止まると死んだりする奴も居るから
黄色い絨毯などとよく表現されるが、そんななまっちょろいものではない。
水分を含んで滑りやすくなっているわ銀杏が臭いわ靴に張り付くわでヘル・ピクチャー(地獄絵図)と読んでもいい程に荒れ狂っている。本来風情を感じるには絶好であろうこのイチョウ並木だったが、吹き荒ぶ雨風でちょっとした203高地の様相を呈していた。
おまけに季節は秋。
極めて寒い。
滞りなく寒い。
「舞」
「何」
「傘捨てていい?」
「駄目」
「だって見てこれ! 傘っていうか雨水貯水槽みたいになってるもんホラ! 裏返ってて!」
「勿体無いから」
「何に使うんだよ」
「直せるから」
「傘張り職人め」
バケツをひっくり返したようななどとよく表現されるが、そんななまっちょろいものではない。
事実、相沢祐一の手にする傘はトランスフォームを完了し、豪雨を受け止める器と化している。ぶっちゃけ邪魔だ。捨てたい。だがそれは、少し前を共に走る彼の恋人こと川澄舞が許してはくれなかった。
彼女の物持ちの良さは食料品以外では世界に通用するとすら言える。高校時代、付き合い始めたばかりの頃に、丁度インクが切れたという理由で祐一から譲り受けたシャープペンを未だに持ち歩いていたりもするのだ。無論それは物持ちの良さとは別の要素も関わっているのだろうが。
さておき、突然振り出したこの雨の中、2人は自宅へ向けて超疾走中だった。
「もっと欧米感覚を身に着けるべきだと思うよ俺は」
「欧米?」
「勿体無いという言葉は英訳出来ないらしいぜ」
「MOTTAINAI?」
「そういう事じゃねえよ!」
嘘英語っぽい発音で自らの主張を続ける長身痩躯眉目秀麗一見美人実際不思議少女である。
壊れてしまった傘を見上げ、今まで何となく傘氏に対する義理で頭上に掲げていたが、それも虚しくなって祐一は全身を雨ざらしにした。舞はと言えば最初から傘など持っていない。何故なら天気予報と日々戦いを繰り広げる事に使命感を勝手に抱く祐一に付き合わされて傘の持ち出しを諦めたからだ。ちなみに祐一の傘は途中で買った。内心祐一を卑怯者といたぶりたい舞である。
「祐一」
「なんだ」
「卑怯者」
「……なんか、お前にそういう言い方されると凄い心にクるな」
口にも出しておいた。川澄舞は基本的に律儀な人間である。例えば待っているからと言えば10年以上待っていたりもする。
横断歩道は丁度赤信号で、舌打ち気味に祐一は舞と並んで歩道に立った。少し離れた距離に乗用車のライト。吹き付ける雨が痛い。あと舞の言葉も今ちょっと痛い。本来海から上がってきたとされる人類の祖先ではあるが、人類になってしまった以上過剰な水分の付着は鬱陶しいことこの上なかった。
横断歩道前でイライラしながら車の行方を見守る男と微動だにせず立ち尽くす女を認めてか、横断歩道に差し掛かる前に乗用車はパッシングをした。後続の車も居るようだったが、雨風に晒されまくっている歩行者を見ては流石に同情したくなったのだろう。
舞と祐一揃って車に会釈をし、小走りに横断歩道を通り抜け、住宅街へ。速度は緩めず、そのまま自宅こと安アパートへゴール。
「舞はタオルな。俺風呂入れてくる」
「わかった」
この際廊下が多少濡れてしまうのは必要経費と割り切って、大股に祐一は風呂の準備を開始した。ついでに濡れそぼった衣類も全て脱ぎ捨て洗濯カゴへ放り込んでおく。程なくしてバスタオルを持って来た舞も同じように一糸まとわぬ姿となった。けしからんおっぱい放り出しタイムである。
今更お互い全裸である事に何かしらの躊躇も無い間柄ではあるが、男子はとりあえずけしからんアイツを見つめておくようにプログラミングされているので見つめた。見つめた顔に舞からタオルが投げつけられた。
「祐一、髪」
「偉そうだなおい」
「誰の所為だと」
「いやー川澄さんの髪は綺麗で乾かし甲斐があるなぁ」
いつだって卑屈になれる男相沢祐一は舞の後ろに回ると、黒く長い髪の根元から、水分を搾り出すようにぎゅっとタオルを当てていく。あまり褒められた純度ではなかろう水分に打たれても、彼女の髪は艶やかで美しい。胸もそうだが祐一にとっては彼女の髪もまたフェチの対象だった。舞はと言えば後ろは祐一に任せる事にしたのか、頭頂部から前髪をわしわしと雑に拭う。
「抜けるぞ髪」
「大丈夫」
「あっ、枝毛!」
「無い」
「なんでそんな自信たっぷりなんだ」
「ちゃんとしてるから」
「誰だってちゃんとしてるけど! だけど……でも! 傷むのが髪なんだ!」
何かの種子でも割りそうな芝居を込めつつそんな事を言うと、舞は長々とため息を吐いた。
「祐一が見るから」
「は?」
「髪を」
「ん?」
「だから、ちゃんとしてる」
「……あ、あーあー。いつも祐ちゃんが見るから頑張ってるのよ! バカ! だから鈍感だっていうのよ! って意味ね?」
「そう」
あまり抑揚の無いのは今に始まった事ではないにしろ、もう少し恥じらいとかそういう方面のフェチを見せてくれてもいいじゃんと思う祐一。ともあれ、余すところ無く髪を拭い、形の良いヒップを丹念に眺めてから、タオルを舞の肩にかけた。ちなみに剣術をやっていた為か彼女の上半身は女性を多分に含みながらも少し筋ばっていてなまめかしい。
「終わったぞ」
「甘い」
「ハイダメ出し入りましたー」
「祐一」
「なんだ」
「ダメ出しが入るって日本語は変だと思う」
「パッと見な」
「うん」
同意を得られて満足げな舞はタオルを手にワードローブへ向かった。ちょっとカッコいい背中だと祐一は思った。
「あ」
「今度はなんだ」
「服……」
声に反応し、タオルを腰巻にして祐一も後を追うと、悲しげに窓の外を見つめる裸舞。豪雨の餌食となったのは彼らだけではなく彼らの衣類もだった。
雨の止む気配は無い。
「洗い直しだなこれは」
「着る服が無い」
「毛布でも被っとけ」
「そうする」
ベッドに腰掛けると、舞は上掛けをポンチョのように羽織る。見えるべき所が見えなくなるのは却ってエロいと祐一は再確認しつつ隣に並び、強引なスクリーンアウトを敢行。
「何」
「何じゃねーよ! 俺はいつまでフルマラソンで居ればいいんだよ!」
「お願いしますは」
「……」
「お願いしますは」
「お願いします……」
川澄舞は律儀である。傘の一件を根に持ったらかなり根深いぐらい律儀だ。
薄笑いを浮かべて勝利を噛み締めながら舞は上掛けを半分広げて祐一を招きいれた。こんな状態でも人肌というものは暖かいのだなあとなんとなく命を実感する祐一。
ただし、暖かいと感じるという事は、自分の体温がそこよりも低い事を意味する。
「祐一冷たい」
「俺はいつだって優しいじゃないか」
「物理的に」
「我慢なさい」
「冷たい」
「じゃあ俺をあっためてよ!」
「冷たい」
不満の一点張りな舞だった。スイマセンと謝罪を申し入れつつそれでも離れない祐一。暖かいからだ。女性はそもそも脂肪率が高いので同じ環境なら男性の方が体温が下がりがちである。
なので更にしがみつく作戦を決行。
「か、川澄さん!」
「鬱陶しい」
ダイビングは許されなかった。当然だとも思った。確かに鬱陶しい。
「お風呂は?」
「もうじき溜まる」
「私はシャワーだけでもいい」
「却って風邪引くぞ」
「私はシャワーだけでもいい者だから」
「知らねえよそんな事」
そんな問答の隙間を埋めるように、湯船に湯が張られた事を伝える電子音声が聞こえた。ちょっと顔を見合わせ、同時に走り出す若人2人。一番風呂争奪戦である。大変愚かだった。
結局争奪戦には2歩程脱衣場に近かった祐一が先に辿り着き、川澄舞に黒星がついた。全身で半角英数のOとRとZを並べたようなポーズを取り絶望を表現。
「祐一は冷たい」
「だから風呂に入るんだ」
「人として冷たい」
「体が暖まれば心もまた然りだ」
ハハハじゃあなと勝ち誇りながら風呂場の扉を開け、足を踏み入れ、閉じ――ようとした扉が動かなかった。立て付けが悪くなっているのかと振り返る。
鬼神。
表情のパターンの少ない舞をして、かなり怒りの表情を頑張って押し出していた。真面目にビビる彼氏。
「何ブチギレてるんだ舞」
「寒い」
「お前は敗者! 俺は勝者! これが無慈悲な勝負事の掟なのだ」
「私も入るから」
「入るからじゃねーよ! 狭いよ!」
「大丈夫」
「お前の大丈夫は本当にアテにならねーな!」
ぎゃあぎゃあ言いながらも、一緒に入る事には全力賛成の祐一である。並んでシャワーを浴び、窮屈な思いをしながらも湯船へ体育座り気味に突入。骨の髄まで暖まるというのはこの事かと心底理解する。
「あー落ち着いたー」
「祐一、もっとそっち行って」
「バカ言うな、限界だ」
「人間は限界を超えてからが本番」
「湯船の陣取りでアドレナリン出してたまるか」
フゥー、と長い長いため息の舞。ちょっとイラッとくる祐一。こういう時は悪戯だとばかりに、水に浮く胸の先端を摘んだ。
怒るかと思ったが、舞はちょっと祐一を見つめ、それから片手を後頭部に回した。
そしてそのまま水面とキスする祐一。キスどころかめり込む祐一。水中でぼんやりと見える舞の肢体に気を取られている暇も無くパニックに陥る祐一。
きっかり30秒ほどで解放。水飛沫を巻き上げながら酸素との対面を果たし、必死に呼吸を整える。
「殺す気か!」
「そんなわけない」
「いいや今のは明確な殺意があったね」
「痛かったから」
「俺死んじゃうのよ!?」
「昔は魚だったから大丈夫」
「今は? 今の俺は?」
知らんぷりとばかりに顔を真横に背け、舞は湯を堪能する。どこまでも自由な人だった。
「でもさあ、自分の彼女の裸を延々と見てたら流石にこう桃色吐息も出ちゃうぜ?」
「泳ぎ足りない?」
「ホッホッホ、怖い事を仰る」
「私も同じだから」
ちょっと目線を外し、恐らく湯温だけではないであろう程度に頬に朱を差しながら舞は呟く。
「……は?」
「祐一の体は」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……セクシー」
「今の間は言葉捜してたんじゃないのか」
どう転んでいいか解り辛い褒め言葉だったが、なんとなく舞もその気らしい事は良く解ったので良しとした。
「じゃあ泳ぐか」
「……」
「いやそうじゃない! 後頭部に手を回すな!」
「じゃあ何」
「舞の中を泳ぐ」
「下品」
「ですよね」
下品、というのがこの場における舞の了承の台詞だと受け取り膝を割って彼女に寄った。
実際の水中は無理だが彼女の中は泳ぎたい、ある意味魚の脳を持つ男である。
事後、のぼせた2人で揃って洗濯物を回し始めたのはまた別の話。
[END]
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