見せたれやー!」
桜井クンに,ベテランズのからかいに照れてたような余裕が無い。
バッターボックスから挑発の姿勢を見せるのは,金髪といって良い長めの茶髪に細めの風体をユニフォームに包んだ優男風なあんちゃん。
ぜんぜん野球選手には見えないのだが,なんだか異様な迫力がある。
「くっそー!いつまでもガキのまんまじゃないですよ?!」
「んなコト言ってるウチはまだまだガキなんだよ!おらおら行くぞー!!」
「くっそ来やがれコノヤロー!」
そして始まる,まるでそう,弾幕のようなノック。ありえない速度のノックがありえない間隔で矢継ぎ早に繰り出され,桜井クンの守備位置近辺に土煙を上げる。
「おらおらどうした足が止まってるぞー?!」
「ちっきしょー!」
「………な,なんかすごいよなアレ?」
んでも正直,打つほうが打つほうなら捕るほうも捕るほうである。あの速度で的確にポイントを散らして打つノックも,捕れずとも正面に落とすその捌き。この場合両者の身体能力を褒めるべきなんだろうが,それにしても気になるのはあのコーチである。
「背番号69………えーと,谷河………コーチか。なになに?元は高校の保険医という異色の経歴でコンディショニングアドバイザーも兼ねる,と」
イレギュラーなトスもきっちりとはじいて,守備位置へと球を飛ばす。
「………しかしすげえ技術。………なんで選手やってないんだろ?」
見たところ,かなり若いのに。
「おらおらおらー!」
しかも,休まない。体力だってすごい。
「ぐわあああああああー!」
10分のノンストップノックのあと,桜井クンが動かなくなる。
「水でもかけとけ。さあ,次!相楽―!」
「は,はいっ!」
「うう………」
ずるずるとグラウンド外に引きずり出される桜井クン。
「あ」
「おす!」
しかし,俺たちの姿を認めるとすかさずピースサインを送ってくるあたり流石は芸………
「………くぅら,やっぱサボってんのかこのガキ?!」
グラウンドから,地獄の底から響くような恐ろしい声。
「………きゅう」
眼光鋭く谷河コーチ。桜井クンたまらず死んだ振り,である。
「………ふん,60球中捕球7割後逸3球だったな。いいだろう,3分死んでろ」
「………うう」
「おらおら相楽―!お前は前後動入れるからな。気合入れろー!」
「はい!」
アレで揺さぶり少ないほうだったのか。
なんと言うか,世の中って広い。オレ達もがんばんなきゃなー。
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