雨が、降っている。
昏い闇を湛える瞳が、窓辺から空を見上げている。
その瞳からは、如何なる感情も読み取る事は出来ない。

『――こんにちは、お昼のニュースの時間です。最初のニュースです……』
点けっ放しのラジオからは、朗々と女性キャスターの声が響いている。
見上げる瞳の持ち主は、何を思ったのか、勢い良く窓を開け放った。
響く雨音が強くなる。
柵に当たって跳ねた滴が、徐々に顔を濡らしていく。
顔を。身体を。部屋を。
濡れた髪が、そして服が体温を奪おうとも、決して窓が閉じられる事はない。

「♪It's time to fall It's time to say goodbye」
――そしてやがて、瞳の下の唇が、小さくメロディーを紡ぐ。
その顔に、軋む無表情を貼りつけたままで。
言葉が、床に落ちる。
やはり、表情は、読めない。


雨は、降り続いている。



『All Dead』



三月に入ると、空気の冷たさも解れ、徐々に暖かくなってくる。
肌で感じる。もうすぐ春なのだ。
「リキリャフカッ」
「うわぁっ」
柄にもなく黄昏ていた僕に、背後から突然クドが謎の叫びをあげながら抱きついてくる。
驚いた僕は、情けない声を上げて飛び上がってしまった。
「クド…………あのさ、教室だよ?」
「わふー、細かい事を気にしては駄目なのですー」
授業後すぐの教室には、まだかなりの人数が残っている。
制服に顔を埋めるクドは、しかしそれを気にする様子もない。二人きりで居る時と同じように、わふわふ言いながら顔を擦りつけてくる。
――最近のクドは、こんな事が増えてきたなぁ。
クドは、僕の彼女だ。
可愛らしいクドを僕はとても好きだし、クドも幸いにして僕を好いてくれているようだった。
しかし、周囲を気にしないスキンシップの増加に、僕は嬉しいとは思いつつもどうも違和感を覚えていた。
何かしら理由がある筈だ。思い当たる節はないんだけど……。
首だけを回して後ろを向く。
依然としてわふわふ言っているクドと、目が合った。
――吸い込まれるような瞳だ。
双の碧眼は、宝石のような美しさを以て僕を射抜いている。
何もかも見透かされるような、そんな錯覚を覚える。
「――リキ? どうしたのですか?」
クドの声で我に返る。
どうやら見入ってしまっていたようだった。
「あぁ、ごめん。何でもないよ」
言いながら、僕は自分の思考に疑問符を浮かべた。
見入っていた? ……それは少し違う。
“僕が”見入っていたのではなく――
「理樹君、クーちゃんっ」
「ん、あぁ、小毬さん」
教室の入口付近で、小毬さんがこちらに向かって手を振っている。
「クド、呼んでるし行こうか」
「……はいー」
クドを引き剥がして小毬さんの元まで向かう。
「どうしたの?」
「ちょっとゆいちゃんがね、……」
どうやら大した用事ではなかったようだ。
小毬さんと雑談に花を咲かせる。
どうやら、来ヶ谷さんがまた悪質な悪戯を仕掛けたようだった。
葉留佳さんとはまた別の意味で色々危険な人だから、恭介が卒業していない今となっては、僕が率先してストッパーにならねばならない。
そこで、「ん?」と気付く。
「クド、体調悪いの? さっきから口数少ないみたいだけど」
「あ、いや、大丈夫なのです。お気遣いなくっ」
「クーちゃん、本当に大丈夫? 体調が悪いなら早めに休んだ方がいいよ?」
心配して小毬さんも声を掛ける。
どうやら今日のところは早めに帰した方が良いのかもしれない。
「クド」
「なんでしょうか?」
「今から僕は来ヶ谷さんを食い止めに行かなきゃならないけど、あまり調子も良くなさそうだし今日はゆっくり休んで」
「でもっ……」
「でもじゃない。休む時は休まないと、ね?」
「そうだよクーちゃん。別に明日だって理樹君と一緒に居られるんだし。ね?」
「……っ。わ……かりました、ですー……」
どこか不服そうなクドを、僕と小毬さんは何とか説得して部屋へ帰した。
最近様子が少しおかしく感じていたのも、もしかしたら体調が悪いせいだったのかもしれない。
女子寮の扉を振り返りながら、そんな事を思った。


――その後処理に向かった来ヶ谷さんの悪戯は、予想を遥かに超えて悪質だった。
コラであると思われる女装姿の僕のスカートが捲られる写真と共に、「この人痴漢です!」と赤字で大きく書かれたビラがそこら中の男子生徒の背中に貼ってあるのだ。
うわぁ。本気でうわぁ。


**

最近、天気が崩れる日が増えてきたように感じる。
明後日は14日のホワイトデーだが、天気予報によるとどうやら雨になるらしい。
渡り廊下から見上げた空は、どんよりと重い曇り空だった。

「早い所ではもう桜も咲いてるのに、こんな天気ばかりだとさっさと散っちゃうなぁ」
嘆く。
昼放課になり、僕はクドと二人でお弁当を食べている。
最近は、たまにクドがお弁当を作ってきてくれるので、僕も有り難く頂戴している。こう言う時は本当に彼氏冥利に尽きるなあ・と思う次第だ。
「美味しいですか?」
僕に向かって尋ねるクドは、あれから特に変わった様子はない。
『特に変わった様子はない』と言う事は勿論善し悪しで、僕には未だにクドに対する違和感の正体は掴めず仕舞い。
体調が悪いと言う事ではどうもなかったようだけれど、こうして会話している今も僕は謎の違和感を抱えていたりするのだ。
「リキ?」
「あぁ、ごめん。考え事してた。今日も美味しいよ。特にこのおひたしが、味が染みててすごく美味しい」
「そうですかー。嬉しいです、わふー」
こちらを覗き込むクドの瞳は、僕を見透かすような透明さだ。
その透明さに惹きつけられる。
純粋。純真。
そんな言葉が浮かぶが、しかしそのどれもが違和感を以て切り捨てられる。
何かが違う。
ボタンを一つ掛け違えているかのような、些細な違和感。
上手く言葉にする事が出来ない。
そんな双眸が、僕の瞳と向かい合う位置にあった。
「あ、いたー!」
――唐突に、背後から声が飛んだ。
振り向くと、そこにいるのは鈴と小毬さんだ。
何やらこちらを見ている。嫌な予感。
「実は今クドと二人で昼食を――」
「理樹。来い」
「いや説明すらないの!?」
「えーとね、何だか真人くんと謙吾くんが食堂でまた喧嘩してるみたいで……」
「あ、そう……」
最近は恭介がいないので基本的には二人とも自重していたのだけど、今朝恭介が何かを思い出したようにいきなり帰ってきたので、血の気の多い真人が吹っ掛けたのだろう。
都合よく始まるものだと言うか何と言うか。
しかし、その恭介が未だ校内に残っているかどうかも解らない今、二人を止める役は僕くらいしかいないようだった。
「クド」
「なんでしょうか?」
「折角作ってくれたお弁当なのにごめん。ちょっと、行ってこなきゃ」
「…………仕方、ないですよね。わかりました、行ってきてくださいです」
「本当にごめん。……じゃあ行こう、二人とも」
クドに断って、仲裁に向かう。


特に最近は、こんな事が増えてきた。
クドと付き合っているとは言っても、それ以前に僕はリトルバスターズのリーダーで、恭介が行っていた事を引き継いで行わなきゃならない。
そこにジレンマを覚える自分がいないではなかったけれど、割り切る以外になかった。それが当然だと思っていた。
しかし、また一方で呵責する声が聞こえてもいるのだ。
――果たして僕は、頼まれれば断る事が難しいクドの性格に乗っかっていないと言い切れるだろうか?

クドと二人きりになれる時間が、少ない。



**

予報通り、朝から雨が降っている。
春が近いとは言え雨が降ると流石に肌寒く、僕は少しだけ厚着をして部屋を出た。

3月14日。
世間がホワイトデーと騒ぐ今日この日だが、果たして僕もバレンタインチョコのお返しをする為に、色々な人の所を回る。
勿論本命はクド一人だけど。
「義理チョコにも返さなきゃいけないのは面倒だけど、仕方ないね……」
人間関係とは難しいもので、ある程度気心の知れた仲でも、友人としての礼儀……のようなものがありやはり返さない訳にはいかない。
――僕が普段から軽率な人間を気取っていれば、きっとこんな悩みとは無縁だったんだろうけど。
そんな事を思いながら、鞄にどっさりと詰め込まれたクッキーの小包装を見て、はぁ・と溜息をついた。


そんなこんなで、女子寮に向かう。
今年のホワイトデーは休日と重なったので、授業日に合わせて手渡す事は出来ないのだ。
それにかまけて「返さない」と逃げたりすると後々バッシングを食らう事は火を見るより明らかだけれど、かと言っていちいちアポを取って呼び出すのも手間だ。なので、大方はポストに投函して済ませてしまう事にした。
寮に住んでいない人からはそもそも貰わなかったので、その点は好都合だとも思う。
思いながら投函していると、
「あれ、理樹君」
――女子寮の中から出てきた、ラフな服装の小毬さんに遭遇した。
ドキリとする。
女の子のオンとオフの差は、当然それを見慣れぬ男子にとっては衝撃的なものだ。
学校で見せる陽気で天真爛漫なオンの小毬さんとは違う、少しだけ無防備で艷やかな妖しさを秘めたオフの小毬さん。
胸元が少しはだけた寝間着姿に、僕は不覚にもクラリとくる。
「何、してるの?」
「――あ、あぁ、うん。あの、バレンタインの、お返し」
「あ、そっか。ホワイトデーだもんねー」
何故どもってしまっているのか自分でも解らぬまま、説明する。
そんな僕に柔らかく相槌を打つと、小毬さんはこちらをじっと見つめ、人差し指を唇に当てて「んー」と考える素振りをした。
そこで気付く。
「そうだ! はい、これ小毬さんの分」
「え、えー!? わ、わわわありがとうございます〜!」
ポストに投函している途中だったとは言え、本人が眼前にいるのに渡さない道理はない。
「ちょっと下手だけどね」
花柄の小包装に包まれたクッキーは、僕が昨晩数時間苦心して作り上げたそれだ。
クドの物を作ったあまりの生地を適当な型にくり抜いて作った、正に“あまりもの”だけれど、手作りと言う事で許してほしいとか微妙に腹黒いことを考えていたりする。
「へぇ〜、手作りなんだね」
「まぁね」
義理には変わりないけど・と言う言葉は胸に秘めておく。
そこまで空気の読めない男ではないつもりだった。

――――そしてそれが、全ての過ちだった。
「ねぇ、理樹君?」
「何?」
「前から思ってたけど、…………理樹君はさ、優し過ぎるよ」
「え」
「色んな所を振り返りすぎてるの。それじゃ皆――勘違いしちゃうよ」
そして、胸元をトン・と軽く押されるような衝撃。
バランスを崩した僕は、たたらを踏んで踏み止まる。
そして顔をあげると、
「隙だらけ」
声が降る。
同時、唇に柔らかい感触。
――……………………え?
思考がフリーズする。
僕は今、何をされた?
柔らかい感触はすぐに離れ、焦点の合わなかった視界に小毬さんが現れる。――唇に人差し指を当てながら。
それで漸く気付いた。
――僕は今、唇を奪われたのか。
「え? なんで?」
突然の事に、突然過ぎて疑問しか出てこない。
「「なんで?」なんて言ってる暇、あるの?」
しかし、小毬さんのその言葉に、僕は我に返る。
我に返った僕の隣を、通り抜けていく風。
耳朶に響くのは足音。瞳に映るのは、亜麻色の髪の残像。
「……っクド!」
すぐに振り向き、そう叫ぶが、クドは速度を落とす様子もなく雨の中を身一つで駆けていった。
――見られていたのか。
「追いかけないと」
呟き、背後の小毬さんを一瞥する。
顔面に貼り付いた笑顔からは、何も読み取ることは出来ない。無機質な笑顔。ぞっとする。
「早く追いかけなきゃ。……いいの?」
……良い訳がない。
ともかく、小毬さんに関しては後だ・と割り切る。
今は、一刻も早くクドを見付けないと。それが優先事項だ。
僕は踵を返し、小毬さんに背を向けて走り出した。


**

「女の子は、恋に打算的なんだよ……?」
呟く声が、女子寮の入り口ホールに響く。
視線の先には、駆けていく少年の姿。
――これで別れてくれるかどうかは解らないけれど。
少しだけ、期待くらいなら、しててもいいかな?
「…………ごめんね、クーちゃん……」
言う唇は、小さく笑んでいる。


**

クドが駆け出してから、一時間と少し。
「クドっ」
叫ぶ。漸く、クドを見付ける。
降りしきる雨の中で、独り傘も差さずに立ち尽くしていた。
「クド、風邪ひくよっ!?」
遠目にも長い間雨に打たれていたのだと解る程ひどく濡れたクドを見て、僕は駆け寄ろうとする。
しかし、
「リキ……?」
――振り向いたクドの表情を見て、足が止まった。
透き通るような瞳が、僕を射抜いている。
ここ十数日の間、クドが僕を見る視線はいつも“これ”だった。
そしてここに至って、初めて僕はこの瞳に正面から向き合った。
この瞳は、僕に何を訴えているのだろうか。
宝石? 純粋?
――違う。
そうやって小綺麗な言葉に逃げて、僕は向き合う事を恐れていたのではなかっただろうか。
そうだ。
漸く、気付く。
このクドの瞳は、“感情を押し殺した”瞳だ。
「リキ……」
ふらふら・と、クドがこちらに向かって歩いてくる。
顔を俯かせ、足取りは覚束ない。
何かを口にしなければ。何かを口にしなければ、もう取り返しがつかなくなる。
そんな、強迫観念を覚える。
「く、クド、まずは話を聞いてほしいんだ。さっきの小毬さんとのあれは勘違いで――」
「リキ」
三度、名を呼ばれる。
声量は小さい筈なのに、気圧された僕は何も言えなくなる。
「そんな事はもう良いんです」
言葉を紡ぎながら、クドはふらふらと近付いてくる。
金縛りのように、僕は動けない。何も言えない。
「今はひとつだけ、聞きたくて」
言え。何かを言え。言うんだ。
思考だけが空回る。
僕は何も、言う事が出来ない。
クドの言葉を、聞く事しか出来ない。
「リキは――」
俯いていた顔が、上げられる。
「――“恋人でいたかった”のですか? それとも、“一緒に居たかった”のですか?」
問いに、一瞬詰まる。
答えなんて決まっている。
決まっているけれど、即答出来ないのが、今の僕とクドの“恋人”関係だったのかもしれない。
そしてその一瞬の間が、致命的だった。
「…………っ」
クドの瞳が、揺れるのを見た。
何かを堪えるように、唇を噛むのを見た。
あぁ・と僕は思った。クドの“感情”を見るのは、本当に久しぶりの事なんだな・と。
同時、トン・と衝撃を感じる。
胸元を軽く押されたような、そんな衝撃。
体勢を崩した僕は、踏み止まろうとして、
――あれ?
そのまま、仰向けに倒れた。
おかしいな・と思う。この程度の衝撃でバランスを崩してしまう程、やわな身体ではなかった筈だ。
視線を、下へスライドさせる。
「あれ……?」
胸元から何かが、生えていた。
あれは、柄か。持つ為の柄。胸元に生えた柄。どうにもシュールな絵面だ。
何の柄だろうか・と思案すると、すぐに思い当たった。あぁそうだ。随分前にクドにあげた、果物ナイフの柄だ。
しかしどうしてあんな物が生えているのだろう。
視線の先、その柄の向こうには、立ち尽くすクドの足が見える。
僕も立ち上がろうとするのだけど、何故か上手く力が入らない。
「×××××、××××××××」
クドは何かを言っている。しかしどうにも聞こえ辛くて困る。
まぁ良い。
それよりも早く、クドに謝らないと。
そして言わないといけない。
クドと一緒に居たかったのは事実だし、クドを不安にさせてしまったのは僕だ。
これからは他の子に勘違いさせるような振る舞いは控える・と。そう言って、何とかして誤解を解かないと。
でも、何故だろう。
何故か、雨がひどく冷たい。
そう言えば、クドに手渡す筈のクッキーは大丈夫だろうか。ストレルカとヴェルカと遊ぶ、僕たち二人を象った自信作なんだけど。雨で濡れてしまったら台無しだ。クドは怒るかな。
いや違う。ともかく何かを言わないと。早く。早く。早く。
「××、××××」
クドの声が、やっぱり何かを言っている。
聞き取らなきゃいけないのはクドの声なのに、どうしてか雨の音が、やけに大きく聞こえる。
はやく。はやく。はやく。
ぼくはくちをひらこうと――。
……………………。
…………。


**

雨が、降っている。

昏い闇を湛える瞳が、空を見上げている。
その隣で、光を失った瞳が、空を見上げている。

貼り付いた軋む無表情が、泣き笑うように歪んだ。
光は、もう、二度と戻る事はない。
「♪all dead all dead」
唇から漏れたメロディーが、小さく響く。


雨は、降り続いている。
























お囃子・感想などいただけましたら。

おなまえ(省略可)



お囃子!(→盛大)

ぱち ぱちぱち ぱちぱちぱち

よろしければ何か一言!(省略可)





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