満塁の3塁側のスタンドは今にも爆発しそうなほどの熱気をはらんでただただ熱く。
そりゃ,そうだ。彼らにとってはもう既にペナントは手中の玉そのものであり,後はそれをどれだけ早く愛おしむことが出来るかだけが重要事。
そしてオレ達がこの回点を得ることが出来なければ,その瞬間がその時となるのである。
オレが初めてこのスタジアムに登録選手として足を踏み入れたのは5月の蒸し暑かった土曜日の午後。
そしてただただ圧倒され続けるゲームの連続。
どう頑張ったところで届くはずのない,あの旗を絶望的な気分で見上げた夏の夜,我が高校来の相棒はオレとロッカーを並べた。
それから何試合を重ねたのだろう。
早かったこの数ヶ月を思いつつ,オレは手に馴染んできたマスコットバットを握る。
いや,耽るほどの感慨も,本来オレ達にはない。でも,今まで生きてきた少ない年月の中で,これほどまでになにかにのめり込んで汗を流し,なにかを求めたことはなかった。
「もう若手主体で来年モード」
影でそう言われながらのオレ達のデビューシーズン。しかし,んな簡単に決めつけられるなんて,少なくともオレ達はノーサンキューだ。
簡単にナゲてしまうようでは,残って必死に応援してくれるオレらのファンに腹かっさばいても申し訳立たない。
「2点だな」
届くかどうかは,神のみぞ知る。オレは馴染んできたヘルメットを被り,ネクストバッターズサークルへと向かう。
「オレまで打席を回すんじゃねえよ?」
横を通り過ぎたときにそういって笑った,相沢の瞳は,ドコまでも穏やかだった。
#13
「くっ!」
コレで,ストライクゾーンへと入り込む球は6球目。
ムラタさんは露骨にフォアボール狙いでカットを重ねている。
あわよくば一発を,との考え方で打席に入っていたようだが,この緊迫した場面では失投を除いて甘いコースへは入ってこない。明らかな誘い球は軽やかにスルーし,きわどいコースはとりあえず当ててしのいでいるのだ。
スコアボードは2−3−0。マウンド上には今回からのアンドウさん。京阪の誇る中継ぎ−押さえ陣の中核とも言える彼は,今回も調子は上々の様。
「ストライク・バッターアウト!」
ムラタさんは結局10球あまり粘ったものの見逃した内角球は無情にもストライクの判定。
「ちっくしょー…」
引き上げてくるムラタさんと視線が合う。
「…頼んだ」
心底悔しそうなムラタさん。アンドウさんは返球を受けてマウンドを慣らし,内野陣の守備位置の確認を行う。
こく,とムラタさんに向けて首を縦に振ると,ウグイス嬢の名前のコールを背に,オレは打席へと向かう。
『バッター,キャッチャー,北川。背番号51。バッター,キャッチャー北川,背番号,51』
湧き上がるコールは,あと2アウトを期待しての爆発的な三塁側と,なんとか勝ちに繋げて欲しいという一塁側とで綺麗なコントラストをつくっている。
馴染ませたプロテクトギアを確認するとオレは軽く素振りをして打席へと入る。
「きったがーわーくーん!」
相変わらず手でメガホンを作って精一杯応援してくれてる舞佳ちゃんに美坂。
その姿を目の端で捉えつつ,今回は特に集中だ。
京阪守備陣は引っ張ることの極端に少ないオレを意識しているのか,一,二塁間が若干広め,三遊間が狭まったシフトを敷いている。
アンドウさんはマウンド上で投球体勢にはいる。
何とかして,塁に!
「…!」
どす!
球威の乗ったストレートが高めの内角に決まる。変化球から入ってくると思い,打つことを考えてはいなかったのだがやられてしまった。
オレは次の配球をある程度変化球に絞ってコースを予測する。おそらく次は…
「ち!」
ヤノさんがそう舌打ちしたときにはオレのバットは緩いインコースよりの変化球を右翼方向への強めの打球に変えていた。
芯を少し外した!なんとか引っ張ってみたが,一,二塁間の一塁側に寄りすぎた打球はバウンドして一塁手のミットに収まる。
ベースからはかなり外れて,しかも体勢を崩しながらの捕球にオレは祈るように一塁へと全力疾走する。
「セーフ!」
「やた!」
オレは心の中で小さく快哉を叫ぶとオーバーランした一塁に帰塁する。スコアボードには「E」の文字が点灯した。内野安打でもおかしくない当たりではあったが,この際塁に出られれば関係ないのだ。
…何とか,帰ってやる。
代打を告げられ,ボックスへと戻る相沢の姿を塁上から見つめ,オレはそう誓うのだった。
「…」
ベンチからのサインは,エンドラン。次の回に引っ張るより,今回で決めにかかろうという一種のギャンブルだ。
バッターボックスには左のベテラン,スズキさん。過去に首位打者を2回取ったほどの好打者ながら,後半戦はけがや不調もあって代打からの出場になることが多い。しかしながら,こういった場面でのスズキさんは結構期待出来るのである。
オレはマウンドのアンドウさんをフォームをチェックしながら多少大きめにリードを取る。
「セーフ!」
牽制球。
こちらを振り向いた瞬間のダッシュ帰塁で,そー簡単にアウトはあげないつもりのオレ。
この足で一軍の座を守り続けているオレとしては,ココでのミスは許されないのである。
また,同じように一塁ベースからリードを取る。
そして本塁方向へと投げるべく,アンドウさんの足が上がる。
ごー!
「…あっちゃー」
何とか二塁でアウトになることは避けられた。しかしながら三遊間を抜けようとかという当たりはフジモトさんの好補に阻まれスズキさんを一塁でアウトにする。
「あと一人!あと一人!」
球場が轟音に揺れる。
京阪タイガーフリーツ,十数年ぶりの優勝まで後アウトカウント一つ。オレが生還出来なきゃ,ソレが決まる。
『バッター,ライト,シンカイ,背番号55!バッター,ライト,シンカイ,背番号,55!』
悲鳴のような声援が起こる。代打を送られなかったシンちゃんの後ろで,京阪ナインがその瞬間に備えてもうベンチを飛び出す様子を見せている。…まだ,早いよ。シンちゃんを,舐めるな。ミート打ちさせればそんなに簡単に打ち取れる相手じゃないよ。先輩方には失礼ながら,残る左の代打よりはかなり信頼度が高いのだから。
オレは,ベースから離れ気味にリードを取る。もちろん,ピッチャーのモーションは最大限気にしながら。
「…お疲れ!」
相沢は,スポーツドリンクの入った紙コップをオレに渡す。
「…相沢…」
「…んだよ,その『この世の終わりが来ました』ってツラは…。それとも,オレの給仕ではご不満か?」
「…相沢…」
「…早く着替えろや。飲みににでるぜ?シンちゃんも誘ってさ?」
そういって,笑う。ナニゴトもなかったかのように。
「…すまん…」
悔しくて,流す涙が,こんなに苦いモノだったなんて,今の今まで思いもしなかった。そう,思いもしなかったんだ…。
シンちゃんの打球は,センター前に抜けた。オレは腕をぶん回すサードコーチを横目に,全力でホームへと向かい,確かにタッチよりほんの一瞬早くホームベースへと滑り込んだ。
手応えは,あった。あったんだ。
「そんな!」
でも,審判の判定はアウト。ベースラインでのアングル的にはかなり微妙だったかも知れない。しかし,捕球のためベースから離塁してたヤノさんのタッチよりは明らかに早かったんだ。
オレは抗議した。万雷の拍手と紙テープと紙吹雪が渦巻く京阪チームとファンの作り出す歓喜の中,審判にそれでも抗議した。
コーチの方も監督も一緒に抗議してくれた。
しかし,判定が覆ることはなく。
力無く立ちつくしていたオレは,相沢とシンちゃんに慰められながら,大歓声と始まった優勝監督インタビューを背に,フィールドを後にしたのだった。
こうして,本年度のペナントレースは京阪タイガーフリーツの優勝で,ココ横浜ビッグスタジアムで幕を下ろしたのだった。
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