「どうしよう…」
私、藤林椋の心臓は今までに無いほど激しく動いていた。
何故なら私は今、大好きな人な片思いの相手にチョコを渡そうとしているのだから。
『苦いけど、甘い』
渡す相手はお姉ちゃんと同じクラスの男子、岡崎朋也くん。
好きになったきっかけは、忘れもしない球技大会。
あの日、お姉ちゃんの妹としてではなく「私」を見てくれた彼に私は恋をした。
「あの時から…まだ実際にはそんなに経ってないけど」
それでも、恋をした瞬間から彼を思う気持ちは少しも変わらない。
むしろ強くなる一方だと言っていい。
教室の横を通った時に見える彼の姿。
家でお姉ちゃんが話す彼の様子。
すべてが私の鼓動を早くし、私に力を与えてくれた。
「お母さんと一緒に頑張ったんだから…」
立っているのは教室の前、後一歩踏み出す勇気を得るために…
私は昨日の出来事を思い出していた。
「お母さん」
「椋、どうしたの?」
帰宅してからすぐにお母さんの所に行く。
理由はチョコの作り方を教わるため。
今まで作った事が無く、うまく作れるかは不安だけど…
買った物をそのまま渡す事はしたく無かった。
「チョコの作り方教えてくれないかな」
バレンタインの前日にこんな事を言う理由は一つしかない。
お母さんも気付くだろう、でもそんな事で恥ずかしがってたら思いを伝える事なんで出来ない。
「あらあら、ついに椋にもそんな相手が出来たのね」
「うん…あのねお母さん、この事はお姉ちゃんには」
そう、私はお姉ちゃんの気持ちには気付いている。
だからこそお姉ちゃんが教習所に行っている、この時間を選んだのだから。
私がお姉ちゃんよりいい所なんて何一つない。
お姉ちゃんほど人気者じゃないし、料理も出来ない。
でもこれだけは負けるわけにはいかない。
だって本当に岡崎くんの事が好きだから。
「あら?もしかして相手は同じ人かしら」
「うん…」
お母さんには隠してもしょうがない。
むしろ、こんなお願いをした時点で殆ど分かってしまっているだろう。
本人は気付いていないようだけど…
それぐらい、家で岡崎くんの事を話すお姉ちゃんは嬉しそうだった。
「椋、貴方だけを応援する訳にはいかないけど…」
急にお母さんの顔が真面目になる。
お母さんも叔母さんと双子だったはず…
もしかして同じような経験があるのかもしれない。
「後悔だけはしちゃ駄目よ、絶対に」
過去に何があったのかは分からないけど。
その言葉の意味なら分かる。
それがどんなに辛い事か、今のお母さんの悲しそうな顔が物語っているから。
「さてと、暗い話はもうお仕舞い。美味しいって言ってもらえるように頑張らないとね!」
「うん!」
例えそれがどんな結果になっても、後悔だけはしてはいけない。
その事をお母さんは改めて教えてくれた。
「お母さん…私、頑張るよ」
そうだ、こんな所で立ち止まっていたら後悔する。
「占いの結果も良かった。後は私が頑張れば」
今、岡崎くんは職員室に呼び出されている。
お姉ちゃんが下校したのはさっき確認したばかり。
ならチャンスは今しかない。
勇気を出して教室の扉を開ける。
「もう全員帰ってるし、後は岡崎くんが戻ってくるのを待つだけ…」
職員室から戻ってきた彼にチョコレートを渡す。
ただそれだけの事なのに私の緊張はピークに達していた。
本当はもっと早く渡したかった。
でも、人がいる前では恥ずかしくて渡せなかった。
『岡崎くんが放課後に職員室に呼ばれた』そんな偶然でやっと勇気が出せた自分が情けない。
だけど、もう大丈夫。
岡崎くんの机の前で、昨日チョコを作り終わった後の事を思い出す。
伝えたい言葉、伝えたい気持ち、昨日ずっと部屋で繰り返し練習した。
口に出しては言えなかったから…心の中で何度も何度も。
「私、藤林椋は貴方の事が…っ!?」
そう呟いた時、廊下から声が聴こえてきた。
「まったくなんで職員室に呼び出されなきゃいけないんだか」
この声は聞き間違えるはずがない、彼…岡崎くんの声。
「あんたの自業自得でしょうが!?なんで僕まで巻き込まれてるんですかねぇ!?」
「えっ!?」
岡崎くんと…もう一人だれかいる。
その事実は緊張していた私をパニックにさせるには十分だった。
声の大きさからすれば、もう教室からあまり離れてはいない。
「あっ!」
そして、私は慌てた拍子に彼の机の上にチョコの入った箱を落としてしまう。
でも今はそれを手に取る時間も余裕も無い。
私は急いで唯一この教室内で隠れる事が出来る場所へ向かった。
「あれ?おかしいな」
「どうしたんだ?春原」
「人がいたような感じがしたんだけど、気のせいか」
そんな2人の会話を聞きながら、私は今掃除用具入れの中にいる。
まさか、実際にこんなところに隠れる日が来るとは思わなかったけど…
ここがなければ私は岡崎くんやもう1人、多分お姉ちゃんの言っていた春原くんだろう、と対面してしまっていた。
あのパニック状態でそんな事になれば私はすぐさま逃げてしまっていただろう。
岡崎くんに変な子だと思われてしまうかもしれない、それだけは絶対に嫌だった。
「あれ、俺の机の上に…なんだこれ」
そして、岡崎くんの言葉が聴こえてきた時、私ははっとなった。
それはまさしく私が渡そうとしたチョコ。
そんな方法で彼の手に決して渡って欲しくなかった物。
自分の愚かさに涙が出てきそうになる。
もしこのまま置いてかれてしまったりしたらどうしよう。
そんなマイナスのイメージが頭を支配した。
「岡崎!お前何チョコなんて貰ってんだよ」
「まて、間違いだろこれ。この学校に杏以外で俺にくれる奴なんているわけがない」
「1人から貰えれば十分だろ!なんで僕には誰もくれないんだよ!?」
「落ち着け、杏からは義理だって念を押されてるし、でもこれどうすりゃいいんだよ」
気が付けば、自分が1人で落ち込んでいる間にも状況は悪くなっていた。
このままでは間違いだと認識される。
ここから出ようか…でもそんな事をしたらさっき以上に、変な子と思われてしまわないだろうか。
後悔、昨日のお母さんの言葉が重く心に響く。
「ごめんねお母さん、約束守れそうにない…」
二人に聴こえないように小声で呟く。
そして、私が諦めかけていた時…
「じゃあ岡崎が貰っちゃえばいいじゃん」
意外な所から救いの手が出てきた。
「おい、それはまずいだろう」
「別にいいじゃん。だって岡崎の机にあったんだから」
これが本当に間違いだったとしたら、春原くんの台詞は女の子として決して許せる物ではない。
でも今はその言葉に岡崎くんが同意してくれる事を願うしかなかった。
「第一、間違いにしちゃ不自然でしょ。机の上でしかも手紙も付いてないなんて」
あれ?今春原くんがこっちの方を見たような…
「まあいいか、俺も腹減ってるし」
「お、じゃあここで食べて感想聞かせてよ。手作りみたいだし」
しかし、私のそんな疑問はその後の二人の会話ですぐに打ち消される。
岡崎くんから感想が貰えるかもしれない、それだけでも嬉しかった。
「なんでお前に伝えたなきゃいけないんだよ…」
そう言いながらも岡崎くんは食べてくれているようだった。
これで美味しいって言ってもらえば…
こんな結果になってしまったけれど、良かったと思える。
「どうなんだよ?岡崎」
「不味い…」
しかしその期待は叶わなかった。
自分ではうまく出来たつもりだったのに。
お母さんにも大丈夫って言って貰えたのに。
岡崎くんに美味しいって言ってもらえなかったら意味がない。
私は溢れそうになる涙を必死で抑えながら、ただ俯くしかなかった。
「でも、手作りの物って食べたのが久しぶりだったから…なんか嬉しかったな」
「!?」
「岡崎……」
「っと柄にもないこと言ったな、さっさと帰ろうぜ」
そして私の抑えていた涙は、岡崎くん達が教室からいなくなった事で溢れ出していた。
「ごめんね、ごめんね岡崎くん。次はきっと美味しく作るから…」
「美味しいって隣で言って貰えるように頑張りますから…」
「嬉しかったって言ってくれてありがとう…大好きです、朋也くん」
「へえ、そんな事があったんだ…」
あの日から月日が経ち、私が朋也くんに告白してから最初のバレンタインの日。
私はお姉ちゃんに1年前にバレンタインの事を話していた。
「やっぱり、椋は私の気持ちに気付いてたんだ」
「うん…ごめんねお姉ちゃん」
やはり申し訳ない気持ちになってしまう。
後悔はしたくなかった。
それでも、私がお姉ちゃんの恋を邪魔した事実は変わらない。
「謝らないで…私は結局あの日、本命のチョコを本命と言える勇気しか無かった」
「私に相談してきた時だってそう、椋には行動する勇気があったんだから…」
「お姉ちゃん…」
「さて、湿っぽい話は終わりにして準備しなきゃね。朋也と出掛けるんでしょ」
あれから1年、朋也くんと付き合いだしてから料理も頑張って覚えた。
今ではお姉ちゃんほどではないけれど、朋也くんも喜んでくれるレベルになっている。
「昨日頑張って作ったチョコで1年前のリベンジ、頑張ってきなさい」
「うん、行ってきます!」
「帰ってこなくてもお父さんにはうまく言っておくから大丈夫よ」
「もう…お母さん!」
そんな二人に見送られながら家を出る。
向かう先は朋也くんとの待ち合わせ場所。
家庭研修期間なので本来は行く必要がない教室。
そこで改めて伝えたい事は1つ。
「私、藤林椋はあなたの事が…」
そして聞きたい、前回の告白の時は聞けなかった。
彼からの告白を。
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