ツイストで目を覚ませ



 大学生活で最も鍛えられるもの。
 それは学力でも運動能力でも社交性でもない。
 肝臓である。
「頭いてえ」
 いつ頃から覚醒していたのかは解らないが、相沢祐一は結構な時間天井と睨めっこを続けていた。
 別段飲酒は嫌いではないものの、どんなザルであっても過度のアルコール摂取は体に悪い。
(俺は……誰だ……?)
 そこまで記憶は飛んでいないが、まあ大体殆どの事が記憶に残っていない祐一である。
 外は日が昇って大分経つのか、遮光カーテンを射抜くように光が差しているのが解る。そこで、祐一はある事実に気付いた。
(何ココ)
 大学へ進学してから小さなアパートで1人暮らしを始めた祐一であるが、その部屋のカーテンは遮光などという上等な物ではない。というよりよく考えてみると天井のデザインが違う。今更過ぎる祐一だった。
 上体を起こす。頭が少し痛むがそれも堪えて全力で状況認識を開始。調度や小物の類が薄明るい室内でぼんやりと見渡せるが、そのどれにも記憶は無い。
(これが誘拐か)
 一応ボケでもしないと寝起きの頭は冷静ではいられなかった。
 深呼吸を1つし、とりあえずとばかりに目をベッドにやる。
「うおっ」
 誰か居た。思わず声が出るぐらい誰かが居た。
 上掛けから覗く髪色と髪質はよく知るものだったが、それだけに現状の不可解指数がモリモリ上がっていく。
 隣でぐったり眠っているのは、一年遅れで同じ大学に進学してきた――祐一が半ば強引に勧めたというのもあるが――後輩天野美汐その人であった。
(何故天野が)
 高校時代から祐一の彼女に対する印象は「カタブツ」の一言で切って捨てられるほどカタブツを絵に描いたような美汐である。そういう女性とまさかの同衾。混乱は一入だ。
 即ちここは美汐の部屋という事になるのだろう。入口まで彼女を送った事はあったが中を見るのは初めてだった。
(何か解らんがやばい!)
 この現状に対する原因の想定はいくつかある。
 まず1つ、何も無かった。
 記憶が無くなる程飲んだ自分を、タクシーか何かを使って運んでくれたというケースである。美汐は水瀬の家ぐらいは知っているかも知れないが、今現在祐一が気儘な生活を過ごしている部屋の所在は知らない筈だ。故に、仕方なく自宅へ連れてきたという辺りだろう。
 もう1つ、何かあっちゃった。
 美汐が飲酒に対してどれ程の抵抗力を持っているのかは今一つ知れないが、自分がここまで酔い潰れていた状況で、彼女もまた酔いが無かったとは言い切れないだろう。となれば、その勢いは若い2人を軽やかに後押しし、まさかのデュートリオンビームドッキングを果たしてしまったというケース。このケースが該当してしまうとなると想像だに恐ろしい。一番恐ろしいのは事実ではなくこれから目覚めるであろう彼女との面談が恐ろしい。
 ちなみに周囲はそう仕向けるが、祐一と美汐は別段何も肉体関係も恋愛関係も無い。
(落ち着け俺、まずはCOOLになることだ!)
 COOLな祐一が真っ先にやった事は衣服のチェックだった。何も脱いでいない。
(グッジョブ! グッジョブ俺! 大変グッジョブ!)
 酔いどれた過去の己に全力の賞賛。
 色白かつ小柄、控え目でどこか嗜虐的な物を催させる憂いの眼差し。そんなものが日常でも時折気になっていたし、互いの関係を実しやかに噂される程度には距離感の短い祐一ではあるが、こと勢いに任せられそうな場面でもそこにダイブしなかった事だけは素直に褒め契らねばなるまい。
 さておき、現状は何も変わっていないのだった。美汐がどういう格好をしているのかはシーツがあるので見えないが、今正に同衾体勢を維持しているのは心臓にも優しくない。彼女が嫌いなのではなく、嫌いでないからこそ却って精神衛生上宜しくないのである。
 なるべくベッドを揺らさないように膝を立て、美汐の様子を探る。寝息は規則正しい。まだ覚醒には間があるだろう。
 左腕を、自分に背を向けている彼女の顔の正面へ立てた。ベッドから出るには天野美汐という壁を乗り越えなければならない。
 続けて右腕を美汐の後頭部付近へ。両腕の間に彼女の頭が静かに収まるような体勢。更に左足、これを大きく上げて体を乗り越え、爪先でベッド付近の床を探った。下しても問題無さそうである。
(オーケー、ここからが本番だ)
 脳内でプロジェクトX的なキャプションを入れながら作業続行。尚現状、傍から見れば祐一が美汐を押し倒しているような絵が爆誕しているが彼はそこに意識を回してはいない。
 右足。左足が既に床についている都合、体操の伸脚を苦しくしたようなポーズであるが、この右足を後ろ回し蹴りの要領で床へ下してしまえば目出度く生還と相成る。だがこの足をベッドから離す瞬間、祐一の体重の殆どは美汐の頭部、すなわち両腕に一瞬だけだが移る事になる。
 微妙な賭けだった。この体重移動の衝撃を極限まで小さくすべく、僅かずつ体を動かすべきか。もしくは一瞬で床へ下りて美汐の目を覚ます事を覚悟の上、距離を取るか。
(さて……どうするか)
「何してるんですか?」
「いや、この状態からどうやって床に下りようかと思天野?」
「……」
「泣くな天野! 違うそうじゃない!」
「いえ、別に泣いてはいませんけど……」
 思考が長すぎたのかもしくは祐一の息遣いが鬱陶しかったのか、ともかく天野美汐目出度くお目覚めであった。その表情は困惑一色。
 当然だろう、寝て起きたら介抱してやった筈の男から寝込み襲撃2秒前である。
「畜生! つい自分のイーサン・ハントぶりに酔っちまった!」
「とりあえずどいて貰えませんか相沢さん」
「誠に!」
 華麗過ぎるジョン・ウーアクションで床に転がる祐一。ちなみにその過程で本棚に足をぶつけてローリングが2回転程増した。どこまでも無様である。
 そのまま美しい程の土下座ポーズへ早変わり。
「すまん天野、別にお前が寝ているうちに青い果実を毟り取ってやろうとかそういう心積もりだったわけじゃないんだ」
「謝ってるなら真面目にやって下さい」
「ごめんなさい」
「……まあ、私を起こさないよう配慮して下さったのだとは解りますけど」
「この子が聡い子で本当に良かった!」
「体調はどうですか」
 大変聡く尚COOLな美汐である。ひょっとしたら寝込みを襲われてたのかも知れない自分の事より先輩の心配である。
 祐一は泣いた。
「な、なんで泣くんですか」
「うう……俺東京に出てきてこんなに優しくされたの初めてで……」
「突っ込みませんよ」
「マジですまん」
「大丈夫そうですね?」
「うむ、ちょっと頭痛がするけど時間の問題だ、ところで」
 居住まいを正しながら、祐一はぐるりと部屋を見渡す。所謂「女の子」な部屋ではないが、そこかしこに彼女らしい奥ゆかしさのようなものが見える。リングコーンにティファニーから順に並べてある辺り、むしろ乙女らしいと言えた。
「この度は命を助けていただきまして」
「あんまり冗談に聞こえませんよ、昨日の相沢さんは」
「マジか」
「自ら動こうとしない成人男性は非常に重かったです」
「かたじけねえ……」
「でも、大丈夫そうで何よりでした」
 ホッとしたように微笑む美汐。実際惚れそうな祐一である。
「いや改めて。有難うな天野。家まで上げてもらった上に寝床まで使っちまって」
「いえ、そんなお気になさらずに。あのままではどこか路上で眠ってしまわれたでしょうし、当然の事をしたまでですよ」
 ね、と再び笑って上掛けを体の前でちょっと寄り合わせる美汐に、遮光カーテンから薄っすらと後光が差す。
 神は死んでいなかった。
 ニーチェを内心ボロクソにする祐一。
「で、だな。俺あんまり昨日の事を憶えてないんだ」
「そうなんですか?」
「うむ、ここまで飲むのは珍しいぐらいなんだが」
「はしゃいでおられましたからね、相沢さん」
「そうかい?」
「奥義手刀日本酒瓶斬り、とかやってました」
「作ってないよな?」
「作ってません」
「どこのアホだそれは……」
 アルコールで練成された己の愚かさ加減に頭痛2割り増し。
「そんなクソッタレをよくぞここまで……」
「あ、やめて下さいよ本当に」
「お前にも迷惑かけただろう、その様子じゃ」
 そこまで言うと、美汐はちょっと微妙な顔になった。ビンゴである。
「こ、この際は腹を斬ってお詫びを」
「やめて下さい、掃除が大変です」
「ワオ、超COOL」
「私自身には特に何もされませんでしたよ。本当です」
「遠まわしに何かした?」
「……ええと」
「こ、この際は腹を」
「やめて下さい、介錯は出来ません」
「ワオ、超COOL」
「お水飲まれます?」
「あ、うん」
 唐突にベッドから出て、美汐はそんな事を言いながらキッチンに向かう。パジャマの裾から見えた足首の辺りがちょっとセクシーだと思ったピンポイントフェチ相沢祐一。
 程なくして封の切られていないミネラルウォーターとグラスを手に戻ってきた彼女と、ローテーブルを挟んで向かい合う。
「どうぞ」
「いただきます」
 加水分解に体内の水分を大量に消費した所為か、驚くほど体に染み渡っていくミネラルウォーター。喉を鳴らして飲み込む様を、美汐の方は微笑んで眺めている。母性全開といった様子だ。
「あ、で、遠まわしにご面倒を?」
 袖口で口元を拭いながら改めて問うと、美汐は笑って首を振る。
「面倒なんて特にありませんでしたよ」
「でもぐでぐでだったみたいじゃないか、俺」
「まあ、それは過度のアルコール摂取が原因ですから。それはお体のためにも今後控えてくださいね」
「な、なるべく」
「はい」
「で、具体的にはどのような?」
「ですから、相沢さんは何もされてません。周りの方ですね、むしろ」
「周り」
「たまたま同じ店に来ていた同級生の方が居られましたよね?」
「……あ。あーあー、うん。居たな」
 昨晩、ゼミによる宴会の会場に選ばれたのはどの駅前でも必ず見つけられるような居酒屋チェーンだったのだが、それだけに別のサークルやゼミ生とその計画がかち合う事は少なくない。
 そこで出会ったのが学科を同じくする女生徒だったのを思い出した。
「それが?」
「途中から参加されて」
「ウザかったよな実際」
「いえそういう事は全く無かったのですが」
「まああの見た目だしゼミの男連中からは可愛がられてたしな。人当たりも別に悪くないし」
 水準よりかなり高い容姿のその女生徒の振る舞いを思い出しながら祐一はミネラルウォーターを再び流し込む。
 美汐は少し微妙な表情。
「あいつが何か?」
「相沢さんがその、酔って眠り始められてから」
「から?」
「そのー……ええと、やたらと、の、濃厚なキスをですね」
「濃厚ってなんだ。え、ていうか俺に? あの子が?」
「私にしてどうするんですか」
「だからって俺にしないでくれよ!」
「私がしたのではありません」
「誠に。いや、え……なんでそんなことを?」
「ご本人に聞いて下さい……」
 肩を落とし気味に、美汐は情景を思い出しているのか頭の痛そうな顔になった。
 お互いに酔っ払っていたから、場の勢いやら何やらに後押しされてそういう行為に及んでしまうというのは、祐一としても件の彼女としても有り得そうな事ではあった。別段その人となりをよく知っているわけではないが、ともあれ盛り上げ役に徹するような所はなんとなく見て取れている。
 それが無闇なディープキスというのも笑える、と続けようとした所で、美汐に居抜かれるような視線を向けられた。
 思わず正座の祐一。
「相沢さん」
「あ、はい」
「大変聞きにくいのですが」
「はぁ」
「あの人とは、そういうご関係なのですか?」
「……いや、全然……」
 見た目は可愛いし性格も悪くない、話していて飽きることも無いという中々珍しい女性ではあったが、別段祐一は彼女に心を傾けたことはない。
 そうでなければ半ば強引に入学を勧めたりはしない。
「本当ですか?」
「酒の勢いだろう、多分」
「そうですか」
「疑う?」
「いえ、これで良かったと今思ってる所です」
「というと?」
「相沢さんが完全に身動きが取れなくなったのが日付が変わって1時間もしない頃です。そろそろお開きのムードでしたので何度も声をおかけしたのですが」
「起きなかったと」
「はい。どうしようか、となった時、例の女性がこのままホテルにでも連れて行くと言い出されまして」
「わぁ」
 口にするのも中々気恥ずかしいのか、ちょっと目をそらしながらの美汐と目が点になりかける祐一。
「俺を攫ってどうしようってんだ……」
「はい。なので、止めました、私が。嫌でしたから」
「……」
「私のことはご存知なかったようなので、彼女です、と自己紹介をしまして」
「待て今凄い事言ったな?」
「そうでも言わないと強引に連れて行かれそうでしたので」
 気恥ずかしげな様はそのまま、しかしやはり真っ直ぐに見据える目に祐一は吸い込まれそうになる。どこか動悸が早まるのを遠くで感じた。
「すみませんでした、勝手な事を」
「いや……」
「実は目覚めた時、すぐそばに相沢さんのお顔があったので、現実になってしまうのかと思いましたが」
「あー……面目ない」
「如何ですか」
「何が」
「現実にしてもらえませんか」
 淡々とした口調で出されたそれは、酔いは覚めていた筈の祐一がもう一回り細くなるような、研ぎ澄まされるような言葉だった。
 今度は祐一が目をそらしそうになる番。
「マジで?」
「何の気も無いのに男の人を家に上げる程、私はバカではありませんし、そういう期待が無かったわけでもありませんし」
 祐一は、どこか彼女に「何も知らない」純朴な少女像を勝手に抱いていたような所があったが、それは大きな間違いだったなとなんとなく思う。
「ダメですか?」
「お前……ズルいなあ?」
「そう思います。思いますけどまあ、私のような女はこういう手段しか無いもので」
「明け透けなのも好みかも知れん」
「有難う御座います」
 揃って笑う。
 薄氷の上を渡るように危ない均衡の中での笑い。それは、破っておきたかった。
「いや、俺だって天野を大学に引っ張り込んだ理由は察してくれよみたいな所あってさ」
「嬉しかったですよ、本当に」
「そうかー、お前も同じ待ちかー」
「……それで、如何でしょうか」
「まだ酒残ってるかも知れないぞ俺」
「それは困りましたね」
「頭痛もする」
「眠れば治りますよ」
「酒の所為で体も冷える」
「隣に居てあげます」
「余計眠れん」
「タッチは禁止で」
「抱き枕で寝る派なんだ。チューもする」
「それぐらいなら」
「マジか」
「不可抗力とはいえ相沢さんがキスされたのが実は非常に腹立たしくてですね、実は既に上書きしておきました」
 驚いて唇に思わず手が行く。クスクス笑う美汐。
「からかったのか」
「どうでしょう」
「結構怖いやつだなお前」
「はい。嫉妬深いと昨日知りましたし。それでも好いてくれますか?」
「まずは抱き心地のチェックを希望する」
「かしこまりました」
 笑って、美汐はベッドへ戻ると、腰掛けて手招きした。無言で従う祐一。恐らくお互いにとって、意外過ぎる転機だった。
 その後上掛けの下で何度かお触りに移行しようとした祐一の手が美汐に叩かれ、その回数分罰ゲームと称してキスを強請られた。かの同級生よりもむしろキス魔と言えた。
 1966年に「ツイスター」というゲームがハブロス社から発売されている。2人のプレイヤーがマットの上で、お互いに体を触れる事なく指定の場所へ指定の四肢を置いていくというファミリーゲームだ。それをなんとなく思い出しながら、一切触れずに美汐に覆いかぶさって怒られる祐一だった。
 あまり広くない1DKの美汐の部屋。「SEX in a BOX」というツイスターの蔑称が、ふとすると当てはまる。

[END]












お囃子・感想などいただけましたら。

おなまえ(省略可)



お囃子!(→盛大)

ぱち ぱちぱち ぱちぱちぱち

よろしければ何か一言!(省略可)