ヘイブラザー!Aをくれ!



「相沢」
「なんだ」
「俺はお前が憎い」
「ふうん」
「俺は憎いぜ! 俺は憎いぜ!」
「そうか憎いのか」
「だから殴る! 食らえ! 北川シャァァァイニングフィンガァァー!!」
「甘い! 相沢サボタージュシィィールド!」
 一閃する北川の右フック(秒速30センチ)をクロスした両腕(片手には食べかけのお菓子)で防ぐ。
「……やるな」
「お前もな」
「目障りだから他所でやってくれる?」
「くー」
 読んでいた本から顔を上げて抗議する香里と、登校してから電源切れっぱなしの名雪。
 北川はなぜか喜んだ。
「正に自由時間と呼ぶに相応しい空気だな相沢」
「まあよ、学生にとって10分間の休憩っていうのは1年にも匹敵する超有意義かつ大切極まりない時間だからな。これを自由に過ごさずしてなんとやらだ。故に美坂姉の要望は聞き届けられねえ」
「あたしに妹なんて居ないわ」
「鬼か」
「鬼だな」
 青空の彼方、半透明の栞のバストアップが薄っすらと浮かんだような気がした。
――勝手に殺さないで下さい――
 そんな声は完全無視で男塾塾歌斉唱である。
「しかし良い天気だなぁ北川よ」
「抜けるような青空ってどれだけエロいんだって話だよな」
「お前あたまいいな」
「よし、外で遊ぼうぜ相沢!」
「超暑いから嫌だ」
 外気温35度。
 人類(主に俺)が生息できる気温ではない。
「じゃあアイスホッケーだ」
「お前あたまいいな」
「無理よ」
 一蹴。
「だって。他には?」
「フィールドホッケー」
「これはどうだ香里?」
「だから無理よ」
「お母さんがダメって言うから諦めようぜ」
「相沢のお母さんは酷いな」
 ガタン!(香里隣の椅子に蹴り)
「ひっ!?」
「相沢……やっぱり美坂は老け顔を気にしているようだ」
「まあな、パッと見秋子さんより年上だからな」
「聞こえてるわよ」
「ま、そう怒らずに美坂。今老け顔ってのは年取ってから「老いたわねぇ」ってならずに済むって言うぞ」
「何のフォローにもなってないし不愉快だし」
「あまり刺激するな北川、命がいくつあっても足りん」
「把握した」
「よし、早速謝罪だ」
「失礼なこと言ってごみょんなさい! こうですか!? わかりません!」
「ムカつくわ……」
「落ち着け香里、ハードカバーの表紙があたかも負け馬券のごとくグシャグシャだ」
 十分に距離を取りながらの俺の指摘に、香里は舌打をしてみせた。誰が見ても超怖い。美人というのはキレた顔も怖いものである。
「で、なんだっけ。ああ、俺が憎いだっけ」
「うん」
「なんで?」
「幸せそうだから」
「幸せってなんだ!」
「愛だな」
「愛か……」
 遠い目をする俺と北川だった。香里はもう突っ込まない事にし始めたらしい。それはそれで寂しいのに。
「そうだ愛だ。俺と相沢のスペックを冷静に比較したところ、腕力知力素早さ魔力体力その他は殆ど並んでるのに、俺は愛のステータスだけが著しく少ない事が解ったんだ」
「いいじゃん回復量が増えるだけだし。気にするほどの事でもないだろ」
「うるせえよ! ガラハドだってもっと愛に溢れてるぞ! なんとかしろよ!」
 わざわざ立ち上がって叫ぶ辺りかなり鬱陶しかった。北川のアップダウンの激しいテンションは夏場も健在だ。
 眉間に皺を寄せて溜息。
「みっともね」
「うわぁ」
「しかし愛ねえ。俺そんなに溢れてるか?」
「川澄先輩が居るじゃないか」
 俺と舞の交際は周知の事実である。
 あの、美人だけどちょっとイっちゃってる感がまあ漂わないとは言い切れない事でお馴染みの川澄舞先輩は卒業生なのに時々学校へ来る。剣道部の指導を頼まれているそうで、女子を中心にファンが生まれつつあったりもした。なので、正直俺としては肩身が狭いみたいな所はある。
「ふむ」
「ふむじゃねえ何勝ち誇ってやがる。というかぶっちゃけどこまで進んでるのか教えてくれないとお前の携帯の着ボイスを俺のあえぎ声にするぞ」
 嫌過ぎる脅しだった。
 香里もちょっと興味ありげに目だけをこっちへ向けている。後でかおりん改めエロリンと呼んでやろうと心の奥で誓いながら腕を組んだ。
「どこまで、ねえ」
「チ、チチチチチチチューは?」
 気色悪いどもりである。
「した」
「キャー! アアアアアアアアアアアアア!」
 耳を塞いで床を転がる北川潤多感なる17歳。
 ドッタンバッタン机と椅子をなぎ倒す辺りのパワーには恐れ入る。
「埃がウザいよ北川」
「お前、なっ、このポルノ野郎!?」
「なんで半分疑問系なんだ」
「いいよいいよ、後は?」
「股間を押さえながら擦り寄るな気持ち悪い!」
「いいから答えろ! じゃあアレだ! 単刀直入に聞くぞ!」
「単刀直入って言っても……なんだよこのギャラリーは」
 気付けば北川と俺を取り囲むように出来ている男子生徒の群れ。鼻の下をロングにした童貞―つわもの―ばかりだ。
「あの川澄先輩との情事とあっちゃ聞き捨てならねえ……」
「ひょっとしてあのわがままおっぱいをこう、自在に?」
「なんてヤツだ! 贅沢は日本の敵だろう!」
「お、俺はむしろ相沢の裸体にきょ、興味があるな」
「さあ北川! 俺達の気持ちを代弁してくれ!」
「任せろ! さあ相沢、ぶっちゃけお前と川澄先輩の性生活について問おうじゃないか!」
「待て待て、1機凄いヤツが居る! 角刈りマッチョのエンブレムだ!」
 確か柔道部だった気がする男子生徒が頬を染めて俺の主に下半身に目を光らせているのが死ぬほど恐ろかった。
 しかし北川はスルーしやがる。
「いや、そういうの良いから。答えろ」
「良くはねえだろ、なんで命令口調だよしかも」
「童貞で悪かったな!」
「言ってねえし!」
 変な被害妄想で涙を流す北川のアホ毛を掴んで引き剥がしながら、俺は再三の溜息。人垣はこのまま収まるとも思えなかった。何よりちょっと自慢したいのもあるのだ。黙ってれば(元々あんまり喋らないが)ただの凄い美人さんで通る川澄舞を好き放題やってる男こと俺の自慢である。
 そりゃあ俺が同じ立場でもまあ聞きたい。あとでちょっと泣くけど。
「……じゃあ、男子諸君は円陣を組め」
「っしゃーす!」
「おねがいっしゃーす!」
「応!」
 俺の一言の元に華麗なる円陣が築かれる。視界の端で背伸びして状況把握に努めようとする香里の姿が目に入った。エロリン確定だ。
「とりあえずな……」
「何ィ!?」
「マジか」
「落ち着け」
「ヘイブラザー! 愛をくれ!」
「で、相沢はそれを?」
「無論だ、あとはな……」
「うほっ」
「SUGEEEEEEEEEEEE!!」
「相沢お前偉いな! なんか知らないけど偉いな!」
「所謂マゾっ気というやつか?」
「マジでやったのかよ相沢!」
「そりゃやるに決まってるだろ? あー、後はこんなのも」
「正気かよ……」
「え? 今のどういう意味?」
「今のはな、かくかくしかじか」
「そんなの入るのかよ!?」
「ちなみにこれは舞もちょっと嫌がった事なんだけどさ……」
「おい斉藤が倒れたぞ!」
「そいつは死んでる! 放っておけ!」
「ちょっとトイレ」
「あいざわからの こうげきのしょうたいが つかめない!」
「人間ってそんな事も出来るのか……」
「とまあ、そんな具合だ」
 諸手を挙げてざっくりと話し終えると、一同は止めていた息を吐き出すように大きな大きな深呼吸をしながら円陣を解いた。映画館から退出する客の群れの如く、思い思いに感想を述べている。
「ああ……もう俺川澄先輩をまともに見られねえ……」
「俺もだ」
「しかし良いのか相沢、そんな事話して?」
「お前が言うのか北川。まあいいだろ、お前ら別に舞に直接話したりしないだろうし。ていうか舞とまともに喋るのなんて無理だし」
「何気に酷いな」
「そこがホラ、マゾっ気……」
「あーあーあー」
 ほんのりとピンク色になった空気を、不意に開いた扉の音が叩き割った。
 開いた扉の前に立つのは、眉目秀麗長身の剣士こと川澄舞19歳。ピンク色のまま、空気は凍りついた。
「ま、舞……」
「……」
 ピンと伸びた背筋のまま、凛然と舞は俺の元に歩み寄る。普段通りの無表情が、特に極まっていると言えた。
 誰もが惨劇を予想した。
 誰もが目をそむけた。
 ある者は救急車をいつでも呼べるように携帯電話を取った。
 俺は軽く腰を浮かせて外へ逃げる準備を始めた。3階だがなぁに、舞に殺されるよりは良い。
 しかし舞は、椅子に腰掛けた俺に跪くように体をかがめ、縋るように首へ手を回してきたのだった。
「……あ、舞?」
「……今日の、ノルマ、です。ご主人様」
 そう言って舞は俺にねっぷりたっぷりしっとりヌルヌルなディーペストキスを浴びせて艶然と微笑み、出て行った。
 一瞬の沈黙、そして咆哮。
「何だ今の!?」
「意味わかんね! 意味わかんね!」
「相沢! それは無い! 絶対無い!」
「待て待て待て! 俺にもわからねえって!」
「うるせえよ! 何がご主人様だよ! 変態!」
「相沢君……」
「なんで頬を染める香里!?」
「やばいやばい! 何かやばい! 皆トイレ行こうぜトイレ!」
「イイイイヤッハァー!」
 大騒ぎになる教室。
 その中に、ふと一筋、金糸を黒い絹に通すかのような、細いけれどもはっきりとした存在感を持つ声が駆け抜けた。
「あ、げ・ど・う」
 名雪である。手拍子つきで物凄い罵倒の一言を繰り返す。
 その表情は寝起きも手伝ってか、死んだような目つきで、しかし俺だけをはっきりくっきり捉えている。
「げ・ど・う、げ・ど・う」
「げ・ど・う、げ・ど・う」
「げ・ど・う! げ・ど・う! あいざわゆういちげっどっう!」
「なんだこれは! 魔女裁判か!?」
「げ・ど・う! げ・ど・う! あいざわゆういちげっどっう!」
 名雪の外道コールが女子を中心に広がり、ついには教室全体を覆った。俺は初めてこの従妹に戦慄した。
 収拾がついたのは、次の授業の担当教師が来てから10分も経った頃だった(先生も巻き込んで騒がれた)。
 ちなみに舞の行動はたぶん仕返しですよー、あはははははははーっと佐祐理さんが長めの笑いと共に言っていたのにも戦慄した。