近づいてきたその大柄な,褐色の肌の男は,相沢の前に正対すると,サングラスを外す。
「Hi!」
相沢が見上げるのは,整った,精悍な顔立ちに,大きなグリーンの瞳。
しかし,微かに笑みを浮かべた,わずかな子供っぽさを残すその顔には,いささかの険もない。
「少々,投げて願えないか?」
「なんて,言ってるんだ?」
「知らねーよ,ってか,お前オレのヒアリングダメダメなの知ってるだろが!」
視線をその外国人から逸らさずに相沢が訊いてくるが,如何せんオレの英語力なんてそんなもんなのである。
「彼は,投げてもらえないかと言っている。どうか,頼みを聞いてはもらえまいか?」
見たところアングロサクソンとラテンの混ざったような顔立ちの,彼の通訳とおぼしき男が,流暢な日本語でオレ達に向かって話しかけてくる。
押しつけがましさのない物言いではあるが,言ってることは,割と無茶である。
「すみません,オレ達はこれでもう,練習上がりなんです。自主トレ中のオーバーワークは押さえるよう球団から通達も出ておりますので」
代わって答えるのはシンちゃん。強面の通訳に向かって,結構きっぱりとした物言いが頼もしい感じ。
「ソコを曲げて,お願い出来ないだろうか?」
「球団の許可がないと,何とも」
「ソレは,残念…」
割と大げさなジェスチュアで,落胆の色を見せるその男に。
「いいぜ」
「相沢!」
足下をざっ,ざっと掻き取りながら相沢が答える。
「何となく,投げ足りない気分なんだ。…それに,わざわざ頭まで下げてくれてるんだ。こんなんで良いのなら,何球かは,な?」
素っ気なさげな語尾に,少々熱を感じる。
何となくな挑発口調が疳にでも障ったか?
「…感謝する」
通訳の言葉に,その男は片眉を吊り上げて,ニィ,っと笑って見せた。
#36
ぱぁん!
「Oh」
すぱぁん!
「…」
ばすっ!
「Nice」
オレの構える,内角内より高めのミットに,寸分違わず吸い込まれてくる相沢のまっすぐ。
バッターボックス斜め後ろに陣取るその大柄な男からは,6分ほどのチカラの相沢の球威と正確なそのコントロールに賞賛とも嘲笑ともとれる軽い笑い声が漏れてくる。
「…」
ちらちらと世話無く動く俺の目を気にしてか,男が手前の方に近づいてくる。
「もっと近くで,見て良いか?」
「構わないですが,当たらないように気を付けてくださいよ?」
通訳を介したやりとりで,男に告げる。ま,離れてれば当てちゃうこともないだろーから…
「心配ない」
「!」
「あ,ちょっと!」
グラウンドコートを脱ぎ捨て,バッターボックスにバットを持ったまま入ってくる男の突然の行動に,相沢の投球を制して思わず立ち上がって止めに入るオレ。
「ソレは流石に勘弁してくださいよ。万が一怪我なんかさせちゃったら,ちょっと」
「大丈夫だ。万が一に備えて保険にも入っている」
「しかし…」
それにしても,オレにそう言い放つ男の巨躯。…何だ,この腕の異様な太さと胸板の厚さは?
何処まで鍛えたら,こんなカラダになるんだ?
「君たちに迷惑は掛けないからさ」
「…でも」
「いいぞ,北川」
「相沢!」
「当てないから」
相沢の顔から表情が消える。あからさまな挑発の行動をとり続けるこの男に,自分の持てる本気のタマを見せつけておきたくなったのだろうか。
「相沢…」
「…グラウンドの端を見ろ,北川」
「!?」
あ,アレは二軍投手コーチのノムラさんと,球団広報のヒガシさん,ソレに,フロントの!
「止めるそぶりもないあたり,了解済み,って感じだろ?」
「…」
「誰だか知らないけど,見せといてやろうじゃないの」
「…」
「旅行中の有閑外人に,下っ端とは言え,日本プロ野球の実力ってヤツをさ」
再度,入念なストレッチをしながら,マウンドに戻る相沢。
「…」
ボックスを見上げると,きっちりバットを打撃位置に構えて,相沢の方を見据えるその大柄な外国人。表情は先ほどまでの笑みを浮かべたソレとは違い,真剣そのもの。心なしか,随分迫力が増したように覚える。
ずばん!
「…ほう」
小気味良い音が重さを増して,ほとんどストライクゾーンのど真ん中に響く。
「ないす!」
上々の球威球速に安堵しながら,相沢にボールを返球する。
いい感じだ。力みはあまり感じない。
「…」
「?」
「!」
男が,足を少々開いて,バッティングのスタンスを取った。
そのとき,後ろで見ていたシンちゃんの息を飲む音が,はっきりとオレの鼓膜を叩いた。
「…嘘?」
ずばぐ!
びりびりびり!
今度は,少々手に痛い。
より威力を増したストレートが,若干内に食い込むようにミットに収まってくる。
手の痺れを示すようにミットを軽く振って相沢に返球。
「…」
ソレを見たその男は,フォームを相沢の投球に合わせるようなソレへと明らかに変えた。
「…北ちゃん,そいつ!」
思わず!といった風情で声を上げるシンちゃん。
「!」
「…!」
フォームからそうだと分かる,相沢の渾身の一球。
「フッ!」
「…!!」
「!」
相沢が投じたのは,先ほどシンちゃんに試投した,あの遅く鋭く曲がるスライダー。
しかもコースもどんぴしゃ。内角から外のほうへえぐる様に、鮮やかな弧を描いて俺のミットの中に納まるはずだったのだが,
「…!!」
「…そ,そんな!」
その男の鋭いバットスイングは,少々バランスを崩しながらも鋭いラインドライブで相沢の頭の横をかすめるように打ち抜いていた。
「ヒュー!」
「ち!」
その男の口笛と,相沢の舌打ちはほぼ同時。
「…あ,あんな捌き方って,アリか…?」
「曲がり端一発って…そんな…」
その男の驚異的な身体能力と,その圧倒的なスイングスピードに,シンちゃんもオレも,ただただ固唾を飲むしかなく。
「いい球だったよ」
男は,グラウンドの隅で見守るチームスタッフに一礼すると,俺に握手を求めてきた。
「あ,あはは」
ただ,凍り付いたように笑って手を握られるままになってるオレに,
「あの少年にも,よろしくな?」
相沢を目で示してニカっと笑った後に,
「腕の振りがもっと本調子になってきたら,もうちょっとサイドから球の出るようなフォームを考えてみたほうが良いのかもしれないな。考えてみてくれ」
と,付け加える,その男。
すでにその表情から真剣な眼差しは消え,悪戯っぽい,ココに現れたときのあの子供っぽい表情へと戻っている。
「今日は,ありがとう」
ばんばんと,オレの背中を力強く叩くと,男はグラウンドコートを羽織り,通訳を引き連れてバッターボックスを後にする。
「…お,おい,相沢?」
ソレはとりあえずおいといて,相沢がうずくまったままのマウンドへと歩み寄るオレとシンちゃん。
「…くっそー」
「…お,おい,怪我でもしたんじゃ…」
「いや,怪我とかじゃねーんだが」
「?」
「最後のは,割と本気で投げたんだぜ?ソレを,あっさり…」
「…相沢」
かなり本気で悔しそうな相沢に,言葉を探す。
「気にすんなって,まだまだ仕上がり途上…」
「…いや,きっちり仕上がりきってからやっても,正直わかんないかもだぜ?」
「…何?!」
割ときっぱり気味な物言いに,思わず反駁するオレ。
「いや,あいつ,あの外人さんだ。問題は」
「?」
「…あの顔,あのでかさ,あのバッティングフォーム」
シンちゃんが続ける。
「…間違いない」
後ろ姿で談笑に入ってる男の顔を,確かめるように,
「…ロック…ザ・ロックだ」
呻くようにその名前を絞り出すシンちゃんだった。
「噂って,ホントだったんだ」
マウンド周りに,脱力して座り込む中,シンちゃんがぽつぽつと口を開く。
現役メジャーリーガー。
しかも,「超」をいくつ並べても足りない,メジャーの至宝。
『ザ・ロック』−ロッキー・ドゥエイン・ジョンソン。
祖父,父,叔父と3人のメジャーリーガーを排出した家系に生まれた,サラブレッド。
シーズン3割,50本,70盗塁を3年連続で達成し「ザ・パイソン」(コルト357に因む)と呼ばれたダグラス・ジョンソンを父に持ち,本人もまた通算5度の3割,50本,70盗塁を達成している。
現在までのトコロ,実働7年で通算打率.337,本塁打328本,盗塁数422。それ以外にもゴールデングラブ,新人王etcetc,獲得タイトルも多い,強肩強打俊足好守の近年のメジャー歴代最優秀選手ノミネート常連の怪物内野手である。
成績だけではない。その雄大な肉体美と圧倒的な存在感,そして女性を魅了するセクシャルな容貌に加え,「ビッグ・アングル」と呼ばれる試合中のグラウンド内での派手なアクションで人気を集めると共に,グラウンド外での真摯なファンサービスや社会貢献活動に極めて評価も高い彼−「ザ・ロック」が,何故こんなトコロ−横浜スカイレイダーズの練習場に?
「ああ,メジャーでの契約交渉が大モメにモメたらしい」
メジャー通と言っても差し支えないほど,周辺事情に詳しいシンちゃんの話によると,ロックの所属先の球団のオーナーが会社の株式操作の発覚で多額の追徴金と裁判の敗訴で破産し,6年16,000万ドルとも言われる超大型契約を2年残したところで球団が売却された,とのコト。
タイミング悪く,オプションによる代理人との排他契約の関係で,メジャーリーグ内での契約の引継先が翌年オフまで事実上無くなった彼は,メジャープレーまでの間のつなぎとして契約外の日本球界でのプレーを視野に交渉中,との年末のニュースで報じられていたのは,オレも知っていた。
「…環境視察で,もしかしたらお忍びで日本に来るの来ないの,ってハナシだったんだわ」
「…あれが,そうか…」
「…サイン,もらっとくんだった…」
「…全くだ…」
SP兼通訳を従えて颯爽と去っていくその堂々たる後ろ姿。
未だ30にもならないはずなのに,何という存在感と威圧感なのだろうか。
「…ウチに,来るのかな…」
「…だとすると,スゲえコトだよな…」
「…ああ」
オレ達は,彼がグラウンドの外の黒塗りのリムジンに乗り込んで見えなくなってしまうまで,呆けたようにグラウンドに佇んでいた。
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