惚
「寒くなってきましたね」
カーディガンを羽織りなおし、美汐は首を竦めた。直後、甲高い音とともに冷たい風が吹き抜ける。
対して祐一は微動だにせずちょっと美汐の方に目をやるだけだ。
「そうだな、大分過ごしやすくなってきた」
「寒さがお嫌いなのではありませんでしたか?」
「勿論好きじゃないけど」
北国の冬は早い。秋だ、と思っていられる時期はそれこそ秋の空の如くすぐに表情をかえ、木枯らしとなって街を包む。そろそろ夜間にでも初雪が観測されるのではないか、という程に冷え込み始めているこの地域でも、それは変わらない。
ふっと吐く祐一の息も、僅かに白かった。
「慣れた」
「慣れちゃいましたか」
「慣れたらまずいのか」
「そういうわけではありません」
「時間が経てばなぁ。嫌でもそれが普通になるだろ」
「そうですか」
相沢祐一が天野美汐と交際を始めて、既に三年になる。実に三度の四季を、時に寄り添って過ごしてきた。
ゆえに、彼女のちょっとした雰囲気の変化にも、敏感に反応出来る。「そうですか」と呟いた美汐の眉が動いたのを、祐一は見逃さなかった。
「何か不満?」
「いえ、別に」
「美汐は隠し事下手なんだから。言いたい事があるなら言ってみな?」
「下手ではありません」
「ムキになる所が怪しい」
「怪しくなんてありません」
「へえ」
笑う。
美汐は、こういう時の祐一が少しだけ苦手だ。からかうという程ではないにしろ、反応を見て楽しまれるというのはあまり良い気分にはなれない。かといって嫌いかというとそうでもなく、要するに彼女もまたこれはこれで楽しんでいるという事だった。
それでも、今回のは少しばかり引っかかった。もう十九になるといっても、これが彼女の恋愛観なのだ。
「慣れた、と仰いましたよね」
「言った」
「時間の所為ですか?」
「まあ、そうだな」
「……」
「気になる事でも?」
「マンネリ、というやつではないかな、と」
言いながら祐一を見上げる美汐の表情は至極真剣だったが、祐一は気の抜けた表情になってしまっていた。あの、大人しさと無口さと無愛想さと初々しさを絵に描いたような美汐の口から「マンネリ」という言葉が出てきた事に驚いたのである。
「どうしました?」
「……いや、ごめんな」
「は?」
「満足してなかったか」
「はい……?」
「だから、マンネリって。夜の話だろ」
「ち、ちがいます!」
今度は祐一が真剣な表情でそう言い返すと、美汐は赤面した。内心ほっとする。彼女はまだ初々しかった。
「じゃあ何だよ」
「というか、何故すぐにそうした方向へ話が飛ぶんですか貴方は!」
「男の子だし」
「もういいです……」
深々と溜息を吐き、美汐は項垂れた。
一つ頷き、祐一は落ちた彼女の肩を叩く。
「ふざけて悪かったよ、ちゃんと聞くから言ってくれ」
「ふざけて言ってたんですか」
「いや今のは本気だった」
「……男と女のすれ違いですね、これは」
「意味深だな」
「……」
「悪かったって」
反射的に出て行く自分の口を戒めて、祐一はやや早歩きになり始めていた美汐の手を握った。そのまま制動がかかって後ろへ倒れ掛かる彼女の、今度は肩を抱いてみる。
「ちゃんと聞いてくれますか」
「聞く聞く」
また風が吹く。美汐が首を竦める。優しく肩を撫でると、彼女の機嫌は大分良くなったらしかった。
「マンネリがあるのでは、と思ったんです」
「何に対しての?」
「私と、祐一さんの」
「何で」
「本当に寒さに強くなったんですね」
意外そうな顔をするでもなく、肩を撫で続ける祐一の手を取りながら、美汐はそう言う。
確かに去年ぐらいまでの祐一は、しょっちゅう手に息を吹きかけ続けていたような気もした。
「まあ強くはなったんだろうけど。それと何の関係が?」
「いわゆる、慣れというやつでしょう?」
「うん」
「そういうのが、私に対して、祐一さんにあっても」
「ああ、成る程ねぇ」
バカにしたように――実際内心ではややバカにしている――祐一は言い放つ。美汐が傷ついたような目を向けてくるのが少々心に痛いが、二度三度と手を彼女の小さな肩で往復させてやりながら、続けた。
「有り得んね」
「……」
「寒さってのは「寒い」ってだけだから、慣れるのも簡単だろうさ。でも美汐はそうはイカン」
「何故ですか」
「色んなモノが詰まってるだろ。美汐に限らず俺にも、その辺を歩いてる人にも。そういうのをお互いに交換しながら面白おかしくやってくのがカップルなんじゃないの?」
「……そうやって、時々変に明け透けなのも心配です」
「他に女が出来るかも知れない?」
口は開かず、美汐は頷く。
そういう心配をするならばそれこそお互い様なのだが、彼女の場合は少しだけ特殊だ。大切なモノを失うという事に対して人一倍敏感な美汐には、常についてまわる心配でもあるだろう。これは、転じて彼女の愛らしさにも繋がっていた。
彼女にとっての「大切なモノ」であるという自負がある以上、祐一にはそれを宥めてやる義務がある。それ以前に、願望として宥めてやりたい。そういう関係こそが、今の二人であるべきだった。
「でもな、俺多分美汐と別れたら絶対彼女出来ない」
「そうでしょうか」
「だって大学とかで超惚気てるし」
「そ、そうなんですか?」
凄いものを見るような目の美汐に、大きく頷き返す。事実だった。
「要するに俺は美汐に惚れまくり、マンネリなんて起こりようも無いくらい、のめり込んでるわけだ」
「祐一さん……」
「のめり込んでるっていうか、めり込んだりもしてるけどな」
「……台無しです」
「男の子だし」
「さっきも聞きました」
「でも慣れないだろ」
「強引ですね」
「夜もな」
納得いかない部分――特に下品な箇所だろう――も多そうだったが、それでも美汐は笑った。こうやって笑い繋いでいけるのが、恋人だった。
「では、マンネリになるくらい一緒に居てくれますよね」
「マンネリになるかどうかは解らんけどな」
笑い返すと、美汐は少しばかり挑戦的な笑顔になって、それから祐一の腕を取った。たたらを踏む祐一が何かを口にしようとする前に自分の体に抱き込んで、言う。
「先ずはこれに慣れてもらいます」
「恥ずかしくないのか」
「祐一さんは惚気のろけて回ってるんでしょう?」
「そんな事言ったかな」
「今度は惚とぼけられましたか」
クスクスと笑う彼女にされるがままになりながら、祐一は悪くない気分で溜息を吐いた。
子供のようにべったりとくっつく二人の男女を見て、すれ違う人々は皆一様に惚ほうけたような表情をしていた。
END