見上げれば,雨(雪,か?)こそ降り出してこそいないものの,低く垂れ込める灰色の雨雲。ココは横浜ビッグスタジアムからそう遠くない市立陸上競技場。
「はぁ,はぁ」
なまりきってるわけではない。
「ふぅ,ふぅ」
さぼっちゃってたわけではもちろん,ない。
「ひー」
お久し!な合同練習の相方,同じ野手仲間のシンちゃんと同じよーなタイミングでスタミナ切れを起こすオレの下半身。
「はぁ,はぁ,ふぅ」
「ひぃ,ひぃ,ふぅ」
「ひっひっふー,ひっひっふー」
「な,な,何故にラマーズ法?!」
「お,バテてもツッコむトコロはツッコんでくれるのね乙ー!」
ペースダウンなオレ達を後目に,それほど息も切らさずにスピードを上げつつネタ返しの相沢。
「はぁ,はぁ,…何?相ちゃんのあのスピード…」
「ひぃ,ひぃ,考えてみりゃあのヤロ走り込みだけは地元でもほぼ毎日やってやがったよなそーいや」
400mのトラックを既に15周目。休みの間,どちらかといえばストレッチと筋トレのメニューを中心に組んで自主トレをしてたというシンちゃんと,正月の走り初め以外はろくすっぽ走ってなかったオレはもう既にバテ気味。
「うおーい,ちと走路開けろやこのアホ毛ー」
「アホ毛ゆーな!…はぁ,はぁ」
抵抗する余裕も気力も無い疲労しまくりのオレの横を,そー言いながら抜き去っていく相沢。
「サボり過ぎってっからだぞー!」
「うるへー!」
やらしげな半笑い。明らかに「まだまだ余裕」な速度でオレとシンちゃんを置き去りにしていく。
くっそー,イツカコロス。
「はぁ,はぁ…でも,すごいね。この時期でもうあのコンディションってのも」
「ふぅ,ふぅ,…ちぇっ,飛ばしすぎてキャンプあたりでバテちゃえばいーんだ」
まだまだ走るつもりの相沢を見放して,一足先にセンターフィールドに座り込むオレとシンちゃん。ホントは,ちょこっとでもすればアップとしては上々なのである。…さすがにキッツいんだけれども。
「そー言うなよ。投げ方さんの早仕上がりは嬉しい限りだぜ?」
「まー,そーなんだけどな」
「今年もケガ人の目処が立たない限りは相ちゃん忙しくなりそうだもんなあ」
「…ピッチャーじゃなくて良かったんだかどーだか」
「ま,オレ達にゃオレ達の調整があっから,ぼちぼちとペースアップしていこーよ」
「うん」
息を整えた後,上体を組んでストレッチを始めるオレ達を横目に,相沢は相変わらずなまんまのペースで周回を続けている。
シンちゃんも言っってるように,特にこの時期,個人個人で行うべき練習メニューは多種多様である。例えば,相沢の場合は簡単にヘタらない心肺と速球の土台たる足腰の強化のために,ランニングが主体。オレはとりあえず瞬発力の強化に効果のある練習の数々とケガ防止のためのストレッチの徹底,シンちゃんはソレに加えてパワーの強化のための筋トレ,と,まあそれなりに考えたメニューだ。
「ひー,つっかれたー」
「そりゃ一周400のトラックを30周もすりゃね」
「どーでもいいけどクールダウンはしとけよー。ケガのモトだぞー」
「わーってるよー」
ぐったりと横たわる相沢の横で,オレ達は相変わらずストレッチ。…風がないのが幸いしてか,それほど寒くないのはありがたく。
…年明けから早一週間。いつまでもノンビリなんかしていられない若手のオレ達は,三が日の正月気分もそこそこに切り上げて横浜へと戻ってきていた。戻ったその日に,寮に戻った組だけで,新年会と称して軽く宴会をした後は,午前も午後もこーやって地味に調整を続けつつキャンプの開幕に向けて準備をしているのでした。
#33
「…第2ターミナルの方で良かったんだっけか?」
がたごとと進む電車,外はもう地中へと潜ってて人工の明かりが時折駅のカタチに固まって過ぎる。
「ああ,この分だと間に合うかどーかビミョーではあるが」
対面にはベースボールキャップを目深にかぶった相沢の姿。練習終了後,本屋に寄ってから,洗濯の一つもしようかと考えていたオレを待っていたのは,有無を言わさぬこの男の強引な空港へのお誘いであった。
「えーっと,ANA-Rだっけか航空会社」
年明けの空港は人の渦,渦,渦。待合いのターミナルも,気を許すといつソレに巻き込まれないか分からないような状況である。そんな人の波をかき分けて,オレ達は北日本方面からの到着便のディスプレイを探す。
「えーと,あ,もう,着いてら」
見ると,プレートの示す到着時刻は15分前。
到着口は間欠泉のように人の波を吐き出し続けているご様子。
「祐一!」
人捜し風味の相沢が気づくよりも先に,その名前を呼ぶのは聞き慣れた美坂の声。
「あだ!!」
「遅刻!」
「ごめんよー。普段あまり使わないんで迷っちゃったんだよー」
ぷんすかと怒る美坂に軽く頭をこづかれる相沢。そーかそーか,美坂の怒りの矛先をちょっとでもごまかすためにこのオレを連れてきたって訳だな?やーい,アテ外れー。ざまみよ!
「祐一さーん!!」
いい気味,と思った相沢の胸に,オレの横を疾風のようにすり抜けて,タックルがかかる。
「わ!」
「どしたんだ栞,おまえまだガッコ…」
「えへへー,来ちゃいましたー♪」
見れば,ソコには美坂の妹,栞ちゃん。ダッフルコートに制服,と普段見慣れない姿でその甘えっ子な仕草のあどけない彼女は結構な破壊力のかわいさである。
「…はいはい,そのくらいで良い?さ,あんたはさっさと一緒に来んのよ?いくら推薦だからって,あんまり酷い点取られるのもあたしの沽券に関わるんだからね?」
電光石火のすかさずぶりで,そんな栞ちゃんの襟首をつかむと,サンカク目でお説教の美坂。
「痛い痛い痛い痛ーい!耳!耳!!耳ー!!!」
あーあーあー,耳引っ張られてるー。かわいそー。
「お,おい,香里人前人前…」
思わず止めに入る相沢と救いを求めるような涙目の栞ちゃん。
「うっさいわね!コレがあたしの教育方針なの!」
うわ,容赦ない。
「痛い痛い痛い!…か弱き乙女を人前でって耳のそばの髪はもっと痛いー!」
ああああ,痛いんだアレ。
「…うっわー,怖ー」
思わずちょっと引いてしまうオレ。が,引いたおかげで視界に気になるシルエットが飛び込んでくる。
「…」
見れば,ソコには,コート姿でボストンバッグを抱えた小柄な少女が物静かに佇んでいた。
「…ってあれ,キミは?」
先ほどからのちょっとした騒ぎに,何が起こってるのか分からないといった風情で,目を白黒させている彼女に思わず,声を掛けてしまう。
「…」
ぺこりと会釈する少女。静かな雰囲気ではあるのだが,少々癖のあるセミロングの髪と,幼げながら固めの美貌は正直すっごいオレ好み。
「ん,どした?北川」
姉妹ゲンカ仲裁のため苦闘中の相沢が話を何とか逸らそうと絡んでくる。
「…あ,いや,このコ」
「なんか,固まってないか?」
「うん」
…正直,,面食らってるんだと思うが。
「香里の毒気は強烈だからにゃー」
「なんですって?!」
ついぽろっと本音の相沢にすかさずツッコむ美坂。
「ごめんなさい!」
「早!」
何となく悔しいが,ほとんど夫婦漫才の間である。
「…ふふ」
同じように感じたのかは彼女しか知らない。が,彼女がようやく破顔する。
にこ,っという穏やかな笑顔がまた,大変に可愛らしい。
「…よくみりゃ,コートの下はウチの高校の制服じゃん」
ちょっと恥ずかしそうに,コートの前を合わせる仕草の女のコ。控えめな佇まいに似つかわしく,小さな所作が愛らしいのだ。少々感じるガードの堅さにわずかに覗く笑顔が大変にすとらいく。
「…あ,そだ。紹介まだだったわね?」
微妙に所在なげな彼女を察したのか,美坂が栞ちゃんイジメをやめてコチラへと近づく。
「うん」
「コチラは…」
「えーと,こちら,天野,天野美汐さん!私の友達なんですぅ」
紹介しようとする美坂を制して,栞ちゃんがどたた,っと合間に入ってのご紹介。そんな栞ちゃんに一瞬だけ目を丸くした後,
「…天野です。初めまして」
両足を揃えて,深々とお辞儀をする天野さん。育ちが恐ろしくしっかりしているのか,何というか,すごくお行儀の良い感じだ。
「コレはご丁寧に,ども!初めまして,オレ,北川。北川,潤」
マトモに頭を下げられて,少々舞い上がり気味のオレ。
「はい,去年,石橋先生のクラスでした北川先輩ですよね?」
早口でも,間延びしたしゃべり方でもない,小さいけれど良く通る声。見た目に受ける印象に似つかわしく,かつ,押しつけがましくない,凛とした声である。
「お,御存知で♪」
しかし嬉しい。知っててくれたんだ。
「はい,いつもテレビで応援しております」
しかも試合まで見てくれてるなんて!
「うわー,ありがとう!…あれ,ところで,この時期に,どうして?」
すっげえ嬉しい,んだけど,何でやろ?この時期ってば共通テスト近いはずなのに
「はい,実は…」
天野さんの話によると,3日後に横浜K大(美坂の在籍する大学)の推薦入試で,一緒に受験する栞ちゃんと共に美坂のお部屋に泊まり込みでいらっしゃったとのこと。一悶着有ったんだか無かったんだかなのであるが,(相沢のことさえなければ)基本的には姉バカである美坂のこと,元気になった妹と,その親友といっても良い友人の受験ともなれば労を厭わない世話好きなのであった。
「…お,栞,おまえにも友達いたんだな?」
と,オレ達の仲良さげな会話(?)に相沢が首をつっこんでくる。
「どーゆー意味ですか?」
ぷぅ,と頬をふくらませて抗議の栞ちゃん。さりげなくコートの中の相沢の胸に甘えるようにすがりつく。傍らの美坂の頭にツノの気配が見え隠れで,ちょっと怖い。
「…わはは,ごめんごめん」
と,そんな栞ちゃんをさりげなく避けるように,
「…しかも,こんなに可愛いコが…」
天野さんとオレの間に滑りこんでくる相沢。
「初めまして,オレは…」
あまりにも自然な感じが逆にイヤラシイ相沢。さりげない笑顔で歯まで光らせやがってるアタリが大変にムカ
「…相沢,祐一先輩ですね?存じております」
『可愛い』に反応したのか,少し頬に赤みのさした天野さん…っていかん,ソレは孔明の罠…
「わは。こんな素敵なコに覚えててもらえるなんてオレも果報…あだ!」
「…と,基本的にこーいうヤツなんで気を付けることね?」
「あだ!あだだだだだ痛い痛い痛い痛い耳耳耳ー!」
知らぬ間に相沢の後ろに回り込んでねじるように耳をねじり下げる美坂。声は氷点下。うわ怖!
「ちょっと隙を見せたらすぐコレなんだから,もう!ほら,さっさと歩く!」
「ひー!」
しかもそのまんま相沢を引っ張り,片手でごろごろと大荷物を引きずっていく美坂。
「あ,おおおおねえちゃんに祐一さん,待ってー?!待ってくださいー!!あ,ほら,天野さんも早くー!」
じたばたと自分の荷物を引っ張りながら,コチラに後続を促すちょっとおもしろい栞ちゃん。鬼モードの姉の勢いに飲まれてただ付いていくしか無さげである。
「…あーあ,ダメだこりゃ,って,さ,行こうか?
そんな3人に苦笑しつつ,呆気にとられる天野さんの荷物を預かって続こうとするオレ。
「あ!そんな,ダメですよ」
あわてて制止する,小走りな天野さん。コートの下にちらちら覗く制服とストッキングのコントラストの初々しさったら無いっす。
「一応プロスポーツ選手だぜ?軽い軽い!」
「いえ,そんな,指にケガなんかされちゃったら…」
恐縮しまくる天野さん。くう,この気遣いが嬉しいなあ。
「気ぃ遣うなって。ちゃんとケガしないように気はつけてっからさ」
「でも…」
「さ,行こ!連中ずんずん先に行っちまうぜ?」
もとより,レディには優しいのさこのオレ。ちょっとはカッコつけさせてくりゃれ!
「すいません」
そんな天野さんを引き連れて,美坂達を追って地下のターミナル直結の駅へと向かうオレなのでありました。
頼む,コレがフラグであってくれ!←青少年
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