悲鳴のような歓声が耳をつんざく。
サエキさんが当たりそこねのラッキーなヒットとはいえ出塁を果たすと,ムラタさんはフルスイングを重ねた挙げ句死球を選んだ。
慌ててマウンドに向かう京阪のキャッチャーのヤマダさん。マウンドの中心に内野陣が集まっているが,中心のイガワさんに特に変わった様子はない。ベンチも多少動いているようだがコレと言って動きも見られない。
幸い,代打のコールはされなかった。
オレはマスコットバットをボールボーイのバイトのにーちゃんに渡すと,ヘルメットを目深に被り直し,プロテクターを確かめつつ軽くストレッチをして打席へと向かう。
ワンアウト,満塁。
初めてチャンスらしいチャンスを迎えたこの重要な局面で,左打者にもかかわらず(イガワさんは左投手なので一般的には右打者の方が有利とされる)
打席に入れるってコトはオレもそこそこ信頼されてきたのかな?とも思う。
「うし!」
バットを股間に立てかけて,ぱん,と両頬に気合いを入れる。手袋越しなので実はそれほどいい音はしないのであるが。
#10
「何とか,繋げたろ」
必要以上に力んじゃうといい結果が出ないのは解ってる。自分のことの場合この辺お気楽に構えられるのが我ながら,…って自分褒めすぎだね今日は。
ま,まあ,極力柔軟に対処出来るようなスタンスで何とか
「かっとーばせー!きったがわー!」
おお,黄色い歓声!コレだよこれこれ。女のコの声援ってのがこゆ時一番チカラになるって…おお?!
「かっとーばせーきったがわ!」
聞き覚えのあるその声に,つい視線が釘付けに。
ま,まままままままま舞佳ちゃん!それと美坂!フェンスの向こうに舞佳ちゃんと美坂が!
ボディラインも露わなタンクトップにシースルー気味の薄手のブラウス,ミニスカデニムにニーソの舞佳ちゃんとジーンズとTシャツにやはり薄手のブラウスの美坂のお二人は,ソコだけ花の咲いたよう!
両手でメガホンを作ってオレの名前をこーるしてくれるそのお姿は可愛らしいことこの上なく!
あ,ああああああああなんてこった逆に緊張して来ちゃったよどーしよ!
ぱん!
初球の甘いストレートがそんなコトしてる間にミットに収まる。幸いわずかに外れてボールだったから良いようなものの危ないところだった。
「あーコラソコのスケベ!何やってやがる仕事中だぞこのバカ!」
すかさずネクストバッターズサークルの相沢からツッコミが入る。
混乱の原因も分かってらっしゃるこのお方。く!負けず劣らず目がいいぜこのやろ。でっかい汗マークをユニフォームの背中に貼り付けながら,オレは集中しなおすことにする。
「そうしろ北川!」
半笑いの相沢の声。…つうかオレの心が読めるのかコイツ。
「余計なコトは考えんなよ?」
…すいません!何だか知らんが超すいません!真面目に!真面目にやりますので!
ぱすん。
集中中に第2球。しかしながら今度もキワドイコースが外れてボールに。
「超ラッキー♪」
ええいウルサイぞソコの相沢!まさか味方から囁き戦術を食らうとは思っても見なかったわ!
「いや敵を欺くにはまず味方からって言うし」
欺いてへん欺いてへん!と言うかなんだそりゃ意味わかんないし!…ってマジでエスパーかアンタってどわ!
ばすん。
今度は重そうなストレートだった。若干高めだけどストライク判定。いかんいかん,今度こそ集中集中!
「かっとーばせーきったがわ!」
よしよし,今度は大丈夫。見てろよ舞佳ちゃんに美坂。思わず惚れそな一発を今って嘘!真ん中やん!
反応したのはアタマよりもカラダの方だった。球種はサークルチェンジだったと思う。思っていたよりも早く,カラダが勝手にタイミングを取っていた。バットが先に出てしまったのである。しかし,何が幸いするか解らない。
おとなしかった横浜スタンドが沸きかえる。鋭い打球はショートのやや右を抜け,センターへと転がっていく。タムラさんとサエキさんがホームを駆け抜けていくのを,一塁ベースを走り抜けながら横目で確認する。
タイムリーだ!
思わず右手を振り上げ,ガッツポーズなどしてしまう。コーチャーズボックスのコーチも嬉しそうにぱんぱんとオレの尻をはたき,プロテクターを受け取ってくれた。
ネクストバッターズサークルの相沢の方を振り向くオレ。相沢の表情はよく見えなかったが,わずかに口元がほころんでいるのだけは解る。
…何とか,ココで逆転まで持ち込みたいところ。ゲッツーを避け,確実に塁を進めるために相沢は送りバントを決めに行く。
「おし,いい仕事だ相沢」
二塁ベース上にオレ,三塁にはムラタさん。手こずりながらも何とか一塁方向に打球を転がした相沢は,ほっとしたように自分でバットを拾い,ベンチへと引き上げる。
次打席のアイカワさんに望みを託して。
「おー,気合いだよアイカワさん」
いつもよりも(失礼)鋭い眼光のアイカワさんがマウンド上のイガワさんを睨め付ける。オレもムラタさんもベースからリードを取って投球を待つ。
「…おわー」
球場がどよめいている。
打席でうずくまるアイカワさんと心配そうに見つめるヤノさん。ベンチからトレーナーが飛び出してきて,ぽんぽんとアイカワさんの腰を叩いている。
バツ悪げに頬をぽりぽりと掻き,天を仰ぐイガワさん。
他のベンチのみんなも,苦笑してみたりひそひそ話をしてみたり。
男ならではのあの痛み。オレはアイカワさんのために,ちょっと泣いた。
イガワさんの投じたストレートは,手元が狂ったセイかどうかは知らないが,アイカワさんの股間を直撃してしまっていたのでした。
結局,アイカワさんは治療のため交代,本日出番の無かったシンちゃんことシンカイ君が代走に入った。
軽くアイコンタクトして,次打者のイシイさんの打席入りを待つ。
しかし,結果的にはイシイさんは粘ったもののファーストゴロに倒れ,追加点はならなかった。横浜サイドの観客席からは,ため息が。その逆サイドからは歓声の上がる7回の裏であった。
「え,オレですか?」
今日最大のビックリは,ベンチに引っ込んだ直後であった。
監督からマスクを被るよう言い渡されてしまったのである。
「お,とうとう本業デビューだね北ちゃん」
シンちゃんが笑いながら声をかけてくる。確かにそーだ。考えてみれば一軍で,しかも公式戦でマスクを被るのは今日が初めてなのである。
正捕手のアイカワさんがあー言った事態であり,ナカジマさん,ツルオカさんをケガで欠く現在ベンチ入りの捕手はオレを含めて二人。んで今回はたまたまオレだったのであろう。相沢の球をなんだかんだでしょっちゅう受けてるってのも理由っぽくはあるのだが。
「…パスボールしたら,どーなるか解ってんだろーな?」
左手をグラブに馴染ませながら相沢がさらっと。
本気だ。軽口な口調だけどアレは本気だ。
「えーい,じゃっかましい。テメエこそちょっとでも悪かったら即交代させてやるからな!」
主導権取られっぱなしはヤなのでアカラサマに虚勢を張ってみたり。
「おー,よう言うたソコの癖毛。んじゃヘマった方が次オゴリな?」
「…おーしいいだろう。乗ったるわソレ」
「ねーねーオレは?」
「シンちゃんは確率低いのでダメ」×2
(俺たちに比して)守備機会少ない上に元々上手なシンちゃんをユニゾンで撃退する。
「ちぇ」
と,ともかくとうとうキャッチャーデビューだ。ガンバラナイト。
|