Kiss Will Make me Move
「で、半額に」
「そうなんですよー」
へろへろと長ネギを振りながら倉田佐祐理はへろへろと笑った。女子の顔筋肉は不思議だと思いながら、店頭価格の半額になったらしいその長ネギを戦慄の眼差しで眺める相沢祐一。
「不思議ですよね」
「いや、不思議過ぎ」
「佐祐理は基本的にこう、もう少し安い方が懐が暖かいな、なんて思いながら見てるだけなんですけど」
「黒魔術の類だなもう」
「はー」
なんだか解らないが祐一さんは難しい事を言うな、とばかりにちょっと凛々しい顔を作りながら頷く佐祐理。
親元を離れて1人で暮らすようになった佐祐理と、彼女の成績に見合うよう臨死の努力を続けて後追い入学した祐一が、そのうちお互いの部屋の敷居を特に気にしなくなるまで、そう時間はかからなかった。
倉田佐祐理が抱えていたあまり明るくない感情を相沢祐一という馬の骨が特有の人間味でそれとなく取っ払ってしまったのが2人の関係の始まりではあった が、今となればなるべくしてなったバカップルとして学内でも名を馳せつつある。それでもゆるいお姉さんと甘え上手の弟の構図は見る者を不快にさせないの か、入学当初津波のように押し寄せていたと伝説になりつつある倉田佐祐理を落とし隊の影も見なくなって久しい。
そうして今日という日もまた、ゼミ生との会合をやんわりと回避――実際は気を使われたのだがそういう事はあまり気にしない2人でもある――した佐祐理と合流し、二手に別れての夕食買い出し、帰宅の流れである。
「で、今日は何を作るんですかね佐祐理さんや」
「今日はお肉が安かったので四川風に炒め物なんかをちょろっと」
「ちょろっと」
「はい、ちょろっと」
言いながら器用に長ネギをバトンが如く一ひねりしつつ包丁を鮮やかに振るい始める佐祐理である。ちなみに祐一の仕事は過去もそしてこれからも恐らくテー ブルセッティングだ。暦の長い彼にかかればこれは一瞬で済んでしまうので以後は新妻の様相な彼女の仕事振りを眺める作業に集中する。主にヒップラインとか に集中する。
「あ、佐祐理さん」
「はーい?」
トントンといいリズムを刻みながら肉も刻んでいた手を休め、佐祐理が首と上体を軽く祐一へ向ける。その際頬に下りてきたサイドの髪を小指で払う仕草がなんとも言えないエロチシズムを醸し出していると思った相沢オッサン臭い祐一。
「今日佐祐理さん宛てにラブレターを預かり申した」
「そうですかー」
「経済学部にお住まいのイケメンさんからのお便りです」
「それは祐一さんが佐祐理の彼氏さんだと知っての狼藉ですか?」
「そのご様子」
「あははーっ」
佐祐理はよく笑うが、「あはは」という形態の笑い1つ取っても様々な感情が込められている事は、恐らく学内で祐一ぐらいにしか解らないだろう。
ちなみに今回のは「目は笑ってない」というやつである。物腰柔らかな彼女のそういう部分は実に恐ろしいと思っている祐一だった。
「読み上げましょうか上様」
「その儀に及ばず、ですねー」
「御意」
あはは、と極めて短く、言わば鼻で笑うが如く流す佐祐理。心底素敵だと思う彼氏バカ祐一。
刻み終えた豚肉をボウルに移し、今度はソースの製作に取り掛かる佐祐理を横目に、祐一はゴミ箱へ件のラブレターを投棄した。内心供養とお悔やみの言葉を申し上げつつ唾も吐きかけておく。
「というか、何を食べたらそれだけ丈夫な顔の皮になれるんでしょうか」
「うーん、佐祐理さん可愛いからなぁ……」
「もー、今日は褒め殺しですか?」
この手の言葉を投げかけてもキチンと喜ぶ素振りを見せてくれる辺り優しいなと癒されたりするバカ彼氏祐一。
「まあ、ツラの皮っていうかね。彼の場合はちょっと色々あって」
「はあ」
「ま、その話は後で後で。お腹空きすぎてお腹痛くなってきた」
「それは大変」
クスクス笑って作業の手を早める佐祐理を眺めながら、事の流れを思い返す。
成る程確かに、不自然な2人ではあるのかも知れないな、と思わずにはいられなかったのだ。
佐祐理が何故祐一に対して丁寧語を使い続けているのか。
年上である、恋人である、付き合いは高校から、といった点のどれを取っても、おかしいと言えばおかしかった。
外から見る2人の物理的な距離は友人や知人のそれではないのに、話し言葉だけはどこか窮屈である事は、祐一が別のケースとしてそうしたカップルを見たとしても首を傾げざるを得ないだろう。
「出来ました、よー」
「待ってました、よー」
よーの前に力を入れたらしい佐祐理から料理の満載された皿を受け取り、テーブルの中央へ。唐辛子系の鼻の奥に作用する辛そうな香りと、見た目にも辛そうな赤いソースの良く絡んだ炒め物。見るからにご飯3杯ルートである。
「いただきます」
「はい召し上がれ、いただきます」
揃って手を合わせ、食事開始。やはり白米3杯ルートの味だった。
次から次へと料理を口へ運ぶ祐一を佐祐理は嬉しそうに見つめる。まるで、それこそが栄養だと言わんばかりだった。
だから、更に気になってはくるのだ。
「ごちそうさまでした」
「はーいお粗末さまでしたー」
パンと手を合わせて礼を述べ、それをふにゃりと受け取る佐祐理の構図もいつもとなんら変わらない。だから、本当にこれでいいのだろうとも思う。
それでも祐一は誰かに、或いは過去の彼女に突き動かされていた。
「ね、佐祐理さん」
「はい?」
取り皿や茶碗をまとめようとしていた手を止め、佐祐理は浮かせかけていた腰を椅子へ戻した。こういう察しの良さは単純に有難いとも思う。
「さっきの手紙の話」
「あ、はい」
「俺彼氏なんですけど、って送り主のイケメンさんに言ったんだけどさ」
「はいはい」
「にしちゃあ、敬語なんか使わせちゃって変な雰囲気だよね、って言われちゃってさ」
「……」
そこまで口にした所で、佐祐理の空気が一変するのが解る。それは多分祐一にしか感じ得ないことなのかも知れないが、この場に限っては特に嬉しいものでもなかった。
「続けるよ?」
「はい」
今日最も硬い「はい」という返事。
「うん、それでまあ、俺も結構色々考えちゃうからさ。思春期だし」
「色々、ですか」
「色々ですよ。とどのつまり」
「佐祐理は祐一さんを何とも思ってないんじゃないか、ですか?」
「……そこまで過激な事は言いたくないんだけど。まあ、根っこの部分はそうなのかなぁ」
痒くもない頭を掻きながら、佐祐理の聡明さに祐一は内心恐怖感すら抱く。
彼女の生活環境、彼女の弟の生活環境。
そういうものの一部も、勿論知ってはいる。だから付き合いだしてからもずっと、これはタブーのような部分もあったのだと再確認。
佐祐理は暫くの間空っぽになった茶碗を眺め、それからすっと祐一に目を合わせた。美人だ、と掛け値無く思える顔立ちの、少しだけ薄い唇が開く。
「弟の話を、以前しましたよね」
「ええ」
「……あれが、単なる意地だっていうのはよく解っているつもりなんですよ」
「はい」
敬語を使わなかった男性は弟以外に居ないという事実。
確かに人が聞けば滑稽なだけかも知れないが、それが彼女にとってどれだけの意味を持つか。
「あの時の気持ちを今でも引っ張り出すなら、確かに佐祐理は祐一さんの事を何とも思っていないのでしょうね」
ただの仮定の話だが、しかし祐一にとってこれは後頭部をガツンと鈍器でやられたような、そういう響きだった。
それだけ深く彼女を愛しているし、故にそんな言葉だけは絶対に聴きたくなかったという事だ。
「佐祐理さん」
「友人も殆ど作る事が出来ませんでした。そういう佐祐理の隙間に、どうしてか祐一さんはすんなり入ってしまわれて」
「……」
「だからこれは、佐祐理にとっては別の問題というか」
「別?」
「ここでまた、祐一さんに佐祐理のすべてを曝け出して、何かの拍子に祐一さんとの関係が終わってしまったらという話です」
「それは」
「絶対に無い、って言えますか? 明日、車にはねられてしまう可能性を否定できますか?」
「そんな事まで言い出したら」
僅かばかりに身を乗り出しながらの佐祐理の言葉に気おされながら、それでも祐一は目を逸らさない。
「仮定の上塗りは宇宙まで行っちゃうよ佐祐理さん。だったら、俺なんか居なかった方が良かった?」
「そんな事は」
「弟さんもね。居てくれなければ良かったとは思わなかった筈でしょ。だから、俺はその時の気持ちについては何も言えないし言わないよ」
「はい」
「俺が言いたいのはさ、別に佐祐理さんがずっと敬語でもいいから、何というかこう、一度ハッキリさせたかったって言うのかな」
「ハッキリですか」
「俺は誰かの代わり?」
言うと、佐祐理の顔に驚愕と悲嘆が入り混じったような色が差した。
ゆるいお姉さんと甘え上手な弟のようなカップル。
それは多分、佐祐理にとって揺り篭めいた空気を含んでいるのかも知れなかった、と彼女の顔を見て祐一はふと思う。
「そうじゃないなら、なんだっていいんだ。姉弟みたいね、なんて言われても」
「ごめんなさい」
「謝られると、どっちに反応していいか解らないぜ!?」
わざとおどけて見せると、佐祐理もやっと、無理矢理のような笑顔を作ってくれた。
それから席を立ってゆっくりとテーブルを回り、祐一の傍に立つと、少し長い前髪を掻き上げてくれる。
「子供の戯れ、なんでしょうけど」
「うん」
「お休みのキス、というのを弟とよくしていました」
「それは羨ましい話」
「そうですか?」
「そりゃ」
最後まで言い切らせる事無く、佐祐理は両腕を祐一の首に回し、唇を押し付けた。正しく押し付けるといった仕草で、ちょっとよろめきながら祐一は彼女の体を受け止める。
割って入ってくる舌はお互いにせめぎ合い、譲り合い、口腔を1つに融合させるように丹念に執拗に這い回る。
そうしてようやく離れた唇と唇に銀の弦。
恐らく、彼女と付き合いだしてから、最も情熱的だったかも知れないと熱っぽくなりつつある頭で祐一は思う。
「弟とのキスはこんなじゃないですよ」
「……」
「不安にさせちゃうのは、佐祐理が頼りないお姉さんだからですよね」
「でも佐祐理さんは俺のお姉さんじゃない」
「はい」
「あれ? 俺、変な心配した?」
「いいえ」
それからまたごめんなさいと謝って、同じようなキスを佐祐理はせがんだ。
離れた唇から、愛してますよ祐一君という言葉が漏れて、何かがちょっとだけ動いたのかなとまた祐一はぼんやりと思った。
ゴミ箱でクシャクシャになっていそうなラブレターに小さく感謝と投げキッスを、送る。
[おわり]