「これで……いいわよね?」

 掃除の終わった自室を見渡して、私はひとりごちる。
 散らかっていた服を片付け、葉留佳が読んでいたのであろう漫画本も、ベッドの下へと追いやった。
 掃除機でもかけておきたかったけれど、出来たことといえば粘着テープクリーナーを使ったぐらい。
 それほどまで時間がなかった。
 最低限の用意をしておく暇すらなかったのだ。
 何故ならば……。

「佳奈多? 女子寮の廊下に一人待たされるのは、正直言ってきついんだが……」

 扉の外に、恭介を待たせているのだから。












─あまいおはなし─












「馬鹿。隣の部屋の子達に聞こえるでしょうっ」

 そう言いながら、私は部屋の扉を開く。
 すると、廊下で待ちぼうけさせられていた男の顔に、安堵の色が広がっていった。
 余程居心地が悪かったのだろうか。

「ったく。部屋に入る直前に外で待てってなぁ……」
「何よ」
「どうせ見られたくないものでも隠してたんだろう? お前は男子中学生かっての」
「いいから入るっ」

 図星を指され、少しばかり動揺してしまう。
 私は恭介の手を引いて、やや強引な形で部屋の中に引き入れた。
 入れ替わるように廊下に顔を出す。左右確認、良し。誰にも見られてはいない。この確認は重要事項だ。
 安堵のため息と共に後ろ手で扉を閉める。同時に鍵もしっかりと。
 これでもう後には引けない。

 ……部屋に二人きり。
 ここまで用意をして、一体何をするのかと言うと、何を隠そう、実はチョコレートを渡すだけだったりする。
 そんなことしなくても、教室だったり廊下だったり、どこででも渡せばいいのでは、と思う人は甘い。
 あまりにも甘すぎる思考だ。例えて言うなら和三盆。まろやかに甘い。
 私だって挑戦しようとはした。すんなり渡せるものだとばかり思っていた。
 たかだか一週間前から手作りを考え始めて、葉留佳に相談したりして、前日の夜に全力を尽くした程度の品だ。
 それなりに顔を赤らめてしまうかもしれないけれど、素っ気なく気軽に手渡せる……ものだとばかり考えていた。
 甘かった。何より私が甘かった。びっくりするぐらい恥ずかしい。
 何がって、二月十四日にチョコレートを手渡しするという行為そのものが。
 世の中の女の子達は、はたしてどのような心構えを持って乗り越えているのだろう。
 結局、私に出来たことと言えば、恭介の手を引いて、寮の部屋にまで連れてくることだけだった。

「でもお前も積極的だよな」
「はい?」

 扉を閉めた姿勢で、部屋の中に立つ恭介に目を向ける。
 恭介は制服のポケットに手を入れたまま、顔だけでこちらを振り向き、

「彼氏を部屋に連れ込むだなんて」

 と口にする。にかっと、少年のような笑顔で。
 そこで気がついた。
 彼氏を自分の部屋に呼びこむ。二人きりで。しかも今さっき、私は自分自身の手で鍵までかけた。
 ……ちょっと待って、この状況は……。

「なかなかにエロスな状況だよな」
「っ!?」

 確かにこの馬鹿の言うとおりだった。
 人目につかず、逃げ場のない場所へ。自分自身を追い詰めて、確実に手渡しすることが出来る場所へ。
 それしか考えていなかった。寧ろ混乱していた。
 もしかしたら、私はチョコレートを渡すなんてことよりも、遥かに積極的な行為をしているのではないのだろうか?
 訪れるのは、多少の混乱と照れ隠し。

「なによっ。別に貴方と二人っきりになりたかったわけじゃないのよっ!」
「ええぇ……?」

 つい口に出した悪態は勿論嘘。
 二人きりなら手渡し出来るのでは、なんていう甘い考えが過ぎっていたのは確かだった。
 恭介の反応は、自分から引っ張り込んでおいて何を言っているんだこいつは、みたいな表情。
 ごめんなさい。自分自身が一番良く分かっています。
 ……でも、素直にはなれない。

「さっきまで葉留佳もいたんだし、変なこと考えないで。まったくっ」
「なんで怒られてるんだ俺?」

 腕を組み、そっぽを向きながらの叱りつけをしてしまう。

「三枝がいたって……。なんだ、二人になりたいからって席を外してもらったのか」
「違うわよっ。私だって良く分からないけど、直前まで葉留佳がいたっぽい形跡があったのよ!」

 これは本当。だからこそ掃除をしたのだから。
 先に部屋に入った私が見た光景は、食べ散らかしたお菓子の袋と開きっぱなしになっていた雑誌。
 それに何故か乱れていたベッドと、脱ぎ捨てられていた葉留佳の下着。本当にしょうがない子だ。
 おそらく授業が終わった後、部屋でごろごろとしていたのだろう。
 その後、何か急ぎの用でもできたのか、焦って部屋を出ていった……というところか。

「まったく。下着ぐらい自分でしまいなさいよね……」
「は? ぱんつ?」
「言ってないわよっ!」

 どうしてこんなどうでもいいことにばかり勘が働くのだろうか、この男は。
 たしかにぱんつでしたが!? 私が畳みましたが!?
 ……しかし、このままでは話がまったく進まない。
 初志貫徹。今なら勢いで渡してしまえるはず。
 呼吸をひとのみ。私は恭介に詰め寄り、頭一つ分高い彼の顔を、斜め下から睨みつける。
 たたらを踏む恭介。唐突な私の行動を受けてぎょっとした表情が、どことなく可愛いかった。
 私は上着のポケットから、素朴なラッピングをした小箱を取り出した。
 派手ではないが、精一杯の想いを込めて作り上げたチョコレートの箱。
 それを片手で恭介の顔の前に付きつける。
 既にお互いの気持ちは通じ合ってはいるものの、それでも願った。
 どうか、届いて欲しいと。

「……えと、くれるのか?」

 相手の目を見たまま、頷きひとつ。

「あ……もしかして、バレンタインか?」

 顔の火照りが止まらない。赤らめた頬のまま、頷きふたつ。

「ありがとな、佳奈多。嬉しいよ」

 なんてことなしに、恭介は受け取ってくれた。見え隠れする余裕が憎らしい。
 というか、心底恥ずかしい。なにこれ、菓子業界の陰謀許すまじ。
 思考の内で、形のない元凶へと筋違いな恨みを描いた。
 と、そんな私を温かで優しい両腕が包み込む。
 はじめは壊れ物を扱うかのように。やがて、ぎゅっと力強く。
 これだ。この男は、こうして自然に、どこまでも当然のような流れで、私に幸せを与えてくれるのだ。
 根本的に女ったらしな血が流れているのか。それとも彼にしてみれば当たり前な仕草なのだろうか。
 確実に言えることは、ふにゃけてしまうほどに幸せだ、ということだ。
 体から力が抜けていき、彼の胸元へ顔を埋めてしまう。
 やっぱり、私はこの男が大好きだった。

「……開けてもいいか?」
「もうそれは貴方の物よ。好きにしたらいいじゃない」

 こんなときまで憎まれ口。時折、自分の口先が恨めしく思えたりする。
 とはいえ、恭介も慣れたもの。
 いつもの、いつも以上の笑顔を見せ、言葉通り嬉々とした表情で包装を解いていく。
 この手のイベントは嬉し恥ずかしでドキドキだぜ、だなんて軽口を付けて。
 どこまで信じて良いのやら。でも、話半分だとしても、彼もドキドキしてくれていたのなら、うん……。
 菓子業界の陰謀とやらも、まぁ、捨てたものじゃないのかしら、と。

「うお。手作りかこれ。手が込んでんな、このチョコ」

 箱を開けた恭介の第一声はそれだった。
 一口サイズのチョコが、それぞれ小分けされて並んでいる。
 ホワイトチョコで模様を描いたり、ナッツを砕いて塗したり、それなりに頑張った結果だった。

「俺さ、こういうのを作るのがどれだけ大変か良く分からないけどさ……すっげー嬉しい」

 そんな感想を言われて、私もすごく嬉しい。
 きっとおそらく……私の表情は、この嬉しさを雄弁に語ってしまっているのだろう。

「そ、そんなことより、食べなさいよ。お菓子なんだからっ」
「いやいや、もう少しだけ有難味を堪能してだな、」
「馬鹿じゃないの。はいっ」
「むぐ……っ」

 ほとんど強引に。
 チョコレートの外見をじっとみつめていた恭介の口に、その中のひとつを放り込んだ。
 唇に触れた指先がやけに熱く感じる。

「……甘いな」
「当たり前でしょ。チョコレートなんだから」
「ああ……とても甘い」

 でも、私には、彼の声こそが甘かった。
 続いてチョコレートを摘まんだのは、恭介自身の指だった。
 私が取り出した側とは逆からひとつを摘まみ上げ、私の唇へと寄せてくる。
 口を開くのは少しだけ。出来るだけ上品に、と私は思ったのだが、彼はちょっとした悪戯をしてきた。
 恭介はチョコレートを口の中には入れてくれず、唇にそっと当てるだけ。
 そのままゆっくり唇の上をなぞってくる。
 舌の上に転がさなくても分かるほどに……甘い、甘いキスだった。

「恭、介……」

 その甘すぎるキスが引き金となったのか。

「……うん?」
「……いじわる、しないで……」

 自分の口から零れたとは思えない甘い囁きが、本能よりも深い場所から湧き出す。
 私は熱に浮かされるかのように懇願し、その甘い塊を渇望してしまう。
 やがて、愛しい人の指先が、表面の蕩けたチョコレートを私の口内へと滑りこませてきた。
 甘みと共に咥え込んだ指先は、より甘く、どこまでも熱かった。
 そして、夢中になる。

「今度は……私……」

 私は次のチョコレートを取り出し、自分がされたと同じように、今度は恭介の唇を甘さで塗り上げる。
 このチョコレートが蕩けるのは、彼の唇の熱さが原因か、私の指先が熱いのか。
 それとも二人が共に熱くなっているからなのか。

「佳奈、多」

 私の名を紡ぐ為に開いたその口に、想いが溶けた甘さを流し込んだ。
 ほどよく蕩けた塊は、艶めかしく吸い込まれていく。
 私の……指先と共に。

「……あ……む」
「ぁ……はぁ……」

 二度、三度と。いやらしく、でも、純粋な想いを、繰り返し繰り返し蕩け合わせる。
 いつしか、互いに口の周りはとろとろで。
 恭介は、私の唇の端から零れる滴を、指先ですっと拭った。
 勿論、彼の指先自体もチョコレートだらけだったから、拭き取ることなんで出来ていないのだけれど。
 そのまま彼は、指先に付いた、二人で溶かし混じり合わせた甘さを、舌でぺろりと舐めとった。
 目の前で動いた舌の動きと、細く流された瞳が、とても、とても煽情的で。
 箍が外れる。
 今はただ、彼の唇にしか興味がなかった。

「恭介のも……」
「ぅむ……」

 負けじと、ぺろり。
 彼の唇の端に付いていたチョコレートを、私は舌を使って綺麗にした。
 キスのようで。キスでなくて。
 淫靡なようで。隠微なチョコを舐めとった。
 続けて指を。人差し指と親指の先を、順番に、丁寧に舐めとっていく。
 気がつけば互いに。互いが互いの指を舐め合っていた。
 響くのは水音と吐息。その二つだけだった。だけだったけれど、それで十分だった。
 ……十分に、幸せだった。

「佳奈多……」
「恭介……」

 残るは唇の上。甘い芳香を漂わせる、瑞々しい唇が、眼前に……。
 近づき始めたのは、どちらが先だったのか。
 蜜に誘われる蝶のように、それこそ当然だというかのように、私と恭介の唇は距離を縮めていく。
 今度は舐めとるでなく、ただ、重ね合わせる為だけに。
 甘さと、好意と、香りと、愛情と。
 惹かれるのはそのどれが原因か。そのどれもが原因か。
 何れにせよ、今、大切なことは……私達が触れ合うという事実、ただそれだけ……。

 がたん、と。

 唇が重なる寸前。背後から聞こえてきたのは物音。
 いや、物音と言うよりは、者の音、と表現するべきか。
 私の背後……押し入れの中から聞こえてきた音には、確実に気配が添えられていて。

「……佳奈多?」

 私は無言で恭介を押しやる。
 そのまま背後にくるりと反転。一歩、二歩、三歩。押し入れまでの距離は、丁度三歩。
 とある地方に伝わる昔話では、鬼が三歩で渡ったのは三隈川だという。
 私が三歩で越えたのはなんだったのだろう。夢現か。これが現実か。
 確信ともとれる予感を胸に秘めて、私は押入れを開け広げる。
 ……少なくとも、鬼のような形相はしていないはず。……多分。

「や、やはは……。おねえちゃん、やっほー……」
「やっほーじゃないよ葉留佳さんっ。……ここは謝罪が先だよ!」

 葉留佳と直枝理樹。予想通りだったが、絶対にそうであっては欲しくない二人の姿があった。
 苦笑いな葉留佳と慌てふためいている直枝理樹。
 そうか。そういうことか。
 掃除していた時に気になっていた、直前まで葉留佳がいたような形跡とは、こういうことだったのか。
 私が部屋に戻るまで、葉留佳達はここにいたのだ。
 違ったのはどこかへ行ったのではなく、押し入れに逃げ隠れした、と。
 恐らく直枝といちゃいちゃしていたところで私の気配を察し、慌てて隠れてしまった……と。

「……そう。そうだったのね」
「お、おねえちゃん? や、これには東京湾よりも深い訳が……」
「……葉留佳さん、それ大陸棚だからそんなに深くないって……」

 物事の裏側が見えてくる、ということは、あまり嬉しくないのだが、そこに本人の意思は関係ない。

「……見てたの葉留佳?」
「……いやー、ははは……」
「……最初から……?」
「もち。指ちゅぱや、ちゅー寸前までばっちり!」
「葉留佳っ!」

 羞恥心が大噴火。ある意味自業自得な展開ではあるものの、それはそれ! これはこれ!
 私の剣幕に、葉留佳はわきゃーわきゃーと押し入れの奥へと避難しようとする。

「葉留佳さんっ、見えてる、見えてるよっ!」
「……見え? きゃーっ、理樹くんのえっち!」

 四つん這いで奥へと入ろうとしていたので、葉留佳のスカートの中は丸見え、に……っ!?

「なんではいてないのよ葉留佳っ!?」
「だって急いでたんだもんーっ」
「こんな中で何しようとしてたのっ!」
「ちがうもんっ。脱いだのは入る前だもんっ!」

 って……さっき置いてあったぱんつ!? あれって洗濯物じゃなくて、脱いだ直後ぱんつだったの!?

「そーだよっ! ぱんつ返してよおねえちゃんっ!」
「直枝理樹っ。私達の部屋で何してたのよっ!」
「僕じゃないよっ。葉留佳さんが自分で脱いだんだよっ!」
「うきゃーっ、理樹くんの馬鹿ーっ!」

 直枝の背中をぽかぽか叩き出す葉留佳に、見当違いな言い訳をする直枝。
 もう何に対して叱責しればいいのか混乱している私に、一人腹を抱えて大爆笑している恭介。


 チョコレートを渡すだけなつもりだった今年のバレンタインデーは、こんな顛末を迎えることとなった。
 単なる馬鹿話で締りのない話。
 でも、どこまでも、どこまでも甘い、恋人達の一日だった。
























お囃子・感想などいただけましたら。

おなまえ(省略可)



お囃子!(→盛大)

ぱち ぱちぱち ぱちぱちぱち

よろしければ何か一言!(省略可)





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