あったかもしれないバレンタイン
Clannad SS/朋也・智代・渚/Written by Torahina & kibi.










1:Tomoyo.



「〜〜♪〜〜♪」

 私は鼻歌をBGMにしながら鍋を火にかける。
 チョコの艶のある黒と生クリームの白が綺麗なマーブル模様を描く。
 鼻歌に合わせ木べらでチョコをかき混ぜながら隠し味のハチミツをいれる。

「ふむ……中火で沸騰するまで……だな?」

ちらりと台所の横の冷蔵庫にクリップで止めてあるレシピを見やる。
そこには
『これで男など一発で歓楽、簡落、陥落! 乙女の熱々ハートでじゅるり蕩けるような生チョコの作り方』
と綺麗な文字で書かれた紙が貼ってある。
下には詳細にチョコを焦がさない方法なども記されていた。
でも、まぁ、毎回毎回確認などしなくてもまず問題など有るはずが無い。
だって、前日から穴の開くほど読んで、一字一句間違えずソラで言えるほどまでなのだから。
だけど万に一つもミスがあってはいけないのだ。
だからこそ、一つ一つの作業の時に確認作業を怠らないようにしている。
そんな……少しでも失敗したものを岡崎に食べさせるわけにはいかないのだから。
あ、いや別にあいつが少しでもまずそうな顔をするのが嫌ってわけじゃないんだからな?ほんとだぞ。

「およ? ねぇちゃん何やってんの……って、甘!? 匂いすっげ甘ったるい!!」

鷹文が台所にひょっこりと顔を出す。
というか、顔を出した瞬間、鼻を押さえ顔をしかめている。

「いや、チョコレートを作っているからな。特に今は溶かしている最中だから匂いはしょうがないだろう」

どうだ、女の子らしいだろう。
言葉には出さず視線と笑みで言外に伝える。

「ふーん、上げる相手、いるんだ?」

一瞬だけ目を丸くしたが直ぐに笑みを浮かべる。
ニヤリという表現が一番似合いそうなそんな笑みだ。
しかも、まだ詮索したりないのか。
先輩?同級?…後輩はないか…と相手のことを聞き始める。

「ば、ばか!義理だ!義理だぞ?あ、いや、義理なのか?」

一瞬、自分で言っていて悲しくなった。
岡崎の顔が頭に浮かんだ。
頭に浮かんだ岡崎は満面の笑顔で私のチョコを受け取る。

「お、お前は貰うような相手はいないのか!?」

顔が真っ赤になっているのが分かる。
っ…くっ…!
これでは本当に本命のチョコだと思われてしまう。
それだけは避けなければ。
私はこれ以上の詮索を避ける為、鷹文の質問を遮るように質問をかぶせた。

「まぁ、僕今まで休んでたしね」

鷹文はこちらの質問に答え、たはは、と頭を掻く仕草をする。
鷹文もこれ以上からかうと、私のまるでダンゴ頭のチャイナ娘のような華麗な連続足蹴りが出る恐れがあるのが分かったのだろう。
仮にも姉弟だ。そこら辺の駆け引きは出来る。
まぁ、私には鷹文に手を上げる気はなかった。
鷹文はついこの間まで入院していたのだ。
折角、病院から出てきたばかりなのにまた病院送りにしては可哀相だ。
今も、松葉杖をつくか、車椅子を使わないと移動できないのだ。
退院したといっても通院はしなくてはいけないのだから。

「鷹文……」

私の声のトーンが少しだけ下がる。

「それよりさ、焦げるよ? ねぇさん」

そんな、私の声を掻き消すように鷹文が私の後ろを指差す。
はっと、鍋を見る。
モクモクと白い煙を上げている。
何かしゅーって音までしている。
………。

「あああああああああああああ!!!」
「あははー」

朗らかな笑顔で笑っている鷹文には後で鉄拳の制裁を加えておいた。
しょうがない。これは鷹文が悪いんだ。
大丈夫、手加減はした。
それに問題ない、ちゃんと傷が外から見えぬように腹にしておいた。
顔だと外を歩く時に目立ってしまうし、下半身はまだ通院で治療中だしな。
ついでに半分意識の飛んでいる鷹文をベッドまで運んであげたんだ。
どうだ、優しい姉だろう?

2月14日、私は少し肌寒い通学路を歩く。
今日は何時もよりも足が軽い。
同じ時間に家を出たはずなのに学校に着いた時間はこれまでの最短記録だ。
これが恋する乙女の気持ちというものか。
何と心が躍るものだろう。
早くあいつに渡したい。
驚くだろうか、それとも照れるだろうか。
ふむ、照れるのは斬新だな。
そんな姿を見たらちょっと私の方も照れてしまうかもしれない。
チョコは昼休みに渡すとしよう。
2月14日ということで先生方もチョコを学校内で渡しあったりしないように取り締まったりもしているらしい。
見つかると没収されるらしい。
さっき、廊下で渡そうとしていた子も先生に取り上げられていた。
可哀相だが、渡すなら場所は考えた方がいいな。
でも、あの光景を見てなかったら、私も登校したその足で岡崎の教室に行ってしまいそうだったが。
ホームルーム中はそんなことで頭が一杯だった。
その後の授業は渡すシチュエーションを考えながらだったせいか、余り授業に集中できなかった。





2: Nagisa Tomoya.



傾いてきた赤い夕日が、教室を照らす。
静かな時間だった。

「朋也くん、あの」
「おう。待ってるからちゃんと言ってみ」
「は、はい」

人が減り、普段なら騒がしい教室には、今は朋也と渚の二人しかいなかった。
そこは渚が所属するクラスの教室。
放課後になってそわそわしだした渚と、ふらりと彼女を迎えに教室にやって来た朋也とを見て、頑張ってねと年上の同級生の肩を叩いていた女生徒達も、今はもういない。
普段通り一緒に帰ろうと声をかけた朋也の制服の袖を、渚がぎゅっと握ってから、静かな時間が過ぎていた。
今日はバレンタインデー。
もしかするとここにいる二人のように、そこかしこで男女がゆっくりとした時間に浸っているのかもしれなかった。
春めいてきた風が窓際に立つ渚の髪を揺らす。

朋也は、そんな渚の髪を右手でそっと整えてやりながら、続く言葉を待っていた。
普段は慌て者で――――少なくとも朋也はそう思っていたくて、そんな渚だったけれど、ここ一番での肝の据わり方は流石に年齢並みの落ち着きを持っているように見えた。
すぅはぁと大きく深呼吸したあと、渚はひとことカニギョウザバーガーと宣言してから、朋也の目を真正面から見つめた。
春風が渚の香りを運ぶ。
その瞳の深さが好きで、朋也は少し息をつめた。
渚の唇が動く。

「っと、とととっと、朋也くん! だ、だ、だ、大好きでしゅっ!」
「……」
「……」
「フォアグラバーガー!」
「いや、別にいいけどさ」

くーっと顔を真っ赤にして俯いてしまった渚を、朋也は正面から右手で抱き寄せる。
まだ後ろ手にチョコレートの箱を隠したままで、渚は素直に朋也の腕に包まれた。
もう馴染んでしまった朋也の香りが渚を落ち着かせる。
すっすっと空いた方の指先で、渚は朋也の胸に意味のない図形を描いた後、ぽふっとそこに顔を埋めた。

窓際の机に腰掛けて、朋也はしばらく渚を柔らかに抱きしめていた。
こんな風に抱きしめられて、渚がもじもじしていたのも今は昔、ゆっくりと伝わってくる彼女の体温が心を温めていく。

朋也は、さらさらとした渚の髪に顔を埋めた。
ちょっとだけ甘いシャンプーの香りは、以前自分が好きだと伝えた香りで、それを思い出した朋也は、愛しさで死ぬかと思った。
そんな朋也の振る舞いに、少しだけ恥ずかしげな態度を見せた渚だったけれど、すぐに向き合った姿勢から体勢を変える。
後ろを向いて、背後からすっぽりと朋也に抱きしめられた渚は、綺麗にラッピングされたチョコレートの箱を胸元に抱きしめた。
それから髪を朋也に任せて、ゆっくりと背中の向こうに重さを預けた。

開かれた窓の向こうから春風がふわりと忍び込んできて、ぱたぱたとカーテンが揺れる。
朋也は、髪で隠れた渚の耳を指先でくすぐってみた。
渚は朋也を振り仰いで、少しだけ、むっとした顔をした。
赤い頬がなんだか可愛くて、朋也は笑った。
そんな朋也を見て、渚はまた顔を俯ける。
それからぼそぼそっと、小さく呟いた。

「私のほうがお姉さんなのに、なんだかこういうの、悔しいです」
「そんなこといっちゃって。渚は可愛いな」
「うー」
「うりうり」
「ひゃう」

朋也は顎で渚の頭をぐりぐりといじめた。
後ろから伸ばされた朋也の腕に、きゅっと右手を添えて、渚は呼吸を整える。
きっと心臓の高鳴りは朋也の腕に伝わっていて。
それでも言葉を紡ぐ。
もういつものおまじないは要らなかった。

「朋也くん」
「おう」
「わたし、朋也くんのこと、大好きです」
「俺もだ。俺も、渚のことが大好きだよ」
「嬉しいですっ」

くるりと朋也を振り返った渚の目には、もう自分を卑下したり何かを迷ったりする色はなかった。
渚は、見上げた朋也の腕に添えた右手に、ぎゅっと力を込めた。
それから、ゆっくりと目を閉じ、そっと伸び上がって朋也の唇を盗んで見せた。
初めて交わしたあの日から変わらない―――大切な大切な約束。

「んっ、んっ」

一つ一つが愛しくて、渚は何度も朋也の唇をついばむ。
そんな積極的な渚に少し驚きながら、朋也もそのキスに応じる。
花の香りがふわりと鼻先を掠めて、それはいつもの渚の匂いだった。
綺麗に閉じあわされた睫がふるふると震えているのも愛しければ、するりとした肌も魅力的だった。
これまで渚を視界に捉えながら放って置いてきた連中に、少しだけ朋也は感謝した。
そんな事を考えるのに罪悪感が沸くくらいには、朋也の心は渚に奪われていた。
最後に長めのキスをして、ぺろりと朋也の唇を柔らかい舌先で舐めてから、渚は唇を解いた。

「ふぁ、ん」
「んっ……キスする時は言って下さいって、いつも言ってるくせに」
「でも朋也くん、それを守ってくれたこと、ないですから」

ぺたぺたと朋也の頬を撫でてから、渚は上半身だけ振り返った。
それから、昨夜作ったチョコレートの入った箱を朋也に手渡す。

「なにこれ」
「今日はバレンタインなので、朋也くんのために作ったチョコレートです」
「そっか。ありがと、嬉しい」

そう呟き返してから、ちゅっと軽く渚の頬にキスを落として、朋也は受け取った箱を大事そうにてのひらに載せた。
照れくさそうにしながらもどこか嬉しそうな朋也を、その腕に包まれて見上げながら、渚はふわりと微笑んだ。

「これ、今空けて食べてもいいのか」
「あ、そうです」
「ん」

何かを思い出したようにするりと自分の腕から抜けた渚を、朋也は不思議そうに見やる。
てのひらに載せられていた、綺麗なラッピングの施された小箱を手に取った渚は、ゆっくり包みを剥がす。
その渚の所作がなんだか魔法のように軽やかに見えて、朋也は心が浮き立ったのを感じた。

渚の小さな手で開けられた小箱の中には、チョコとミルクとの色合いが柔らかく溶け合った一口サイズのチョコレートが入っていた。
星型やハート型など、いろいろな形があって、一目見ただけで渚の気持ちが伝わって来るようだった。
食べてもらう人に楽しい気持ちになって欲しい―――美味しく食べてくださいね、と。
朋也は思わず身を乗り出してしまう。

「お、すげぇ。こんなのも作れるのか渚は」
「はい。お母さんにお手伝いしてもらったんですけど」
「……大丈夫なのかこれは」
「朋也くんひどいです。お母さんはパンじゃなければすごいんですから」
「それもどうなんだ」
「ふふっ」

ぺろっと舌を出して可愛らしく笑いながら、渚は広げられたチョコレートを指先でつまんで見せた。
自然とチョコレートに視線を奪われる朋也。

「んっ」
「ん、ふ」

渚は、頬をこれ以上ないほど赤らめてからひょいとチョコレートを口に運ぶと、朋也に口付けた。
流石に驚いて目を見開く朋也だったが、渚はそんな様子にもかまわず、どこか一生懸命に柔らかく甘くチョコレートを朋也の口内に送った。
二人の吐息がチョコレートに埋まり、とろりと流れる。

夕方に近づいた風が、さぁと窓を潜り抜けて渚と朋也の髪を撫でた。
傾いた夕陽の赤さが二人を染める。

「渚」
「わたしの方が、お、お姉さんですからっ」
「そだな」

朋也はもう一度、きつく渚を抱きしめた。




3: Tomoyo.


キーンコーンカーンコーン……。
お馴染みの音が静かな校内に響く。
それを合図にざわざわと教室、廊下と生徒の声でぬるりと喧騒が作られていく。
私はスッと机の中に手を入れる。
そこには教科書とは違う少しざらざらした紙の感触があった。
それを手に取るとスカートのポケットにそれを仕舞いこんだ。

「よし!」

気合を入れるために心にカツを入れる。
だが、無意識のうちにガッツポーズと声が漏れていたみたいだ。
近くにいた女子がビクッと震えてこっちを見ている。
見るな、こっちを見るな。は、恥ずかしいじゃないか。
恥ずかしくて私は彼女に見ないでくれと伝えようと彼女の方へ向いた。

「ッッッッ!!!」

目が合った瞬間に相手の女子が顔を真っ赤にして走り去る。
声を掛ける事すら出来ないほどの圧倒的な脚力で。
脱兎の如くとはこのような感じなのだろうと思わず納得できそうだった。
何とか視界に捉えたのはその女子が何か赤い包みを持っていたとこくらいだった。

「一体なんだったんだ……」

伸ばした手が行き場を無くして宙を彷徨う。
しょうがなく下ろした手がスカートの中の包みに触れ、自分が何の為に立ち上がったのかを思い出した。
教室の黒板の上に飾られた時計を見ると、昼休みに突入して10分過ぎている。
無駄な時間を過ごしたみたいだ。

そしてすぐに、3年の岡崎の教室に足を運んだけれど、岡崎は居なかった。
落胆を隠さない私の様子が気になる上級生もいたようだけれど、そのうちの誰もが私に声をかけてはこない。
それは少しだけ寂しいことだったけれど、自分が過ごしてきたこれまでの時間を考えてみれば、おかしなことではなかったのかも知れなかった。
いつも岡崎の傍にいる春原も教室内にはおらず、諦めて岡崎の教室から退出する。

そのとき丁度、通りかかった彼のクラスの顔見知りの委員長に聞くと、昼休みになると同時に岡崎は演劇部の部室に行ったらしい。
彼女は一瞬、居場所を教えるのを戸惑っていたように思えたけれど、すぐにこりと笑って教えてくれた。
すぐに演劇部の部室を目指そうとした私の出鼻を挫くように、予鈴が鳴ってしまった。
演劇部室―――ずっと前に聞いたことがあるその単語を反芻しながら、自然と落ちてしまった肩のまま、私は教室へ戻るのだった。
次は放課後、今度こそはきちんと岡崎にチョコレートを渡さなければと意を決して席に着いた。





「「っ…ん…」」
「そ、そんな……」

私は何か夢でも見ているんじゃないか。
岡崎が所属するのとは別の教室。
そこへ朋也が入っていくのを見たという生徒から話を聞いて、そこへやってきた私が見たものは。
朋也を驚かそうと気配を消して開けたドアの先には、重なり合う二人の知り合いがいた。
片方は懸命に足を伸ばし彼との差を埋めようとする女性。
もう片方はそれを慈しむように抱きとめる男性。
私は両方とも知っていた。
女性は古河渚。岡崎とよく一緒にいる女生徒だ。
男性の方は……岡崎……朋也。
私の探していた人だった。

「は……はは……はははっ」

笑いが零れる。
頬が引き攣っているのが分かる。
自分でも分かる位上手く笑えていなかった。
それが可笑しくてまた自分を笑わせる。
ああ、笑いすぎで腹筋が痛い。
痛くて……凄く痛くて少しだけ頬に涙が伝った。
傾いた夕日に照らされて、二人は物凄く幸せそうに見えた。
私はいたたまれずに、そこから離れる。
ドアを閉めてふらりと外に出た。

舞う風に攫われて、若い木の葉がすべり行く。
まだ、2月。外は寒く、放課後に中庭で過ごそうなどとする人間は居ない。
その中、私は設置されているベンチに腰掛ける。
はぁ……とついたため息は白く吐き出され刺すように冷えた空気に溶けた。

「ばかだな、私は……」

俯き気味に呟き、もう一つため息を吐き空を見上げる。
見上げた空には、千切れ雲を孕んだ赤い色だけが広がっていた。
何も考えず、ただ、空を見上げる。
風に流された雲がちらりと視界の隅を捉えるがそのまま、形を変えながらまた、視界の外へ消えて行く。
そんなことを何度繰り返したか、急に少し、視界が暗くなる。

「坂上さん……どう……したんですか?」

声のした方へ空から視線を移した。
そこには昼休みが始まった時に会った女生徒が立っていた。
目が合ってから、顔を赤くして走り去っていった少女だった。

「いや、どうもしない。えっと……君こそどうしたんだ?」

寒いだろう? と最期に付け足し軽く笑う。
私はちゃんと笑えているだろうか?
まぁ、自信は無いがこの少女とさして面識があるわけでもない。
普段の私を見知っていないのなら、私が今どんな気分で居るのかなんて分からないだろう。
女生徒はえっと……あの……と要領の得ない言葉を紡ぐ。

「すまない……ちょっと今は一人にしてくれないか?」

何時もの私ならその程度では何とも思わなかっただろうが、今はタイミングが悪い。
要領を得ない態度に少しイライラとした気持ちがつのり、言葉がいつもより刺々しくなる。
今の私にはあまり相手を思いやっている余裕は無かった―――少しだけでも甘えさせて欲しかったのかもしれない。
そんな私の幼い敵意を見て、昼休みの初めの頃と同じように、ビクッと体を震わせる彼女。
それでも彼女は先ほどのように立ち去らない。
余程伝えたいことがあるのだろう。視線だけは私をがっちりと捕らえて離さなかった。

「すぅ……はぁ……えっと……その……チョコレート……受け取ってください!!」

意を決したのか、一度深く深呼吸した後、たどたどしくも真っ直ぐに、私に向けて赤い包みを差し出す。

「えっと、これは?」
「わ、私本気なんです! 絶対、おかしいと思うと思います。私もおかしいって……思います。
 でも、でも!! 本気で、坂上さんが……好きなんです。」

勢いでとりあえず、受け取ってしまい包みを見ながら少女の説明を聞く。
そんな私に反応して、早口でまくし立てる彼女。
目尻の端にはうっすらと涙を湛えている。
それほど純真に気持ちを伝えてきた彼女が、少しだけ愛おしく思える。
そして、そんな彼女が眩しかった。

――――彼女になら渡してもいいかも知れないな。

ポケットにずっと仕舞いこんでいた包みを取り出す。

「なら、私のチョコも貰ってくれないか?」

彼女は差し出された包みと私を交互に見た。
少しの逡巡。
そして、少しだけ寂しげに微笑みきっぱりと断言した。

「ごめんなさい、それは出来ません」
「どうして」
「そのチョコは坂上さんの手作りですよね?
 なら、坂上さんはそれを誰にあげるかを考えながら作ったはずです。
 それを……そんなチョコを受け取れません。
 チョコに失礼です。
 だから、それは坂上さんが最初にあげようと作ってあげた人に渡してあげてください。
 どんな結末になっても」

彼女が笑う。
さっきまでおどおどして彼女の面影はそこには無かった。
瞳に凛とした光が宿っていてとても眩しかった。

「うん、そうだな……」

私は笑みを浮かべる。
久々に笑った気がする。

「はい!」

同じように笑顔を浮かべる彼女。
私は彼女から渡された包みを空けて、中に入っていた少しだけ歪んだ星形のチョコレートを口にする。

「ありがとう、チョコ美味しかった」

私は出来る限りの笑顔で、彼女に礼を告げた。





4:Tomoyo Tomoya Nagisa.



「何かをしているときには、他の何かは出来ない、か」

その通りだな、と小さく苦く呟いて、私は校門前で岡崎を待っていた。
唇には、まだ少し甘いチョコレートの味が残っている。
ひとつ呼吸をする度にその香りが、一杯に詰まった甘さを私に届けて来るかのようだった。

失恋した時に受け取ったものは、自分が恋焦がれて――――岡崎に届けたいと想った形だった。
私はここにいると、大きな声で叫んでみたかった。
目標があって、それを達成するために邁進して、そして置き去りにしてしまったこと。
後悔はしていなかった。
自分に出来る精一杯のことをしたのだし、そして目標も達成できた。
そして、そして私の心に残ったのは、もう遠くなった日に感じた少しだけの惹かれる力。
後悔はしていない筈なのに、胸が苦しくて泣きそうだった。

顔を上げて、頭上を遥か覆う桜の木を見上げる。
こんな事を考えるのは馬鹿げているだろうか。
なぁ岡崎、お前と二人で、この桜の下を歩くんだ。
笑いながら――――たまには喧嘩をしたっていい。不器用な自分が、それでも道を歩いていくために、朋也とぶつかり合って生きていくんだ。
デートして、笑いあって、キスをして、抱きしめあって。
それはきっと幸せだったカタチ。

ポケットから、手作りのチョコレートを取り出す。
そして、先ほど貰ったチョコレートの入った箱を、その横に添える。
重さに違いはないんだなぁ、と思った。

こんなに胸が苦しくなるくらい好きだったなんて、知らなかったから。
その気持ちを受け取って欲しいと願うのは間違いだろうか。
俯いて、受け取ったチョコを口に放り込んだ。
甘い。
甘くて切なかった。

顔を上げたとき。
不思議と悶々とした気持ちは無くて、まだ青い桜の木々が編み上げる春色の天井の隙間から、空を見上げていた。
赤く化粧を施した夕空は、今日も高く澄んでいて、綺麗だった。
かさかさ、と、春風が梢を揺らす。
その風が髪を撫でた。
頑張ってチョコレートを作っていた自分の世界と、静かな教室で口付けを交わしていた二人の続いてきた世界とが、カチリと音を立てて繋がった。

「紅の 初花染めの 色深く 思ひし心 われ忘れめや」

なんてな、と呟いて、智代は女生徒から受け取ったチョコレートの、最後の一粒を口に放り込んだ。
きっと苦労して選んだのだろう可愛らしい包装紙を、丁寧に丁寧に畳んで、鞄に収める。
もう智代の顔に、思い煩う色は欠片も無かった。
ぐっと背伸びをして、形のいい乳房が反る。

「岡崎、早く来ないかなぁ」

ぽつんと呟いた智代の言葉は、ゆっくりと風に溶けていった。





朋也は一人、校門に向かって歩いていた。
先に行って校門のところで待っていて下さいと、赤くなった顔はそのままに渚がお願いをしたからだ。
何か野暮用でも残っていたのか、まぁいきなり教室まで押しかけたのは自分で、その後ずっと一緒だったからなぁと、朋也は思っていた。
元気な渚に無理をさせるんじゃねぇぞ―――と、目つきの悪いパン屋の声が耳元で跳ね返る。
甘ったるいチョコレートと、そして何かの香りをそっと風に乗せながら、朋也は歩く。
そして、校門の前に、見覚えのある女生徒が立っているのを見た。

「よぉ。智代じゃねーか」

少し距離があっても、片手を挙げて挨拶するくらいはいいよなと、朋也は思う。
それくらいには言葉を交わした時期もあったのだと考えてから、それは大分昔のことになるのかも知れないと改めた。
そんな朋也の逡巡を気にかけることなく、智代はぱっと顔を輝かせて傍に走り寄る。
そしてその距離が、以前より少しだけ離れていることに、朋也が気づいたかどうか。

「お疲れ様だ、岡崎。久しぶりだな」
「そ、っかな? まぁ俺みたいな不良に構っていられる生徒会長様じゃないもんな」

おどけた振りをする朋也。
両手を大げさに広げて、悪友の出世を祝って見せた。
半日前の智代なら、朋也のそんな様子に悲しそうな顔をしたかも知れなかった。
けれど笑顔で少女は、自らの決めた線から半歩だけ、踏み込んで見せた。
夕日が綺麗な髪を塗る。

「そうだぞ岡崎。私はこれでも、毎日が忙しいんだからな」
「へっ、よく言うぜ。人待ち顔でぶらぶらしてたくせに」
「そうだな。今日は、お淑やかな私でも、人待ち顔で誰かを待っていていい日なんだ」

少しのはにかみを浮かべて俯いた智代を見て、先ほどの恋人との逢瀬を思い出したのか、朋也はもごもごと口を動かして明後日の方を向いた。
右脇にぺしゃんこの学生鞄を挟み込んで、両手をポケットに突っ込んだままの朋也と、両手で鞄を前に抱えた智代の影が、夕日に照らされて道に伸びる。
人の居ない閑散としたグラウンド。
微かに揺れる桜の木々。
ゆっくりとした時間を切り裂いたのは、智代の言葉だった。

「岡崎、私の作ったチョコレートを受け取ってもらえないか」
「えっ」

まさかお前が俺に、という顔をしながら、朋也は困惑の声を上げる。
そんな朋也を見上げながら、智代は精一杯の笑顔で告げた。

「別に、私と付き合ってくれとか、そういうのじゃないんだ」
「あ、ぁあ。おう」
「私は、私が―――」

一度目を閉じて、智代は深呼吸した。
甘いチョコレートの香りが胸を駆ける。
言おう、と思った。

「私が、岡崎のことを好きだった事を、どうしても岡崎に―――と、朋也に、知っていて欲しかったんだ」
「それは、でも」
「今日この日、バレンタインに免じて聞いておいてくれないか。私だって乙女だからな」

こういうのに憧れていたんだ、と、智代は続けた。
それから、もそもそと右手をポケットから差し出そうとする朋也を見て、ほっと息を抜く。
高鳴る胸の鼓動を表すように、智代の強い右手が揺れた。
伸ばされた朋也の手のひらに、ゆっくりと、そっと。
智代は手作りのチョコレートを載せた。

「っと、なんて言っていいか、あれだけど。ありがとな」
「うん」

何処か照れくさそうに受け取った朋也に、最後の笑顔で返事を返す。
それから智代は、くるりと軽やかに身を翻して、坂下へと駆け出した。
それはあまりにも自然で、朋也が声をかけた時には、バイバイと可愛らしく手を振る智代の姿は、坂の向こうに消えようとしていた。

「っ智代! なんつーか、ありがとう! 俺! お前のことずっとずっと応援してるからなっ!」

背中の向こうから届く朋也の声に、智代は一度だけ歩調を緩めたけれど、次の瞬間にはまた駆け出した。
最後に、最後に一度だけ、見送ってくれる朋也に手を振り返して。

「尼にでもなるかな」

ふふっと小さく笑ってから、頬を伝う涙を指先で払った。
ストライドを広げたことで、体が宙を軽く舞う。
こちらを見て目を丸くする人達に笑いかけながら、智代はもうひとつギアを上げた。
家まではまだまだかかる――――青春万歳。






「30点です、朋也くん」

古河パンへの道すがら、渚はそう言って朋也の制服の裾を握った。
もう既に道は暗く、所々に増えた街灯は、淡い光で夜を開いていた。
ゆっくりと、朋也と渚の二人は歩く。

「赤ですか先生」
「まっかです」

ほろ苦い甘さを感じながら、朋也は渚の歩調に合わせて、ペースを落とした。
智代からチョコを手渡されて、あっという間にその姿を見失ってから、朋也があれこれ何かをする暇も無く、渚が姿を現したのだった。
曰く覗いていたのではなくて見ていた―――のだそうだ。
いつもより近い距離を感じながら朋也が問うたのは、渚が先の一幕をどう感じたのかということだった。
浮気云々を匂わせるような発言も無かったし、中々男らしい(もちろん乙女として、であるが)智代の態度もあって、それほど酷くないと踏んでいた朋也の目論見はあっさりと覆された。
流れる風に漂いながら、朋也は解説を乞う。

「別に、智代のことを笑いものにしようとか、見世物にしようってんじゃないんだけど」
「はい」
「どういうところが減点だったんでしょうか」

渚は珍しく、恋人との年齢差相応の、まったく朋也くんは、といった顔をして見せてから口を開いた。
左手の指を一本立てる。

「まず、朋也くん、ちゃんとわたしとお付き合いしてるって、言ってくれませんでした」
「あ」

そっそっと伸ばした右手で朋也の左手を絡め取った渚はそう言う。
元気で居られたなら渚は、こんな顔も見せてくれたんだと、朋也はそんな事を思った。
ゆらりと空で雲が揺れた。

「そりゃ、なんつーか。悪かった」
「何が悪かったんですか?」
「いや、うーんと」
「はい」

いつまででも待ちますよ、と微笑んで渚は、朋也を見上げる。
さながら小さい妻の尻に敷かれた夫然として、朋也は頬をかく。

「……慌ててて、ぱっと、渚が彼女だって事が口から出なかった、俺の駄目彼氏っぷり」
「そうですね」
「ひっでぇのな」
「坂上さんだって怒ってた筈です」
「そっか」
「はい」

前を向く渚の顔は、朋也からは伺えない。
伸びる街路に、ひたすら足を継いで歩く。

「他には何か」
「朋也くん、坂上さんのお願いに、ちゃんと言葉で応えてませんでした」
「うぅ」

渚はもう一度、ぴっと左手の指を立てて見せた。

「がっかりしたんじゃないでしょうか」
「そっかぁ……」

渚は淡々と言葉を紡ぐ。
最後の街灯を追い越して、朋也はひとつ溜息を吐いた。
その溜息を拾うようにそっと、渚が口を開く。

「出会えなかったら」
「ん?」
「出会っても何かが違ったら」
「……うん」
「それは神様が決める事なのかも知れないですけど」
「うん」
「もし、わたしが今もお布団で寝てたら」
「渚」

繋いだ手を、朋也は優しく握った。
その温かさに、大丈夫ですよ、と握り返して、渚は続ける。

「わたしが朋也くんの傍に、今こうして居るのは、やっぱり何か意味があるんだって、そう思いたいんです」
「ん」
「それを、朋也くんの中に残しておいて欲しいと思うのは、きっと、誰が傍に居ても信じたい事の筈です」
「そっか」
「え、えへへ。別に責めてるんじゃないです。ただ、それが分かるから、それくらい朋也くんの事が好きだから、喜んで受け取れない理由を伝えて欲しいし聞きたいんだと思います」
「うん。……智代にもちょっと酷いことしたかもな。叱られそうだ」

がりがりと頭をかいて反省する朋也。
宵闇には、あちこちから夕餉の香りが混じる。

「わたしもまたお説教ですっ」
「ああ、頼むよ」

渚は、一度足を止めて夜空を見上げた。
満天の星が、今日も空を縫い止めている。

「気持ちを伝えて、きちんとお返事を貰って」

星は瞬く。
月の見下ろす縁が、この街にどのくらいあるのか。

「多分そうやって、この街も続いていくんだと思いますから」
「……そだな」

朋也はそっと、渚の髪を撫でた。
ゆっくりと静かに、ひとつのセイントバレンタインデーが、終わりを告げた。








fin.


















後書き。

・機微さん
読んでくださってどうもありがとうございました。
まぁオン友とは初めての合作でした。
楽しく書けたんで良かったなーとか。
祭りの雰囲気を壊したくなくて空気読めて、それでも辛口の感想とか駄目出しをしたいって方は是非メールにてどうぞ。
宛先はこちら:painkilleryuki@hotmail.com
原作厨が文句垂れるかなと思ったけど、こんな話でSS書いてみました。
一人で書いてる時は、世界オナニーコンテスト通称ワールドオナコンに参加するつもりで書くので、タイピング自体がンギモヂイィィィイイイイイんですけども。
合作はネタ出しであれこれ考えてる時が面白いですね。
要するに渚可愛い智代可愛いってことです。



・ひなたん
ごめんねっごめんねっ!はい、ボクから話持ちかけておいてやっぱりあんまり時間が取れなかったというねw
死ねばいい。できれば、痴情の縺れで。浮気って男の甲斐性だろ?って機微さんとかろっどさんに教わったの!
憧れゆ。
でも、ボクも合作なんて全然やってないというか暫くSSかいてなかったのもあって試行錯誤でした。
うん、2月14日時点で渚が登校していてもいいじゃないか、SSとはそういうもしも…を描くものだと駄文作成機なりの解釈。
ネタ出しもこっちはこうだろ?うはwwおまwwねーよ(真顔)とか面白かったですな。
自分ひとりだと浮かばないネタとかも一杯ですしね。
それはともかくですね。読んでくれてありがチュッ(はぁと)←死ね
























お囃子・感想などいただけましたら。

おなまえ(省略可)



お囃子!(→盛大)

ぱち ぱちぱち ぱちぱちぱち

よろしければ何か一言!(省略可)





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