多分、私は願ったのだ。
 イヴの夜、ベッドの中で―――あの頃の私に戻る事ができれば、きっと昔より要領よく何事をもこなして、より良い今を手に入れれたはずなのにと。

 そうすれば美鳥がいて、私がいて

 きっとそれは・・・


* * * * * * * * * *


 この時期の早朝は一秒すら長くベッドに包まっていたいとクドは切に思う。
 角部屋のお陰で陽当たりは良いものの、それでもこの時間はとにかく寒い。南国育ちのため、寒さに耐性がないのもそうだが、旧館女子寮はとにかく建て付けが悪いことで有名だ。築何年なのかすら不明な旧館は隙間風が吹き荒ぶ掘っ立て小屋のようなもので、どこからともなく寒風が吹いてきては布団から出る気持ちをみるみる削いでいく。
 唯一の聖域である布団から、クドはそっと素足を突き出し、試しに外気に曝してみるが、人が生き抜くには過酷な環境であることを即座に理解する。

「寒いです。死にそうです。ひゅーまんすきん、ぷりーずです(´;ω;`)」

 このとき程、新館に住む葉留佳や小毬たちを羨ましく思うことはない。向こうはきっと別世界で、裸でマイムマイムが出来るに違いないという誤謬を頑なに信じているクドは、しばらくの沈黙を破り、布団を被ったまま、ズルズルとナメクジのような移動を開始する。
 冬休みに突入した事を思えば、このまま昼まで丸くなるのも手なのだが、昨夜のクリスマスパーティーで、リトルバスターズの皆とプレゼント交換を行った品が、未開封のまま放置してある事をクドは思い出したのだ。
 「翌朝まで開封する事を固く禁じる」という恭介の言葉に従い、枕元に置いたクリスマスプレゼントは未だ梱包されたまま赤いリボンが結ばれている。恭介曰く「クリスマスプレゼントの開封は25日の早朝と相場が決まっている」らしいが、それを我慢するのに昨夜のクドは苦労したものだ。
 それもそのはず。くじ引きによる公正な結果、見事勝ち取ったプレゼントこそ、何を隠そう理樹が持参してきた代物である。
 各自プレゼントを一つ持参して、くじで貰う相手を決めるというミッション。その引きだけでクドは今年の運を全て使い切っただろうが、それだけの価値は充分にあった。内心で歓喜していたクドは、女性陣からの羨望の眼差しを一身に受けてしまい、申し訳なさと同時にほころぶ口元を押さえるのを苦労したことを思い出して、ひとり布団の中で身悶えする。

「リキからのプレゼントッ♪ プレゼントッ♪」

 隣のベッドで眠っている美魚を起さないよう気を遣いつつも、音符のズレた即興の歌を歌いながら、細心の注意を払って包装紙をペリペリと剥していく。クドが一抱えするほどのそれは、大きさのわりに軽く、振ってみるとカラカラと音がする。まるで中身の想像できないそれを期待に薄い胸を膨らませつつ開封したのだが、転がり出てきたモノを見るや、クドは顔が強張る自分を自覚せずにはいられなかった。

「・・・・『カップラーメン24個入り!お徳用セット』・・・・?」

 真人あたりを想定して購入した事が見え透いているそれは、確かに理樹らしいチョイスなのかも知れない。・・・だが、それが自明であれば笑って許せたものの、ご丁寧にもクリスマスカラーの梱包とリボンで装飾されていた為、「騙された」という絶望感は拭えるはずもなく。クドは正気に戻るとオイオイと泣き出した。

「西園さん聞いてください! 期待させておいて酷すぎます! リキにオトメの純情を玩ばれました!」

 語弊たっぷりの言葉と一緒に、クドは美魚のベッドにダイブする。

「これはもう謝罪と賠償を請求するしかありません! リキは責任を取って、わたしと・・・・で、でででででーとっ! に付き合ってもらい、ちゃんとしたプレゼン・・・ト・・・を・・・?」

 身悶えを交えつつジタバタとしていたクドも、やがて違和感に気付いて「わふっ?」と首を傾げた。
 なんというか―――布団で膨らんだ容積がいつもより小さい。いつもならクドが掴まるような体勢になるはずなのに、今日の西園はクドの腕に容易に収まってしまう。


 それもすっぽりと


「・・・西園・・・さん・・・ですよ、ね?」

 疑問形を口にしながら恐る恐ると毛布をめくる。
 肩口で切り揃えられた西園の後頭部に、いつも着ているパジャマが見えたことでまずはホッとして―――次に、クドはギョッとした。慌てて掛け布団を全部引っぺがすと、その全容が明らかとなる。
 パジャマの採寸があっていない。というか西園の縮尺がおかしい。ジャストサイズのはずの襟口からは、肩を通り抜けて肩甲骨までもが覗いている。袖はダボダボで、着ているというよりは、まるで蛹から脱皮しようとする成体途上の蝶のようだ。ズボンはぐちゃぐちゃになって明後日の方向に落ちており、つまるところ上しか着ていないのだが、それでも膝下までしか足が見えないというのはどういうことなのか。
 クドは取りあえず自分のほっぺたを抓り、痛い事を確認する。
 そして、頭の中が真っ白になっていく自分をどうすることもできないまま、気づいた時には理樹の部屋のドアを叩いていた。

「リキ、どうしましょう。西園さんがちっちゃくなっちゃいました!」










――― 強くて ニューゲーム ―――










「つまり、この幼女こそが西園女史だと・・・クドリャフカ君はそうのたまうつもりなのだな?」

 冬休み中の食堂は、オバちゃん連も学生に合わせて休みを取っているので食事の提供などというものは一切ない。そもそも実家に帰省する学生が大半の状況で、居残っている極少数の奇特な連中の為だけに開けておく必要性などあるはずもないのだが、一応、談話室程度の使用用途としては学校側も容認しているのか、入り口は施錠もせずに常時開放中である。
 というわけで、冬休みだというのに寮に残り、尚且つ、暖房すらきいていないような場所へノコノコと集まっていたリトルバスターズの面子は、クドの後ろに隠れた『渦中の人物』を様々な面持ちで見つめていた。
 小毬や謙吾、真人の三人は帰省中。未だ顔を出していない恭介は恐らく惰眠を貪っているか、どこかをほっつき歩いているのか。現状6名という歯欠けした状態ではあるが、それでもざわざわ呼び出されただけの事はある異常事態といえた。

「・・・流石のはるちんも、この事態は想定の範囲外ですヨ」

「確かに、想定の範囲外だ。クドリャフカ君に西園女史―――もとい、この幼女ペアが並ぶことで、まさかこれほどの破壊力になろうとは・・・。お姉さんじゃなくとも思わず襲い掛かりたくなる可愛らしさ。これはもう、鴨がネギを抱いて「食べて下さい」と言っているようにしか・・・」

 ゴクリと唾を飲み込む来ヶ谷に、不審なものを感じた理樹は怪訝な顔で振り返った。同じ言葉を口にしたはずなのに、三枝と来ヶ谷のそれは、何かdでもないまでに現在の認識についての隔たりが生じているように思えたからだ。

「そうだ二人とも、今からお姉さんと一緒に背中の流しっこをしよう」

「わふ・・・???」

 案の定、真剣な表情で意味不明な提案をする来ヶ谷は、よく見ると頬が微妙に弛んでいる。

「大丈夫だ。痛くしないと確約する」

「痛くしないってなんですか!?」

 「さあて?」と笑う来ヶ谷に、クドは身の危険を感じて西園(小)を庇いながらじりじりと後じさった。小動物を思わせるその行動は、当初は冗談のつもりだった来ヶ谷の嗜虐心をいたく刺激したらしい。あわよくば、マジで小脇に抱えて掻っ攫おうとでもいうように、両手をワキワキさせて二人へとにじり寄っていく。

「・・・では行こうか二人とも。なに、天上の染みを数えるうちにコトはすべて終っているさ」

「わ、わふーっ!!!」

 雌豹に目を付けられた獲物二匹の命運は、まさに風前の灯火。涙目になったクドが周囲に助けを求めると、見かねた鈴が間に入って「恐がっているだろうが!」と来ヶ谷を威嚇する。

「理樹、お前も来ヶ谷に言ってやれ! こいつは危険だ」

「危険というか、もう警察に通報するレベルの気がするね」

 猫なで声で「ほら、恐くないぞ〜?」「私の部屋に来ればお菓子もあるぞ?」と手招きする来ヶ谷は下手な誘拐犯よりも性質が悪そうだ。というか、もう犯罪者そのものといっても過言ではない。
 それを横目に三枝はというと、まるで未知の生物に遭遇した子供の如く、好奇心に目を輝かせ、西園(小)の傍に屈み込んでぷにぷにとほっぺたをつついていた。西園(小)が為すがままなのも手伝って、てふてふとオモチャにしていた三枝であるが、しばらくすると反応のあまりの薄さに首を傾げてしまう。

「う〜ん・・・キミって本当にみおちん?」

 三枝の質問に美魚(小)はこっくりと頷き、それからふるふると首を振った。

「みおだけど違うの。私の名前はみとり」

「・・・・??? ええと、つまりキミはみとりちゃん?」

「ううん、今はみお。でも、みとりなの」

 禅問答のような回答に葉留佳はただ困惑するしかない。
 理樹の傍によって小声で「この子、ちょっと変だよね?」という三枝の指摘に、口には出さなかったが「葉留佳さんがそれをいうのか」と、今までの問題行動の数々を思い返して理樹は苦笑する。

「まあ、この子の名前が“美魚”なのか“みとり”なのかは置いておくにしても」

 一拍おいて、理樹はクドの話を咀嚼しなおす。

「西園さんのベッドで寝ていて、しかも昨夜床に就いた時点で西園さんが着ていたパジャマをこの子が着ていたというからには、クドがこの子を西園さんと考えるのもわからなくないけど・・・。さすがにこんな小さな子供になっているというのは、ありえないというか何というか・・・」

「私が嘘をついているとでも!?」

「そう言う訳じゃないんだけどさ・・・」

 モコモコ耳カバーに厚手の半纏を羽織ったクドが必死の抗弁をするものの、あまりの突飛な出来事に「どうしたものやら」というのがここに集まったメンバーの偽らざる本心である。
 肩口でそろえた髪。大人しそうな表情は確かに西園の面影を残しているような気がする。外見から察するに年齢は7、8歳くらいだろうか。眼前の美魚(仮)はクドの服を借りて今はちゃんとした格好をしているものの、それでもまだ大きいのか、時々むずがるように身体を揺すっている。

「これを西園さんといわれても・・・」

「信じる方が無理だな」

 見も蓋もない鈴の発言に、クドは機嫌を損ねたのかムスッと頬を膨らませた。

「もういいです、わかりました! 皆さんがそういうなら、この西園さんは私ひとりで育てます!」

「いやいや、意味が分からないからね?」

 当然のツッコミを入れる理樹だが、それに対してクドは頑として反論する。

「わからなくありません! こんなになってしまった西園さんを誰かが世話しなければいけないのは陽を見るよりあらかたです!」

「・・・『陽を見るより“明らか”』ね。それよりも、この子についてはむしろ警察に任せるべきじゃないかな? そこまで大げさにしないとしても、せめて捜索届けが出ていないかくらいは確認した方が賢明だと思うんだけど?」

「・・・っ・・・! それはリキも私の言う事を信じていないということですか!?」

「いや、信じていないわけじゃないよ。西園さんのベッドにこの子が寝ていたというのは本当だろうし。西園さんの寝間着を着ていたのも信じるよ。・・・でも、さ。どう考えても人が急に小さくなるなんてありえないから」

 子供の駄々を諭すような理樹の口調は、こんな下らないことに時間を浪費するより、現実的な対処法を早急に打った方が手っ取り早いと云っている。そして何よりも、『信じる』を多用しておきながら、結局のところ自分の話を微塵も信じていない事に対して、クドはかっとなった。

「だって・・・だって本当に―――!」

「・・・クド、御伽噺じゃないんだからさ。この子がもし迷子だったら大変だよ。親御さんが心配しているかもしれない。・・・まあ、西園さんの親戚か何かで、しばらく預かっているだけかもしれないから、警察云々より西園さんに確認を取るのが先なんだろうけど・・・」

 そういって、理樹が西園(小)を見たのには理由がある。
 西園の携帯に連絡しようとしたところ、理樹の直ぐ傍で着信が鳴ったのだ。調べてみると西園(小)が西園美魚の携帯を所持しており、それが美魚(小)=西園美魚本人というクドの主張の一因となっているのだが、数学的な帰納法で考えると粗が目立ちすぎる。
 行方知れずとなっている西園が見つかれば、トントン拍子で全てが丸く収まるはずなのに、肝心の彼女は何処で何をしているのだと理樹が頭を抱えた。そういう認識自体がクドからすれば侮辱のようなものだということに気づいてないのか、露骨に表情を浮かべている姿は愚策と言う他ない。
 正論で畳み掛けられ、以上のような態度を見せられて、萎縮したクドは半べそになっていた。
 言っている事は確かに理樹の方が正しいとクドも理屈では判かっている。ただの迷子というのが一番妥当な落とし所だろうし、西園美魚が巧妙に仕組んだイタズラという線もありそうだ。詰まる所、可能性としてはクドの発想が一番幼稚であることを理詰めで諭されてしまっており、何をどう言おうとそれらは全て言い訳にしかならないのだろう。
 けれど、そういった論理とは別に、無性に腹立たしい気持ちがクドにあったことも事実である。
 プレゼントの件もあり、顔を合わせたときから理樹に対して言いたい事は山ほどあったものの、美魚がこんな状態になっているのに、そんな小さなことに拘る時ではないとクドは今まで自制していたのだ。それが、嘘つき扱いされて鬱屈しているタイミングでの、畳み掛けられた理樹の言葉は執拗で、納得するよりも先に、どうしてここまで自分が追い詰められなければいけないのだろうという気持ちの方が強くなっていたのかもしれない。
 むしろ、追求されるべきは理樹の方であり、不当ではないのかという釈然としない想いが膨らんで、いつしかクドの我慢は限界に達していた。

「・・・なんですか、なんですか! そうやって私の事をバカにして! もう私だって子供じゃないのに、リキはいつもいつも!!!」

「ク、クド?」
 
 急に破裂した小さな風船に、理樹はほとんど狼狽していた。
 
「あれだけ期待させておきながら、私の心を玩んで楽しいですか!? あんなものを貰って本当に嬉しいと思うですか!? あのとき、私がどれだけ必死に頑張ったと思っているんです! それなのに、何ですかあれは!? 少しは私の気持ちを考えてください!! 少しは私に優しくしてください!! 私だって一人前のれでぃーなんです!! 子ども扱いされるのがイヤだってことくらい、リキだって分かっているくせに!!!」

 潤んだ瞳で睨み付けているクドは、肩を上下させ、鼻息荒く一気に捲くし立てると―――わっと泣き出した。
 周囲からすればクドが何を言いたいかなどほとんど理解できなかっただろうが、理樹が諸悪の根源だということを女性陣は大体において察したようだ。鈍感男に対する日々の苦悩を共感できる身の上だけに、彼女らは一様にうんうんと頷いている。

「少年は相変らずモテモテだなあ。お姉さん、嫉妬しちゃうよ」

「鬼畜ですネ。わかります」

「理樹、最低だ。クドを泣かせた」

「ちょっ、悪いのボクだけ!?」

 ひとり孤立する理樹に、来ヶ谷はとどめの一撃を放つ。

「よく分からんが、泣かせたのは理樹君だろう」

「いや、でも! というか、クドを最初に怒らせたのは鈴なんだけど!? 来ヶ谷さんだって相当弄ってたじゃないですか!?」

 そんなものは知らんと言いたげにそっぽを向かれ、顔を覆うクドと心配そうに見つめる西園(小)に気まずくなる一方の理樹は、どうしたものかと内心で慌てふためいていた。
 いつもであれば、男四人が結束してこういった苦境を乗り越えるのだが、肝心の三人は間の悪い事にここには居ない。理樹一人が女性メンバーに囲まれ、肩身の狭い思いをしていては、どの道、面倒な役回りを押し付けられるのは目に見えていたとはいえ、現状は予想の斜め上である。

「あ・・・あのさ、クド・・・僕に至らない点があったのは謝るよ。これからは気をつけるし、西園さんがこんな小さくなったっていう話も信じるから。だから・・・泣き止んでくれないかな・・・」

 下手に出る理樹に、クドは無言で首を振った。イエスなのか。ノーなのか。多分クド自身も分かっていないのではないだろうか。
 顔を伏せたまま目を赤くして、時々涙を拭っている。リトルバスターズの中で年齢的に一番年下であることも要因の一つだろうが、自分が弱いもの苛めをしているような錯覚を覚えて、理樹は知らず自責の念に駆られていた。

「ねえ、どうしたら許してくれる?」

 暫しの無言の後、クドはポツリと呟いた。

「・・・・・・・・・ぷれぜんと・・・・」

「プレゼント?」

「食べ物じゃなく・・・もっと可愛いくて・・・すてきな物が欲しいです」

 ここにきてようやく、理樹もクドがクリスマスパーティーの件を話していたことを理解したらしい。「あー・・・」という言い訳がましい間延びと共に、あてどなく逸れていく視線が理樹の戦犯を物語っていた。

「カップメン24個セットって何ですか・・・。お徳用とか意味がわかりません・・・」

 言わずにはいられないクドのグチグチとした小言に、聞いていた来ヶ谷は呆れを通り越して、なかば感心するような声を洩らす。

「どうせしょうもないものだろうと思っていたが、そこまで空気を読んでいないとなると、いっそ清清しいな」

「使用済みと思しき下着をプレゼントにした姉御がそれを言うのは、ちょっとどうかと・・・。そんなモノを当ててしまった私の身にもなってもらいたいもんですYO!」

「何を言う、十分実用的だろう」

「・・・何に対してです?」

「ナニに対してだよ」

 二人のやり取りに理樹は「そこっ! ちょっとうるさいから!」とマッタをかける。
 ようやくの光明をここで外野に潰されるわけにはいかない。文句とはいえ理樹の言葉に応えてくれるだけでも充分な進展なのだ。これ以上の邪魔が入らないうちにと理樹はクドを宥めすかすと、ようやく次の言葉を得られる所まで扱ぎ付けた。

「・・・・プレゼントを買う時には私も同行させて頂きます。リキの買う物は信用できません・・・・」

「うっ・・・わ、わかった。じゃあ、今度一緒に買いに行こうか」

 それはプレゼントと呼ぶのだろうか。疑問には思えど、ここでクドの機嫌を損ねては今までの努力が水の泡になりかねない。理樹は自制して首肯する。
 それを見ていた来ヶ谷は唸った。

「・・・・ふむ、何気に策士だな。あそこからデートにまで扱ぎ付けるとは」

「なにっ? 今のはデートの約束だったのか?」

 驚く鈴に、三枝葉留佳はニヤリと笑う。

「鈴ちゃん、憶えておくといいですヨ。女の涙は高くつくのです。ワンコもあれでいて『オンナ』ですからね〜。外見で判断していると、理樹くんのように振り回されるのが関の山ですぜ?」

「能美女史・・・恐ろしい娘・・・・」

 そんな会話をしていた三人だが、まだその時点では理樹とクドのやりとりに微笑ましい物を感じる余裕があった。前日のくじ引きで勝ち取った権利をクドが享受できないようでは、自分達も今後、同様の差支えが生じるのではと懸念していたからである。
 彼女らにしてみれば、理樹の博愛主義は目に余る。気さくに扱われるぶんには問題ないのだが、如何せん、同姓と異性間で求められる要求ベクトルが違うことにすら気付かず、恭介や真人と同レベルの扱いを受けるのは、時に侮辱にも等しいものであることを、理樹の身体に覚え込ませる必要性を前々から感じていたのだ。
 それが今回の件で、理樹も女性陣とどう付き合えば良いのかを少し省みてくれれば儲けもの。女の子を泣かせてしまったハプニングは、クドには申し訳ないがお灸としてはちょうど良い案配だ。
 もちろん、こういう流れになったことに嫉妬がないわけではないが、ここで理樹からちゃんとした対価が払われることで、次回からの“競争”に安心して情熱を注げられるようになったことを思えば許容の範囲内だろう。被害の面から見ても、クドはこのくらいの幸福は享受しても良いというのが、少なくとも来ヶ谷、三枝両名の考えであったのだが―――対岸の理樹とクドのやり取りがどうも穏やかでない。

「・・・これで、許してくれるかな?」

「・・・物で清算できるほど私は安くないのです。そう・・・私はとっても『はいこすと』な女なのです」

「それは合っていそうで、違うような・・・・」

 今までの泣き顔はどこへやら、「だからこそっ!」とこぶしを握り、クドは叫ぶ。

「リキには・・・きちんと“誠意”を見せてもらいたいと思います」

「誠意?」

 疑問符を頭に載せていたが、理樹としてもクドの要求にはできるだけ応えようという姿勢はあるらしい。問題はクドが、その「誠意」とやらに何を要求してくるかということであるが。
 真顔になる理樹に、何故かクドはもぢもぢした様子でしばし目配せを交わし、やがて、意を決したように目を閉じると、

「・・・・・・・・・・・・ちゅ〜・・・・」

「は?」

「・・・ちゅ〜してくれたら・・・許してもいいです」

 理樹に対して唇を突き出しているクドに、来ヶ谷は目の色を変えていた。

「そんな羨ま―――けしからん事! お姉さん許しませんことよっ! むしろ私がハグして、ちゅ〜して、その後しっぽりむふふと!!」

「姉御、気を確かに!」

 襲い掛かろうとする来ヶ谷を背後から羽交い絞めにする三枝葉留佳だが、馬力の付いたロリベドの鼻先には、垂涎もののニンジン(クドリャフカ)がぶら下がっているのである。ここで引き下がるようでは男が廃るとばかりにギアを上げてくる。

「ぐおおおおおお!? う、腕がもげる! 鈴ちゃん、見てないでヘルプ!! 友達が犯罪者になるところなんて見たくないでしょ!?」

「いやだ、来ヶ谷なんて触ったら馬鹿がうつるだろうがっ!」

「ひどっ!!」

 そうこうしている内に、向こうの雰囲気は最高潮に達していた。お馬鹿な三馬鹿トリオのやり取りに屈することのない少女漫画結界に守られ、ごくりと唾を飲み込んだ理樹は意を決すると―――目を閉じて、クドへと唇を近づいていく。

 そして、来ヶ谷たち三人は見た。

 クドと理樹、二人の唇が触れ合うその瞬間―――渦中の人物でありながら、現在進行形の展開から最も外れた処に居た美魚(小)が、まるで狙い済ましたかのように、両名の間に顔を突き入れ、時間差で二人の唇を奪ったことを。

「な!?」

「にぃ〜!!!?」

 最初はクド。理樹であれば上方から接近する筈のそれが、身長差で下方からの接近になったこと。そして、交わった途端、訪れた女性のような甘い息遣いに違和感を憶えたクドは相手が美魚(小)であることを視認する。
 キスの痺れた感覚で脳が蕩けるよりも、それは衝撃となってクドを襲った。
 硬直した状態でちゅくちゅくと唇を吸い上げられ、同姓から受けたその行為のあまりの甘美さに、美魚(小)の顔が離れた途端、ヘナヘナとクドは崩れ落ちてしまう。呆然とする暇もなく、ファーストキスを奪われたクドは、自分が頂戴する筈だった理樹の唇が、美魚(小)に蹂躙される様を目撃する。

「あ゛あ゛あ゛―っ!!!!!!!!!!!!?」

 口を塞いでいる筈のクドの絶叫が聞こえてきたことで、理樹も不審に思ったのだろう。が・・・時、既に遅し。
 自分がキスしている相手がクドではないことにギョッとする理樹だが、美魚(小)はそれに構うことなく、10秒以上のネットリとした接吻を交わした後、満足したように「ふうっ」と溜息を吐いた。
 恐らく、美魚(小)以外の全てのメンバーが、同様の疑問を胸に抱き、呆然と立ち尽くしていた。漁夫の利の美魚(小)はホクホク顔である。うっとりとキスの感覚を思い出すように頬を上気させている様は、先刻までのおどおどした雰囲気との隔たりがあまりにも大きすぎる。
 真っ白に燃え尽きたクドと、事態をまるで飲み込めておらずオロオロとするばかりの理樹の惨状に、来ヶ谷は「くっ」とはげしい後悔の色を露わにした。

「やはり、彼奴は西園君ということか・・・! 空気を装うことで、一番美味しいところを掻っ攫っていくとは・・・! 何たる策士。何たるタイミング。あんなナリになっても一番侮れない存在だとわかっていた筈なのに・・・!!」

 三枝が未だホールドしているのも構わず地団駄を踏む来ヶ谷だが、やがて思い直したようにその行動がピタリと止んだ。

「いや・・・その考えは軽率か。目の前の少女は今現在、あくまでも西園美魚(仮)。やはり確固たる証拠を得て初めて、彼女を『西園女史』と断定する必要があるな。そうだ。うむ、そうに違いない」

「あ、姉御・・・?」

 来ヶ谷の背中から燻り始めた禍々しい瘴気に慄き、三枝は知らず―――ホールドした腕を緩めていた。

「葉留佳君!!」

「は、はい?」

「西園女史のほくろは確か、お尻と腿の継ぎ目、左右おっぱい、それから下腹部のイヤラシイ部分にそれぞれあったはずだな!?」

「え、なにそのピンポイント。というか普通、視ないでしょそんな―――」

「うむ!! お姉さんの記憶に間違いはないようだな! お仕置きも兼ねて彼女をお風呂へ連行する! 理樹くんには悪いが警察なんぞまどろっこしい! ほくろの有無で彼女が西園女史であるかどうかを、お姉さん自ら直々にじっくりねっとり検分してやろうじゃないか!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うわぁ・・・」

 汚らしいものを見る目つきで来ヶ谷を見る三枝葉留佳だが、来ヶ谷は一向に気にした気配もなく、むしろ嬉しそうですらある。そのあまりに清清しい変態さんぶりを目撃してたじろぐ美魚(小)に、雌豹は首だけを不自然なまでに曲げて眼光を爛々と輝かせた。

「・・・っ・・・!?」

 わずかでも悲鳴を上げてしまったのは美魚(小)の失態だろう。美味しく頂いた先ほどの立場は、このとき完全に逆転して、狩られる立場になってしまった事を幼女は本能で悟っていた。

「みおちん! 逃げてーっ!!」

 多分、それは三枝の良心が発した絶叫だった。来ヶ谷の視線に拘束されていた呪縛が解け、慄いた美魚(小)は食堂のドアを抜け、校舎の方角へと走り抜ける。
 それを悠然とした佇まいで見逃した来ヶ谷の意図は、つまりは余裕―――強者の戯れだ。
 必死になって逃げる獲物を狩るのも、一瞬でカタがついては面白味に欠ける。できるだけ長く、できるだけいたぶる事で、少しでも快楽を引き伸ばそうという本能が、来ヶ谷唯湖に西園(小)を「見逃す」という選択肢を選ばせたのだ。
 ほくそ笑んだ来ヶ谷の表皮に張り付いた煩悩は『ょぅι”ょ』。どれだけ艶然としていようと、どれだけ凛とした美をその肉体に具現しようと、彼女―――来ヶ谷唯湖は所詮、変態さんでしかなかった。

「・・・さて、そろそろ行くか」

 きっかり30秒後に来ヶ谷は起動を開始する。制止を聞くような相手でなくなったことを理解した三枝葉留佳は、せめて被害が犯罪の一線を越えないようにすることだけを胸に、来ヶ谷の後に従っていた。そして背後では、ようやく我に還ったクドが鼻水を垂らしながら理樹に縋りついている。

「リキ・・・私、穢れてしまいました。私の身体は同性の唇にれいぷされてしまったです・・・」

 どう反応したものやらと、乾いた笑みを貼り付けたまま後退する理樹であるが、それで逃がしてくれるほど現在のクドは甘くなかった。えぐえぐと泣きながら、理樹の袖でとりあえず鼻を噛んだ後、身長差分をエッチラオッチラよじ登り、理樹の首に取り付くクドの姿はまるで“抱っこ人形”だ。それも、とてつもなく巨大な。

「キスを・・・・キスを下さいっ・・・。汚れてしまった私を、リキの唇で潅いでぷりーずなのです!」

 ずずいと強引に顔を近づけるクドの姿は、理樹に異様な恐怖を覚えさせた。ゲームや漫画でゾンビ化した友人が襲い掛かるという光景は、ある種「お約束」といえたが、まさか自分が似たような状況になるなどと夢にも思っていなかったため、思わず接近するクドの顔を両手でわっしと押さえつけていた。

「むぎゅうっ!?」

「あ、ご・・・ごめん・・・!」

「・・・・・・・・・」

 クドはそれを『拒絶』と受け取った。理樹に押さえつけられて酷いことになっている歪んだ顔のまま、絶望の呪詛を謳う。

「リキ、どうしてですか・・・!? 先刻は進んで私に唇を重ねようとしてくれたのに・・・はっ・・・! 私が汚れてしまったからですか!? 中古になったからですか!? リキも処女じゃなくなった女性は、使用済みのこんどーむのように捨てるだけなんですね!!?」

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!!!!! ていうかどこでそんな言葉を覚えたの!? 取りあえず、クド重いから退いてっ!!」

「イヤです!! ここで離しては、志半ばに死んで逝ったお父さんとお母さんに顔向けできません! せめてひと太刀・・・! ちゅ〜を浴びせなければ・・・!!!」

「この状況とクドの両親がどう関係するのか?」という疑問の余地を差し挟む暇など、いまの理樹にはあるはずもなく。躍起になっているクドを抑止するのに手一杯ながら、この膠着状態を打破できる方法はないかと、理樹は周囲に視線を巡らせた。
 西園(小)以外、眼中にない来ヶ谷は頼むこと自体無駄だろう。そして、付き従う三枝は・・・・一瞬チラリと理樹たちの方に視線を向けるが、申し訳なさそうにぺこりと一礼して外に向かおうとしていることからも期待はできそうにない。
 ―――となると、消去法的に考えて残すところ一名。

「り〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んっ!!!!!!!!!!」

 あらん限りの声を振り絞り、理樹は朋友に向けて雄叫びを上げた。
 ぽつねんと現場に取り残されていた鈴は、一瞬驚いた表情をするが、彼女がほんの直ぐ近く、5メートルにも満たない距離にいた事を理樹は感謝する。条件が満たされた事を把握した理樹は気力を振り絞り、クドとの間に生じていた拮抗を崩していく。

「わ・・・ふっ・・・!?」

 力こそパワー。苦戦したとはいえ、体格的に勝っていた理樹が勝利するの必然。首に絡み付いていた両腕も何とか引き剥がすと、支えを失い地面に向けて落下する直前のワンコを引っ掴み、その落下の勢いを殺さぬまま、アンダースローの要領でクドを力いっぱい放り投げた。

「ぱーーーーーーーーーすっ!!!!!!」

 棗鈴に向けて。

「わふーーーー!!!!!!!!!?」

「Σ(∵)」

 空中でくるくると回るクドが接近するという事態をどう飲み込むべきなのか。狼狽する鈴であったが、思考よりも先に身体が動いた。

「クド、こい!」

「かも〜ん、ですかーっ!!?」

 落下点で守備を固め、頭から突っ込んでくるクドをキャッチはしたのは良いが、勢いを削ぎきれず、二人ともども床に倒れこんでいた。クドの体重が軽いとはいえ、曲がりなりにも人間一人ぶんの重さとスピードである。微動だにせず支えることが可能な人間など、真人くらいのものだ。

「こらぁ! なにをするーっ!!」
 
 クドの下敷きになりながら文句を言う鈴だが、投擲ポイントに既に理樹の姿はなく、軋むような物音にそちらを見遣ると、食堂のドアに手をかけ、いままさに来ヶ谷たちを追いかけようとする理樹が右手を上げて謝罪の意を表明していた。

「ごめん! この借りはモンペチで。ボクも来ヶ谷さんが犯罪に走らないよう助力してみるよ!! じゃっ、そういうことで!!」

「あ!! こらっ、まて!!」

 鈴の制止を振り切り、理樹は走り去る。
 ・・・これは、あれだ。鈴にすべてを押し付け、美魚(小)と来ヶ谷たちを追いかける事を口実に、理樹はその場を逃げ切ったということなのだろう。あとには文字通り、理樹に捨てられたクドと、その場の収拾に努めなくてはならなくなった鈴の二人だけが取り残されていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 鈴なりにこの空気は不味いと感じ取ったのだろう。何か気の利いた言葉一つでも掛けて慰めてやろうと、彼女にしては殊勝な事を思いつき、それを実行に移そうとしたのだが、クドの茫然自失な表情は何を言っても無駄だと語っている。
 その顔が、魂の抜けた目で鈴を捉えた。

「・・・・・・・・・・・鈴さん」

「・・・・な、なんだ?」

「もう、鈴さんでも構いません。口直しを――――」

「ふかーっ!! できるかぼけーっ!!」





 →後編に続く




















お囃子・感想などいただけましたら。

おなまえ(省略可)



お囃子!(→盛大)

ぱち ぱちぱち ぱちぱちぱち

よろしければ何か一言!(省略可)





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