「え……? 恭、介……?」
「佳奈、多……?」
お互いが相手の姿を確認したのは、ほぼ同時だった。
俺はこの場から動けず、佳奈多も横断歩道の対岸で立ち尽くしている。
……そんな中、俺の耳に届くのは普段なら気にする事もない当たり前の雑音。
どこか心を急かしてくる、横断歩道の聞きなれたメロディ。
町を行く、名も知らない誰か達の雑踏。
唄うように頭上を飛び交う、使い古されたクリスマスソング。
そして……
俺の名を呼ぶ、隣に立つ女性の声。
その呼び声で、ようやく俺は信号の色が変わっていたことに気が付いた。
周りにいる人々の足が、一斉に動き出す。
規則正しく、脇目も振らず。
同様に、対岸からも人々の波が押し寄せてくる。
行く波と寄せる波。
それらはけして交わる事もなく、滑稽な程スムーズにすれ違っていく。
それでも、俺の足が動き出す事はなかった。
今すぐにでも、佳奈多の側へ行くべきだったのに。
向かうべき相手、佳奈多の視線が俺の意思を押し止めていた。
それは驚愕か……落胆か……
確かに言えることは一つだけ。
佳奈多の視線には……悲しみが溢れていた。
先に一歩足を踏み出していた連れの女性が、どうしたの、と俺を振り返る。
青信号でも歩き出さない俺を不審がり、無邪気な言葉で俺をからかってきた。
二言三言、話しかけられていたのかもしれない。
でも、俺はただただ向こう岸を見ていることしか出来なかった。
いつしか信号は変わり、再び車が動き出す。
俺と佳奈多の間で、幾台もの車が流れていく。
それはあたかも……
二人の間に生まれた、越えられない川のように感じられた。
In snow a wish ──雪に願いを──
それは年も終盤に差し掛かった一日、クリスマスイブに起きたなんでもない出来事。
その日の学校は二学期の終業式だけが執り行われ、昼前には自由の身になっていた。
「はぁっ!? 棗くん、プレゼント買ってないのっ!?」
「いやまて、どうしてそこまで叱責されなければいけないのかが理解できないんだが」
前傾姿勢気味に両手を机に乗せ、今にも飛び掛ってきそうな彼女は続けざまにまくし立てる。
「だってクリスマスよクリスマス! 想い合ってる二人のベリーメリークリスマスじゃないのっ」
「そもそも、想い合ってる二人って言われてもだな……」
でもベリーでメリーなクリスマスか……なんだか無茶苦茶めでたそうだな?
さて、天井知らずに文句を言い放っている彼女は女子寮の前寮長。
後輩達からはあーちゃん先輩と親しまれている生徒だ。
男女構わずフランクに接してくる彼女は、その人柄もあってか寮長を辞した今でも人気が高い。
結果、様々な頼まれ事を請け負う場合もあるようだったが……
「しかも今年はこんなイベントまであるっていうのにっ! ツリーまで設置して!」
彼女が言っているのは寮生会主催のクリスマスパーティーの事。
なんでも有志を募って校庭にクリスマスツリーを立て、クリスマスイブの夜を盛り上げるらしい。
現寮長である佳奈多が主体となっているそうだが、やはりというか目の前の彼女も一枚噛んでいるようだった。
実のところ、俺もさっきから彼女に捕まっていて、イベントに関しての話をしていたんだが……
「いいかげんこの機会にでもかなちゃんとくっついちゃいなさいよ」
「くっつくって……なんだよそれ?」
「んー、具体的言うと」
「言うと?」
「物理的に?」
あほか。
そもそもなんで疑問文なんだよ。
「だって私って清純派でしょ?」
「……さて、野球の練習は……と」
席から立ち上がろうとした俺の両肩をがっちりと押さえつけ、逃がさないわよーと宣言してくる。
微妙に目が血走ってないか?
落ち着けよと言う度に、じゃあプレゼント用意しなさいよ、と言い返してくる。
そんなやり取りも何回も繰り返すと流石に疲れてくる。
この不毛なループを終わらせるべく、結局なんなんだと強めに問い詰めると、だってーと恨みがましく、
「じれったいんだもん。 棗くんとかなちゃんって」
などと、なんとも返答しにくい結論を用意してきた。
まぁ、なんだ。
確かに俺と佳奈多はそういう感じな関係であるとも言えなくもなく……
簡単に説明すると、二人揃って最後の一歩を踏み出せていません的な状態のまま過ごしていた。
「だからここでプレゼントよ!」
「なんでそこでプレゼント?」
「クリスマスでしょっ? 雰囲気も手伝って二人の距離は一気に……っ」
「……? そもそも、俺はキリスト教徒ってわけでもないんだし……」
なんでそこまで頑なにクリスマスプレゼントを薦めるのかが理解できず、何気なく疑問を口にしたその瞬間。
「でたっ! でましたよ天然朴念仁発言っ! 頼れる二枚目男も実のところ色恋に無頓着ってな純粋少年ですか!?」
「とりあえず悪意ある評価なんだってことはメモしておくからな」
うそようそー、と謝罪をされてもまったくもって誠意は感じられない。
「大体だな、俺にプレゼントのセンスがあるとでも思うのか?」
「……あー。 そのあたりを失念していたわ」
「……そこはフォローしてくれよ」
「ちなみに、もし大切な人にクリスマスのプレゼントをするとしたら?」
ん、そうだな……
この季節は寒いしな。
心の底から暖かくなるような一品なんてどうだ?
「ハワイの空気の缶詰とか」
「はいアウトー」
即答かよっ!?
「そんなことないだろ? 普通はこんなプレゼント貰えないぜ?」
「普通にそんなプレゼントは貰いたくないわよ」
「え、マジで……?」
なんでだよ…… そんな理不尽なことってあるかよ……
結構凹む。
俺としてはこれ以上ないってぐらい会心のアイデアだと思えたんだが。
しかし俺以上にテンションが落ちかけていたのは元凶とも言えるこいつだった。
これみよがしに溜息をつき、頼まれてるし……とかなんとかぶつぶつと口ごもった後、
「おっけ。 んじゃあ一緒に探すわよ」
と自らに奮いをかけた。
「人生をか?」
「そんなもの棗くんと探し始めたらかなちゃんに睨まれるっての。 ほらっ、さっさと立つ!」
「いや、だから俺は別に……」
「い、い、か、ら!」
そのまま腕を引っ張られ、教室を、学校を後にする。
いつのまにやらクリスマスプレゼント購入作戦が開始されているようだった。
……なんでこんな事になってんだ?
「あー、なんか悪かったわね。 私の分まで買ってもらっちゃって」
「突然しおらしくされてもな…… 気にするなって。 お礼さ、お礼」
彼女の手には小さな、それでも一目でプレゼントだと分かる包みがあった。
それは俺の感謝が形になったもの。
結局佳奈多へのプレゼント選びには随分と時間が掛かってしまった。
雑貨屋、ブティック、デパートのインショップに、アクセサリーを取り扱っている露店。
それらを回り、これはと思う品を手に取る度、その都度駄目出しを受け……
今、俺が持つ紙袋の中には、お揃いの腕時計が入っている。
丁寧に装飾された、プレゼント用のリボンに包まれて。
「何だかんだ言っても、これを買えて良かったと思うよ」
「んふふー。 感謝しなさいよ?」
「してるって。 マジで助かったよ」
実際不思議なものだ。
佳奈多の喜ぶ顔を想像しながら、クリスマスプレゼントを選ぶ。
ただそれだけで、知らぬ間に心が随分と躍りだしていた。
当初の、何故わざわざプレゼントを買うのかといった疑問も氷解し、今では良い選択が出来たと感じられる。
「しっかしクリスマスか…… ホントに不思議だな」
「って不思議? 何が?」
思わず零した独り言を拾われた。
……だったら仕方ない。
多少照れ臭くもあったが、骨を折ってもらった仲だ。
こんなこと言うのもクリスマスの魅力って事にしよう。
「こんな気持ちになれるなんて思ってもいなくてさ…… なんかいいもんだな? こういうのも」
「あははっ。 棗くんもちょっとはロマンチックさをお勉強できたのかな?」
ロマンチックの勉強って…… 大統領でも目指せと?
「それにお前も楽しそうだしな。 手伝ってもらってなんだが、そんな反応も嬉しいから、さ」
俺としては中々にクサい台詞だったと思ったんだが。
「あったりまえでしょ?」
彼女は別段不思議でも、特別でもなんでもない事のように、
「十二月二十四日なのよ?」
はっきりと言い切った。
「クリスマスイブはね…… 女の子にとって、特別な日なんだからっ」
それは本当に、輝く笑顔だった。
世界中の全てから祝福を受けているように……
彼女は、今を、全力で楽しんでいた。
「ほらっ! そんな大切な日を使ってるのよ? 折角だから向こうのお店にも寄っていきましょうよっ」
「わかったわかった…… って腕を引っ張るなって。 とことん付き合うから……」
はしゃぐ彼女に引かれる形で町並みを歩く。
今感じている楽しさ。
これから訪れるであろう佳奈多との時間への期待。
そんな幸せで、頭が一杯だった。
だから。
大通りの横断歩道で信号待ちをしていた俺は。
俺達は。
どれだけ仲が良さそうに見えていたことだろう。
幸せが抑えきれていない男女二人組み。
その手には、買ってきたばかりと容易に想像がつくプレゼントの包み。
「え……? 恭、介……?」
「佳奈、多……?」
思いがけず訪れた出会いは、俺が心に描いていた形ではなかった。
佳奈多の瞳に映っている俺は……一体どんな表情をしている?
今、佳奈多は……どんな表情をみせている……?
──クリスマスイブはね…… 女の子にとって、特別な……──
その帰り道は、二人揃って無言だった。
あ〜…… 失敗したなぁ……
よりにもよって、あのタイミングでかなちゃんに見られてたとは……ね……
あれは勘違いするだろうなぁ。
私でもすると思う。
時期、状況、客観的に見た二人の様子。
あれはないわ、うん。
しかも相手はかなちゃん。
あの耳年増っ娘は只でさえ思い込みが激しいし。
流石の棗くんも、これでもかってぐらいに現状を理解してるみたいで、
「……」
どん底オーラがぼーんと渦巻いてる。
「……」
でもって私も負けじと同様な雰囲気を身に纏っている……と。
いくらなんでも、このままじゃどうしようもない。
私だって責任を感じている。
多分、この二人に関しては……他の誰よりも。
「「……」」
それでも、いくら自分を責めてみたところで事態は好転することもなく。
ただ無言の帰路が続いていくだけ。
それなりの労力を使い、俯きがちだった顔を持ち上る。
そこに広がるのは、曇り空。
さっきまで晴れてた筈なのに……
空にまで責められてるような気がしてどうしようもない。
肌に纏う空気は、さっきまでとはまるで違う冷たさを伝えてきて……
「あーっ! なにもかもちくしょーっ!」
無性に叫びたくなっていた。
ってか叫んでた?
あ、棗くんが豆鉄砲を喰らったって顔してる。
あははー……
……ん、ここでお終い、かな?
「棗くん、ごめん。 まずは君に謝っておくね」
「いや、そんな事……」
「いいから素直に聞いて、ね?」
この物語に、私がいるべき席はないから。
「私は君に謝る。 今度、かなちゃんにも謝る」
だから、お終い。
「でもって、君にもすることがあるよね?」
始まるのは、私じゃない。
「とっとと探してけじめつけてきなさいっ」
彼と、彼女の物語。
「探すって……」
私は視界に入ってきた学校を指差し、力強く頷く。
分ってる。
今の私は、凄く無責任だってことも。
でも、信じてるから。
棗くんなら、なんとかしてくれるって。
「今日中に終わらせる事が出来たら、惚れてあげるから」
そこでようやく、彼から笑みが零れた。
その微笑はだんだんと大きくなっていって……
「ははっ! そうだなっ。 ……ああ! 任せておけって!」
いつもそこにあった、お日様のような笑顔が顔を覗かせていた。
……ああ、やっぱり敵わないな。
百点満点な棗くんの笑顔。
これを見せ付けられると、どんな事でも可能にしてくれるといった夢を見てしまう。
夢見てしまうからこそ、一切の不安もなく送り出してしまえる。
……送り出さなきゃいけないと、思えてしまう。
そして私の希望通りに駆け出していった。
プレゼントを抱えた、サンタクロースが。
「こっちはこっちで大成功みたいね」
寮生会のクリスマスイベントは大盛況。
校庭の其処彼処から、生徒の笑い声が聞こえてくる。
イベント開始後からちらほらと舞い始めていた雪も、今ではそれなりの降雪量だと思える程。
そう、まさかのホワイトクリスマス。
神様のちょっとしたプレゼントに、誰も彼もが浮かれていた。
でも、私としては……
「出来すぎじゃない?」
もしくは何の嫌がらせか。
ま、神様もそこまで空気を読んじゃいないんだろうけど。
「あっちは…… どうなってんだか」
勿論、棗くん達の事。
未だに彼らの姿は見えない。
相変わらず探し回ってるのか、もしくはどこかでしっぽりしてるのか。
ともあれこれ以上はどうしようもない。
そもそも信頼して送り出したわけだし。
そうは思いつつも、私の手は自然と胸元へと伸びていた。
そこに光るのはペンダント。
なんの変哲もないけど、願いを叶えてくれそうな『お礼の品』。
事の始まりは頼まれ事からだった。
恭介達の事、どうにか出来ないかなぁ……
なんて子犬みたいな頼み方をしてきた彼の幼馴染。
一緒に控えていたのは、日頃から彼が宝物だと言い切る仲間達。
結局私は、気持ち控えめな胸を叩いて任せておいて〜と返答した。
まぁ私の身体的な特徴は横に置いておいて。
彼らの依頼に答えようと判断したのは、なによりも彼らの純粋な感情が好ましかったからだと思う。
ホントのところは見守るだけでいようと思ってたんだけどね。
かなちゃんも大好きだけど、やっぱりちょっとは悔しいし。
……何気にあの背の高い女の子には気付かれてたかもしれないけどね。
なんとも申し訳なさそうな、それでいて期待してるような目で頭を下げるんだもん。
いやはや、怖い怖い。
「でも、これでよかった……かな?」
一人呟く。
今年のクリスマスイブは私にとっても良い思い出になりそう。
素敵な時間も過ごせたし……
壊れ物のように、そっとペンダントを撫でる。
『お礼』も貰えたし……ね。
後はあの二人が幸せな顔を見せてくれれば大満足。
きっと、それが一番のハッピーエンド。
「どうせだから胸焼けするぐらい甘々な二人になっていてよね」
そんな二人をからかう事。
うん、それは私の義務ね。
そんな未来を想像したら、これはなんとしても叶って欲しいと願わずにはいられなかった。
やばい、是非ともそうなって欲しい。
サンタさんにお願いしたら叶えてくれるかな?
「って今日のサンタは棗くんだったっけか…… それは拙いわねぇ」
イブの残り時間くらいはかなちゃんだけのサンタクロースだろうし。
だったら代わりに……神様? それとも流れ星?
とはいえ空を見上げても、星空なんてあるはずもなく。
だったらツリーの天辺にある大きな星の飾りにでも、と思い直したけど。
やっぱりやめたっ。
だって……星は見えなくても、それに勝るとも劣らない煌きがあるじゃない。
だから私は願いを掛けた。
欲張りな私は、みんなが笑顔で過ごしている……今よりほんの少しだけ未来を夢想して。
舞い降りる、この雪に願いを──
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