タイト・ホールド・ファニチュア

「ほぁっ!」
「……」
「……」
「……」
「へぁっ!?」
「うるせえな! 泣かすぞ!」
「うわん!?」
 雷が鳴ると同時に奇声を上げる彼女の後頭部に手刀一閃。
「何するんですかっ」
「うるさいの。お前はあれか、音に反応するとかそういう玩具か何かか」
「だ、だってびっくりするじゃないですか」
 膝にキながら患部を押さえて恨めしげに振り返るはちょっとした画家、美坂栞。
 鍛え上げられた右腕による手刀を繰り出したるは黄金週間を経て再び厭戦気分の企業戦士、相沢祐一。
 梅雨前線の勇猛な前進日本国を南部より舐めるようにその支配下に起き、各地にて半透明の白旗が揚がりまくる5月も半ば過ぎ。
 夕方から予報されていた通り雨はそのまま本隊と合流したのか、暴風雨に加えて条約違反とでも呼ぶべき悪夢の兵器「サンダーボルト」を携えて、彼らの住む街までへも侵攻してきた。
 栞は20も過ぎたというのに子供っぽさが抜け切らず――或いはそれがコアなファンの心を掴む絵を描く才能となっているのかも知れない。天才は時に変態だ――稲妻を視認し雷鳴を聴取しては奇声を上げて喜んでいるのか怖がっているのかあるいはアレなのかという遊びに興じている。
 対する相沢家嫡男祐一は週末だというのにこの天気、おまけに持ち帰った残務処理に追われていて、自由業の強みを発揮させて頭の悪いホリデイを過ごすこの恋人が恨めしいことこの上ない。チョップの1つや2つは出るのである。抜き手で咽喉を葬り去らなかっただけ感謝しろと思ってもいる。
「……今何の仕事してるんですか?」
「卸し先に明細作ってるの。何十件もあるの。しかも俺エクセルをいまいちよく解ってないの」
「はぁ」
 なんだか解らないが大変そうだな、頑張るなぁと心底思いはするがとりあえず卓上のプリッツを栞は口にした。ポリポリという乾いた音は祐一の逆鱗をチョコチョコする響きが含まれている。
「畜生栞はヒマでいいなオイ」
「ひ、ひまではないです」
「雷に弄ばれてるのにか」
「だって個展も終わっちゃいましたし、祐一さん忙しそうで」
 雷鳴。
「あぅあ!?」
「本当に裏切ったんですかー!」
「……あ、え?」
「いやいい。もう古い話だし。ともかくだな、俺は限界だ」
「はい」
 ノートパソコンから手を離し、体を座椅子に預けて祐一は腕を組んだ。こういう時に、彼は変な話をしだすというのを栞はよく理解しているので、居住まいを正し聞く体勢に入る。
「湿気いくつ?」
「80ぐらいじゃないですか?」
「浸水してるようなもんだよな、もう」
「浸水はしてないですけど」
「ジメジメするわ雷は鳴るわ栞はアホだわで俺は仕事にならない」
「さ、最後の1個は取り消してく」
「出来ん」
「早い!?」
「梅雨なぁ……梅雨……」
「ダウナーですね随分」
「面白いことあるか? 梅雨。ジメジメするわ雷は鳴るわ栞はアホだわナマモノはカビるわ」
「ああ、もう梅雨の私はアホなんですね……」
「そういえばお前のお気に入りのソファ、カビてるぞ」
「うぇ!?」
 言葉の応酬中にも関わらず、栞は最速で立ち上がり、リビングのラブソファに飛び付いた。次いで全身を入念に調査する。5分と待たず、慌てた顔は嫌そうな顔になっていた。
「嘘吐きましたね」
「あぁ……」
「カッコよく言ってもムカつくだけですっ」
「とまあ、梅雨なんて面白くもなんともねえワケだ。栞を操る以外」
「私は祐一さんのロボか何かですか……」
 げんなりする著名画家。満足げに頷くリーマン。
「うーん、でもそんなに面白くない事ばっかりでもないんですよ」
「なんだと!?」
「なんでもう怒ってるんですか!?」
「いや、うん。で、例えば?」
「そうですね、例えば紫陽花とか」
「定番だな。次」
「……かたつむり」
「面白いかアレ? 次」
「え、えと、雷」
「お前だけだ」
「そんな事ないです! 雷が面白い人もいっぱい居る筈です!」
「何でそれだけ強硬に主張するんだ」
 やや引き気味の祐一に気付いてか、画家はコホンと作り物の咳払いをして、つつと膝を祐一に寄せる。
「前向きになることですよ。雨嫌だなぁ、湿気嫌だなぁと思わないで」
「頭の中が常に小春日和だからなぁ栞は」
「なんですと! ……あ、でもそれ外れてないかも知れないです」
 一瞬だけ怒った顔を見せてから、栞はにへらと笑う。
「ホラ、女は幸せになるとバカになるって」
「そうなの?」
「気の無い返事をされてもバカなので私にはよく解らないんです。雨が降ってる、湿気がすごい、雷楽しい、祐一さん面白い、みたいな」
「俺は季語か」
「年中通して私の中で使える季語ですけどね」
「……なんて恥ずかしい事を」
「まあ家具がカビたりするのは嫌ですけど、掃除とか模様替えのきっかけにもなりますし。雨が降るのは鬱陶しいですけど、晴れた時に倍気持ちいいですし」
 こういう物の考え方は、祐一には無い。こうだからこう、という良く言えば理路整然、悪く言えば凝り固まった発想がメインだ。だからか、栞のこういう言葉が多少くすぐったくても好きだったりする。
「栞はバカだなぁ」
「今すごく良い事言ったような気がするのにですか……」
 げんなりする著名画家。頷くリーマン。
「いやでも、そういう発想は羨ましい」
「そうですか?」
「俺にはちょっとなぁ」
「……昔、お布団がカビちゃったことがあるんですよ。まだ私の体が健康な、小学生ぐらいの頃ですけど」
「うん」
 香里が出てくる話だな、と祐一は思った。故に、相槌は簡素にした。
 栞は、姉の話をする時、決まって節目がちになる。それは無論、思い出すのが嫌だからではなく、誇らしい気持ちとこうして語れる喜びを噛み締めているからだ。その表情は漸く年齢相応の魅力があって、祐一はいつもこうならいいのにと内心彼氏バカをやる。
「私の上掛けだったんですけどね。予備とかも無くて、でもひんやりした日で。上掛け無しで寝ちゃうと風邪引いちゃいます」
「そうだな」
「それにワガママでしたから、私。あの布団じゃなきゃ嫌だ、ってきかなくて」
 揃って苦笑。雷が鳴ったが、栞はちらと窓の外を見ただけである。
「そうしたら、お姉ちゃんが一緒に寝ようって自分の上掛け持って私の部屋に来てくれたんですよ。それがすごい嬉しくて、カビちゃった布団のことなんかすっかり忘れて、大喜びしたんです」
「目に浮かぶようだな」
「だから、悪いことばっかじゃないんですよ。だってあのソファがカビても」
 言いながら、栞は素早く祐一の胡坐に体を投げ出した。骨っぽい体が少し突き刺さって、痛くもあるがそれも愉快だった。
「祐一さんの上でゴロゴロしますし」
「家具代わりか俺は」
「大丈夫、祐一さん優しいですから」
「そういう事を言ってるんじゃない。暑苦しいし!」
「そういう顔もこういう時しか見られないレアなものですよね」
「……前向きというか、アホだな」
「だって幸せですしぃー」
 照れ隠しに頭を軽く小突いた祐一に、栞は全てわかっているようにだらしなく笑った。
「残務処理はやめた」
「え?」
「このまま、俺に取り付いた貴様に後悔させてやる」
「うぇっ!?」
 力をこめて栞を抱きしめると、やはり彼女は妙な声を上げた。
「こんなガッチリホールドな家具なんて聞いたこと無いです」
「それが俺」
「……ま、いいんですけどー」
 含みの有る台詞と共に顔を上げた彼女に、祐一は応えた。
 そもそも雷に合わせて声を出したりしている辺りから、栞の構って作戦は始まっていたのであるが、彼氏バカなサラリーマンはそれを知らない。
 室内が蒸し暑いので、この辺で。

END

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