チョコが憎いとそいつは言った。
 あんなものがあるせいでいつだって惨めな思いを味わってきた、と。
 だが今年に限っては、いつも俯いているだけだった二月十四日という日もそれほど苦にはならないだろう。
 なぜなら――






※今年のバレンタインは日曜日なようです






「くくく……今日はいい日になりそうだ……」

 そいつの名は***。
 名前はまだない。
 否、永遠にない、と言ったほうが正しいか。
 何故なら彼の者は遥か古代に封印されし者の末裔――

「おい相川、何ニヤニヤ笑ってるんだ。気持ち悪いぞ」
「別に……」

 ちっ、邪魔するなよ。せっかく設定に浸ってたっていうのにさ。
 まあ名前がないのは本当なんだけどね。
 ああ、欲しいなぁ、名前。チョコよりも名前が欲しいね。まず何はともあれ名前だよ名前。名前くださいお願いします。
 今あんた笑ってるかもしれないけど、これ大事なことなんだよ。名前。おいそこちょっと笑うのやめろ。
 考えても見てくれ、名前のない人生ってやつをさ。信じられるかい? 名前がないんだよ? バイトしようにも履歴書に『相川』としか書けないんだよ? 屈辱だよ? 仕方ないからこないだ”相”が苗字で”川”が名前ですって言っちゃったよ。おいだから笑うのやめろって。

「相川ー、今日はお前どうするん?」
「どうするって……日曜日でしょ? 学校もないし、適当にごろごろしてるよ」
「おいそれお前まじで言ってるの? 今日何の日か知ってるか?」

 知ってるって。毎年コンプレックスなんだから。
 それより僕はルームメイトであるはずの君の名前すら知らないんだぜ、まずそのことに突っ込んだらどうかな? まあただのモブキャラだし、多分この会話が終わったら永遠に出番はないだろうね、君は。哀れだよ、実に。あっはっは!
 あ、そういや僕も自分の名前知らないや、あっはっはっはっは!
 だから笑うのやめろって。

「俺はバレンタインなんだし、チョコ回収しに行って来るわー」
「うん、いってらっしゃい」

 そう言って彼は軽快に手を振りながら、扉の外へと消えていった。
 はい、出番終了。お疲れ様でした。
 これからはずっと僕のターンさ。

「さあて、何をしようかな……」

 まだ今日は始まったばかりで、時間はたっぷりと残されている。
 いくつか出てた課題も、昨日のうちに済ませてしまっていた僕は、とりあえずお昼まで二度寝することに決めた。

「おやすみなさい……」

 自堕落万歳。






 しばらくして目が覚める。

「闇夜の眷属とはこうでなくては……まあ昼なんだけどね」

 と、同時に空腹を感じる。魔の者だってお腹は減るんです。
 さっさと着替えて廊下へ出ると、食堂へ向けて歩き出す。
 道すがらきょろきょろ歩いていると、クラスメートとばったり遭遇。あまり話したことがない、多分これから先話すこともほとんどなさそうな、活発な人だ。面倒だなぁと思いながらも挨拶を交わす。

「おっす相川」
「おはよう」
「おはよって、もう昼だぜ」
「あはは」

 適当に相槌を打ちながら通り過ぎようとしたところで、偶然彼の手元に視線が向かう。

 包装紙に……リボンだと……?
 ――まずはそのふざけた幻想をぶち殺す!!

 と、僕の視線に気づいたのか、やや自慢げにそれを掲げて話しはじめた。

「ああ、今日バレンタインだしな。ははっ、改めてもらうと、なんだか気恥ずかしいわ」
や、やめろっ! 僕にチョコを近づけるな……右腕が……封印が解けてしまう……暗黒の……ブツブツ
「おっと、用事あったんだ。じゃーな」

 うん、ばいばいファック・ユー
 でもチョコをもらえない言い訳きんだんのアーティファクトに気づかせてくれたことには感謝したい。ありがとう。
 そうさ、僕はチョコを食べてはいけない体なのだ。封印が解けてしまうからね。だから仮にくれる人がいたとしても、受け取るわけにはいかない。そう考えると、むしろもらえないことのほうにメリットがあるとさえ思えてくる。だってそうじゃないか?

 贈り物って、受け取ってもらえないほうが悲しいもの。

 とりあえず彼を僕の”天敵リストジェラス・オブ=エターニティ”に載せようとして、名前すら知らないことに気がついてやめた。そして僕はあいつの名前すら知らないんだ、と虚しい優越感に浸ろうとして、その前に自分の名前さえ知らないことを思い出し再び鬱になる。
 ひょっとして僕はバレンタイン・コンプレックスというよりはむしろマイネーム・コンプレックスなんじゃなかろうかと首をひねりながら食堂へたどり着くと、たぬきうどんだけ注文し、急いで喉にかきこむ。あまり周りを見回さないほうがよさそうだからだ。

「あの……」

 と、ずるずるうどんを啜っていると、かすかに呼びかける声が背後から耳元に届く。
 それは咀嚼音で掻き消えてしまいそうな、けれどどこか芯の通った、美しいとさえ感じてしまいそうな人を惹きつける声。
 僕はきりりと表情筋を引き締めると、後ろを振り返った。

「はい?」
「あの、これ……」

 声から伺える印象を裏切らない、どこか儚げな女の子が目の前に立っていた、だけでなく、可愛らしい装いの小箱を抱えていた、だけでなく、あまつさえそれを僕に差し出そうとしていた。
 思わず周囲をきょろきょろと見回してしまう。はっきり言って情けないとは思うけど、染み付いた負け犬根性を拭い去るにはあまりにも長い時を僕は負け組として過ごしてしまっていた。どうせただの勘違いだろう、と。
 だがしかし、今、近くには誰もいないし、女の子は真っ直ぐな目で僕を見つめている。間違いない。いったいこの状況でどんな勘違いがありえるっていうんだろう?
 神様ありがとう。そしてこんにちは勝ち組人生。

「僕に……?」
「いえ、あなたのルームメイトさんに渡して欲しいんです、えっと……相崎さん?」

 そうですね、そういうケースもありますよね。うん、わかってたよ。ほんとだよ、うそじゃないよ、ほんとにわかってたんだからね。
 あと僕は相崎じゃなくて相川です。
 名前はまだない。というかきっと、永遠にない。何故なら――

「じゃあ、よろしくお願いしますね」

 ――ただの脇役だから。
 ぺこりとお辞儀をして去っていくその背中を見つめていたら、なんだか視界がぼやけてきた。おかしいな、目から汗が。
 とりあえず受け取った小箱は天高く放り投げておきました。






 敗北感に強く苛まれながら食器を片付ける間も、そこかしこから聞こえる勝ち組たちの鬨の声によりいっそう惨めな思いをさせられながら、寮生活に日曜日も糞もないじゃないかと激しく憤る。とんだ計算違いだ、くそっくそっ!
 やはりこの世界に救いなどありはしないのだろうか? 生まれたときから人生ハードモードの僕には世知辛すぎるよ。だって名前すらないんだよ? 修正パッチの配布はまだなの? 攻略本はどこ?
 いけないな、これでは典型的なゲーム脳じゃないか。戦わなきゃ、現実と。古代に封印されし魔の血を継ぐこの身はチョコを受け付けなくて、あれなんかちょっと設定変わったか?
 とにかくチョコなんて贈られても逆に困ってしまうことにしなければ。そもそもチョコになんて興味ないしね。甘いし虫歯になるし糖尿病になるしカカオだし。興味なんて全然ないんだからね。

「あ、わりぃ。ちょこっとトイレ行ってくるわー」
「おう、いってらっしゃーい」

チョコレート?

「やべーよおい、例の件、バレて大変なことになりそうだー」
「まじでー?」

バレンタイン?

 どいつもこいつも浮かれやがって!
 お前ら皆お菓子メーカーに搾取されてるんだよ!
 いい加減目を覚ませよ! 賢い消費者になれよ!

「おう、相川。ここにいたのか」

 人知れず心の中で叫び散らしていると、もう出番はないと思っていたルームメイトがやってきた。
 おかしいな、予定にはないパターンだ……分岐点ロード・オブ・デスティニーに何か異常が発生したのかもしれない。
 まあこの程度の些細な異変では宿命を変えることはできないな、神よオー・ゴッド。カカオの呪いはもう100万年も前から始まっているのだよ。いや、そんな前からカカオがあったか知らないけどさ。

「昼飯はもう食い終わったん?」
「うん、まあね」
「よし、じゃあ食後のデザートやるよ」

 ぽいっと手渡された物体をまじまじと見つめる。そこら辺のスーパーに売ってそうなお徳用の板チョコだった。

「なにこれ」
「チョコだよチョコ。貰い過ぎちゃってさ、食べきれないからお前にやるよ。じゃあな」

 やった!
 ついにねんがんのちょこれぇとをてにいれたぞ!

 誰か殺してでも奪い取ってくれ。






 なんだかひどく腹立たしい。こうなったら板チョコを貪る様に食べ尽くしてやろう。
 こうして舌先で角をくすぐる様に舐めると……どうだい、溶けちゃいそうだろう? ほら、こうして……噛んじゃったり……唇に挟んで……ふふ、やめてなんてあげないよ。ほらほら、れろれろれろ〜。

「だめだ……死のう……」

 ハイパー賢者タイムの訪れと共に残った板チョコをゴミ箱に放り込む。
 一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
 もうこんな惨めなこと、耐えられない。
 自室に戻って布団にもぐりこんで、僕だけの世界に浸るんだ!

 脇目も振らずに食堂から飛び出す。
 途端に感じる違和感。
 空気の乱れ。

 気づいたときにはもう遅かった。

「わぁっ!?」
「きゃっ!?」

 ふに、と柔らかい感触を感じたかと思うと、次の瞬間にはふわり、と身体が浮く感覚。そして落下していくのは一瞬のことだった。

「ぐぇっ!」

 衝撃と共に発した声は、我ながら蛙がつぶれたような醜い声だったと思う。背中から地面に叩きつけられ、肺から空気が搾り出されるかのような苦しさを感じ、咳き込む。

「失礼……でもあなたが悪いんですわよ? 前方不注意ですわ」

 見上げると、倒れた僕を見下ろす姿勢で、悪びれた様子もない女の子が悠然と佇んでいた。

「ご、ごめん」

 慌てて埃を払いながら立ち上がる。
 確かに今のは僕が悪かった。
 すごく痛いけど。

「その、怪我はなかった?」
「それはこちらの台詞ですわよ」

 状況から察するに、ぶつかりそうになった僕の身体を咄嗟には避けきれずに、足で払って投げ飛ばしたってところだろうか。運動神経はいいのかもしれない。
 女の子は少し眉を吊り上げた不機嫌な感じで、じろじろと僕の身体を検分するように眺め渡している。多分怪我がないか探っているのだろう。
 やがて五体満足であることを見て取ったのか、安心したように一息ついて眉を下げた。

「どうやら平気のようですわね……あら?」

 と、何かに気づいたように僕の顔をまじまじと見つめてきた。
 自然、僕も彼女と目を合わせるようにして顔を見つめる形となる。

 平均を遥かに上回る、整った顔立ち。全体から感じ取れる雰囲気は、一言で言えば気高い。
 ネコ科を思わせる鋭い目つきも、そんな彼女の魅力を際立たせる一因となっているらしい。
 魅入られてしまったかのように、僕は身動き一つとることができなかった。

 時間にしてみればほんの一瞬だったのかもしれないけど、そのときの僕にとって見れば永遠とも思えるほど長い間見つめ合っていたような気がする。鼓動は高鳴り、頬が紅潮しているのが自分でもわかった。妙に落ち着かず、きょろきょろと辺りを見回してしまう。挙動不審に思われたかもしれない。

「あなた……」
「は、はい!」
「口の周り、汚れてますわ」
「えっ……」

 言葉と共に差し出されたポケットティッシュの意図が掴めず、彼女の手を見つめてしまう。
 すごく綺麗な手だった。それに小さくて柔らかそう。

「そんな汚い顔でわたくしの前に立たないでくださる?」
「えっ、あっ、ああっ、ご、ごめんなさい!」

 ようやく意味を理解し、慌ててティッシュを掴み取る。その際偶然手がちょっと触れてしまい、触れた部分がひどく熱くなってしまった。
 別にやましいことをしたわけでもないのに、妙な罪悪感に急かされ、口を拭う。彼女の言ったとおり、べったりとチョコレートがくっついていて汚かった。
 さっきのアホな行為の代償は、あまりにも大きい。人にとって第一印象というものはとても大切なものだ。そしておそらく彼女は僕に「だらしのない男」とか「汚らしい男」の烙印を押したに違いないのだ。
 5分前の自分を呪ってやりたい気持ちだった。

「好きなんですの?」
「えっ?」

 どうも出会ってからこっち、彼女の言葉は唐突だった。もしかしたら頭の回転が早いのかもしれない。そして頭の悪い僕には彼女の言葉の意味がよくわからなかった。

「好きって……何が?」
「だから、チョコレート。それ、チョコレートじゃありませんの?」
「え、あ、う、うん」

 もう頭の中には封印だとか闇の眷属だとかチープな言葉は残っちゃいなかった。なんて馬鹿馬鹿しいことを考えていたんだろう。
 今はただ臆面もなくひたすらこくこくと頷いてチョコレートが好きであることをアピールするだけの僕。おそらく、相当必死な姿だったと思う。

「そうですの。それじゃ、よかったらこれ、食べてくださらない?」

 ポケットからごそごそと銀紙に包まれた手のひらサイズの物を差し出し、彼女は言った。
 さすがに今回はその意味するところを理解することはできた。

「い、いいの……?」

 けれど卑屈な僕は、どうしても信じられなくて。
 この期に及んでなおも尻込みする始末。
 情けないったらありゃしない。

「部活仲間に配った余りですわ。捨てようと思ってたんですけれど、あなたのようなチョコ好きに悪い気がして、捨てられなくなりましたの」

 なかなか受け取ろうとしない僕にじれたのか、押し付けるように手渡すと、くるりと振り返って、そのまま去ろうとする。
 まだお礼も言ってないのに。彼女からすれば義理チョコどころかただの施しで、何の意図もない行為なのだろうけど、それでも僕にとってはこの上なく嬉しい出来事なんだ。
 だから――

「では、ごきげんよう」
「あ、あのっ!」
「なんですの?」
「あ、ありがとう……それと、よ、よろしければ、お名前聞かせてもらえませんか!」

 このまま行かせたくなくて、勇気を出してそう尋ねると、彼女はなぜか少し不機嫌そうに眉を吊り上げ、

「わたくしの知名度もまだまだ、ということですわね……よくお聞きなさい、わたくしの名前は、笹瀬川佐々美! ソフト部期待の星といえば、このわたくしのことですわ!」

 それだけ口にしたかと思うと、返事をする間もなく”おーっほっほっほ”と声高らかに笑いながら去っていく。

「ささせがわ、ささみさん……」

 長いツインテールの髪を揺らしながら悠然と去っていく背中を、僕はいつまでも、いつまでも見つめていた。



 ***



「と、まあ、こんな風にして僕の恋は始まったのさ。一年も前の話で、彼女のほうはもう忘れてるだろうけどね」
「ふーん。どうでもいいけど、笹瀬川さんなら直枝と付き合ってるらしいよ。こないだデートしてた」

 ……泣いていい?

  

<了>

  



あとがき
 こんにちは、相も変わらず誰得SSを書き続けてるねるおです。
 今回はバレンタインネタということで、どうしても苦手な恋愛要素が絡んでくることもあって、実はちょっと苦戦してました。それで苦し紛れに「厨2病の相川君による、バレンタイン恨みつらみ日記」にしようと思いつき、当SSが完成したというわけです。まさに誰が得するんだよこれ……。
 原作の相川君といえば鈴ルートに入ると出てくる「鈴ちゃんの恋のお悩み相談室」の相談者なわけですが、実在するかどうかは不明なんですよね。ほんとにただのちょい役だし。あまり細かいこと気にしたら負けかなと思って原作で確認はとらなかったんですけど、設定に矛盾があったらごめんなさい。
 お題がお題なだけにあまーいお話ばかりになるかと思いますので、砂糖吐きそうになったときにでも口直しに楽しんでいただければ幸いでございます。
 ではでは。





















お囃子・感想などいただけましたら。

おなまえ(省略可)



お囃子!(→盛大)

ぱち ぱちぱち ぱちぱちぱち

よろしければ何か一言!(省略可)





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