いつものように鳴り響く目覚ましが少し煩わしい。
 腕を伸ばしてうるさいベルを止める。目を覚ましたらまずはあの寝ぼすけを起こさなければ。
 体を起こし、壁にかけたカレンダーで日付を確認する。そこで気づいた。
「あ……今日、休みだ」





SUNSHINE ON SUMMER TIME!!





「ゆ〜いちー! 早くしないと、逃げちゃうよ〜!?」
「海が逃げるか! っていうかちょっとは落ち着けよお前は!!」

 今日は学校は休みだ。だというのに、何故自分はここにいるんだろうか?
 本来ならあのまま二度寝して、延々昼過ぎまで寝ていられるはずだった。
 だというのに、珍しく朝ちゃんと目覚めていたうちの眠り姫様が急に部屋に入ってきて、
「祐一! 海行こう!」
 …と、こうのたまわれたのだ。
 まあ確かに、今日は夏休み初日。やることも用事も特にないわけで、暇ではあるのだが。
「唐突だな。何か特別なことなんてあったっけ今日?」
「ううん。夏だし」
「理由になってねーよ」
「だってせっかくの夏休みだよ? こう、パーって騒ぎたいじゃん。夏だし」
「お前は頭がパーッとしてるよな」
「だお!?」

 夏の日差しに誘われたのか、名雪は随分とはしゃいでいた。
 よくもまぁこの暑い中こんなに騒げるなぁ、とも思うが、冬の長いこの街にとって夏は特別なものなのかもしれない。

「って言っても、海だろ? 夏の海はイモ洗いって相場が決まってるんだが」
「大丈夫、そんなの都市伝説だよ」
「勝手にホラーな話にするな。ていうか海まではどうやって行くんだ。秋子さんの車使うのか?」
「ううん、電車とバスを乗り継いで。お母さんは今日お仕事あるから」
「ちょっと待て、んじゃ俺とお前の二人だけで行くのか? まずいって」
「何で?」
「秋子さんが許可しないだろ。俺はお前に何もしないと断言するが」
「断言しないでよ〜」
「断言するがっ!」
「うぅ…」
「…何か間違いが起こったらどうするんだ? やっぱり保護者同伴じゃないと」
「いいのいいの! たまにはお母さん抜きで、私たちだけで楽しもうよ、ね?」

 後が怖そうな話である。
 逆に、あの人なら二人きりだと言っても一秒で了承してくれそうな所が怖くもあるが。
 いやむしろ否が応でも二人きりで行かされそうな気がする。

「んー……でも却下。あちぃしねみぃ。何が悲しくて夏休み初日から外出て遊ばなきゃならんのか!」
「え〜、もったいない。私、この日のために新しい水着準備したのにー」
「……おにゅーの、みずぎ?」
「うん、セパレートタイプのビキニ。結構かわいいんだよ?」
「うむぅ……」

 で、結局。
 おにゅーのみずぎとやらの魅力に負けて冒頭のシーンなわけだ。
 準備体操もそこそこに海へ走っていく名雪の姿は、宣言通りのビキニ姿。
 青地に水玉模様のシンプルなそれは、なるほどよく似合っていた。
 幸い、海には人があまりいない。と言ってもそれは夏にしては、という話。
 それなりに込み合っているメークインと男爵達。もちろん、自分もその一端なわけだが。

「で、真っ先に海に走っていってお前は何をやってるんだ?」
「えっと、お城作り?」
「……」
「ほ、ほらほら祐一! 砂ウサギ!!」
「……」
「……」
「ていっていっ!」
「あぁ!? な、何するの!?」

 砂のお城を踏み潰し、砂のウサギをはたき落とす。
 うぅ〜と非難がましい視線を送ってくる名雪をとりあえず無視。今回俺は間違ってない。

「ちと質問がある」
「何?」
「ここはどこだ?」
「海だよ」
「そのとおりだ。で、お前は今何をしている?」
「砂遊び」
「ところで、海水浴場における海とはどういうところだ?」
「う〜ん、泳ぐところ?」
「で、ここはどこだ?」
「だから、海だよ?」
「そのとおりだ。で、お前は今何をしている?」
「砂遊び」

 ダメだ、このままじゃ堂々巡りになる。
 ツッコミ役がいないことが悔やまれる。仕方がないから話を進めよう。

「つまり、泳ぐために海に来てお前は何をしてやがりますか!」
「いたっ! ひ、酷いよ祐一!!」
「そんなことはない。つかなんだ、泳げないのか?」
「しょ、しょうがないよ。私の家、山のほうにあるし。滅多に泳ぐことなんかないんだもん」
「いや、確か香里が泳ぎは得意だと話してたことがある。俺と北川で近所のプールに行った時、あいつも普通に泳げてたし」
「な、何の話?」
「単純にお前が泳げないだけって話」
「だおぅ!」

 結構ショックだったのか、そのままヘナヘナとへたり込んだ。
 だったら最初っから海に行こうとか言うな。

「ったく、ホレ、行くぞ」
「え、え?」
「泳げないんだろ? 教えてやるから覚悟しろ。俺は結構スパルタだからな」
「……う、うん! よろしく、祐一」

 かくして、午前中は名雪の水泳教室と化した。
 バタ足から始まり、犬掻き、クロール、背泳ぎと、大体の泳ぎ方を教えていく。
 幸い、信じられないことに運動神経がいいのですぐにある程度まで泳ぎは上達した。
 泳ぎ疲れたのと腹が減ったという理由でとりあえず水泳教室を中断し、海岸通りにある出店で昼飯を買う。

「う〜ん、なかなか楽しかったな〜」
「うぅ……祐一、極悪だよ。いきなり海に放り投げるんだもん……」
「俺はスパルタだと言っておいただろうが。まぁ午後からは必要ないな。もう十分泳げるようになったし」
「うん、もうバッチリだよ。ありがとう」

 食後のデザート、定番のカキ氷を口に運びながら、そんなことを言ってくる。
 俺はブルーハワイ。名雪はもちろん赤色シロップ。よく飽きないもんだなぁオイ。

「ゆういひー、みへみへー」
「あん?」
「ほあ、ひあまっかー」
「うわ、オマ、見せんなよんなグロイもん!!」
「えへへー」

 べー、と舌を突き出してこちらに見せてくる。確かに、それはとても赤く染まっていた。
 そうして、またショリショリとカキ氷をほおばりだした。
 もちろん、舌が真っ赤になると言うことは、唇も真っ赤に染まるわけで。
 名雪の色白の肌にその赤色はよく映えているわけで。
 その……なんだ……だんだん、唇が、近づい、て……

「? どうしたの、祐一?」
「な、なんでもない! なんでもないぞうわははははは!!」
「?? 変なの。あ、キーン、ってきた?」
「お、おうそうだともそうだとも、さぁ喰い終わったことだしそろそろ行くぞ午後は泳ぎまくってやるひゃっほう!!」
「あ、ちょ、ちょっと待ってよ、私まだ、たべ終わってな……んー!」

 急いでかきこんだからだろうか、頭をトントンとやっている名雪。
 その姿を尻目に俺は海へと走り出した。
 お、俺は名雪には手を出さないと断言したんだ! くそ、負けてたまるか! よくわからんけど!!

 午後に入ってから更に日差しが強くなった。
 さっきので暴走した頭を、ついでに暴走しかけたムスコを沈めるために思いっきり泳ぐ。

「疲れた……」
「どこ行ってたの祐一?」
「ああ、ちょっとそこまで」
「そこって、あの遠泳禁止の浮き?」
「そうそう、そこまで2往復ほど」
「そりゃ疲れるよ……」
「さて、ちょっと便所行ってくる。身体冷えたからちと近くなったみたいだわ」
「ん、じゃあ私ビーチボール借りてくる。早く戻ってきてよ〜?」
「りょ〜かい」

 まぁ便所じゃないんだけどな。こっそり持ってきた俺のライフライン、心の友達タバコを探してバッグを漁る。
 ちなみに、俺がタバコを吸ってることは名雪はおろか秋子さんにさえ知られてはいない。
 なぜなら家じゃいつも服の内ポケットに仕舞ってるし、外でしか吸うことがないからだ。
 
 (あれ、確かにここんとこに入れてきたはずなんだけどな)

 その中には一枚の紙切れが入っていた。こんなもんを入れてきた覚えはない。
 半分に折りたたまれていたそれを広げてみる。小さくかわいい字で何か書かれていた。

『ダメですよ。祐一さんにはまだ早いです。
 帰ってきたらちゃんとお話しましょうね? 秋子』

 ザザー、と。波が引く音とともに俺の血の気も引いた。
 そ、そんなバカな。俺の喫煙は誰にも知られてないはず。
 まして、今日は秋子さんとは一度も顔をあわせてないのに……!

「祐一。トイレいいの? ていうか、何か顔青いよ?」
「あ、ああ、なんでもない、今はなんでもないんだ……」
「変なの。まぁいいや、ほらビーチボール。早く遊ぼうよ」
「……そうだな、思いっきり遊び倒してやる!」

 過ぎた失敗を悔やんでもしかたない。
 怖い思いは帰ってからにして、今はとにかく楽しもうじゃないか。

 ポーン、と飛んでくるボールをはじき返す。すると名雪もポーン、とボールを返してくる。
 
「うりゃ! とぅりゃ!」
「わ、わ、ちょっと、強いよ祐一! もっとゆっくり!」
「俺は勝負事は手を抜かない性質だ!」
「別に勝負なんかしてないよ〜!」

 ところで。普段ならビーチバレーを本腰入れて楽しむ俺だが、さっきから集中できないでいる。
 ボールをはじく度に胸元で揺れる二つのボール。それはボールを弾くたびに柔らかく弾んでいる。
 いつもは気にすることなんか無いが、水着に強調されたそれについつい目がそっちに行ってしまうのだ。

「いたっ」
「祐一〜、どこ見てるの? ちゃんとボールとってよ〜。さっきからよそ見してばっかり」
「い、イヤ別に。ボーっとしてただけだよ。朝早かったからな」
「……えっち」

 顔を赤くして自分の胸をかき抱くように隠す。しっかりバレていた。

「う、スマン」
「あ、そうだ。ならさ、勝負しようよ。祐一が勝ったら私の胸触らせてあげる。どう?」
「サンキュ。すごく落ち着いた」
「それ酷くない? 極悪だよ……」

 よし、勝ったな。
 名雪に誘惑されてもキャラに合わなすぎて逆に萎える。っていうか、コイツにそういう動作は似合わない。

「まぁ勝負は勝負だ。オマエが勝ったら点数差分イチゴサンデーを奢ろう」
「本当!? 随分気前いいんだね! カッコイイよ!!」
「ただし! 俺が勝ったら溜まってる貸しを点数差分引かせてもらう! いくぞ!」
「そんな!? 祐一、それは横暴だよ!!」
「問答無用!!」

 かくして、俺のサイフ救済デスマッチはここに火蓋をおとされたのだった。

 帰りの電車の中。窓から差し込む夕日が少し目に痛い。
 随分疲れていたようで、電車に乗って早々に名雪は眠ってしまった。
 正直俺も疲れてたりするのだが、ここで眠ってしまったら恐らく寝過ごすことになるだろう。
 あの後結局勝負は俺の勝ちで、溜まってる貸しを3つほど減らすことに成功した。
 まぁ残りが2桁あったりするが。この眠りボケには俺の寂しい財布事情も少しは考えて欲しいところ。

「くー」
「気持ち良さそうに寝てんじゃねーよ、コノ」

 頬を引っ張ってみる。みにょーんと伸びるそれは、どこか柔らかい餅を連想させた。
 その内いじくるのにも飽きてくる。時計を見れば、地元の駅まではあと1時間はあるようだった。
 仕方なしにボー、と今日の出来事を思い返す。かき氷を食べる名雪、海の中できらめく髪……
 今の名雪の姿に目をやる。髪はまだ乾ききっていない様子で、差し込む夕日を反射し少し紅い。
 唇は可愛らしい吐息とともに、時折寝言を漏らす。それは見れば見るほど柔らかそうで。

「起きてない、よな?」

 辺りを見渡しても客は俺達ぐらいしかいやしない。誰にも見られる心配はなさそうだ。

「少しだけだ、少しだけ」

 そんな風に自分に言い訳しながら名雪に、その唇に近付いて行く。
 チョン、と唇が触れるか触れないか程度のバードキス。それだけして顔を離す。
 無理でした。捕まりました。腰を足でがっちりホールドされてます。
 首は手で引き込まれてます。顔はおろか唇すら離せません。
 今口内に舌を入れられました。名雪の舌が俺を蹂躙してきます。

「ん〜〜〜、ん♪」
「んふ、ハァ、おま、何を……!」
「むぅ、祐一? 前から思ってたけど、タバコ吸ってるでしょ?」
「んな、何でそれを!?」
「今タバコの味がしたもん。それに、祐一の服時々凄くタバコくさいんだよ? 多分お母さんももう気づいてるけど」
「ああ、それでか……って違う。いきなりナニしますかおまえは!」
「んー? んふふ、嘘つきー」
「う、嘘?」
「絶対に手を出さないとか言ってたくせに、最初にナニかしてきたのは誰だっけ〜?」
「テメッ、起きてやがったのか」
「ついさっきね。祐一にチュウされるちょっと前」
「つーこたバッチリ全部ってことかチクショウ」
「えへへ〜。ほんとはね?今日ずっと期待してたんだから」
「期待?」
「手出してくれること。何度か誘ってみたんだけど、祐一全然気付かないんだもん」

 てことは何か?俺は名雪の手のひらで踊らされてたってことか?

「不覚……名雪何かに手玉に取られるとは……」
「むぅ、もしかして酷いこと言ってる?」
「いや全然」
「でも、手だしてくれたし。ちゃんと溺れてくれたんだね」
「溺れる、って俺今日溺れてなんかないぞ。むしろ溺れたのは名雪のほうじゃ」
「溺れてくれたよ、私に」

 そう言って魅せる笑顔は本当に眩しくて。名雪に溺れてるって嫌でも自覚させられたから。

「なるほどな。んじゃ折角だからしっかり溺れてやるか、心も体も」
「あんまりかっこよくないよね、その台詞」
「うるせ」
「でも……いいよ。溺れさせてあげる。乾く暇なんてないぐらいにね」

 まぁ家に帰るのも怖いし。蒸し暑いほどのホテルの中で季節はずれの雪に溺れるのも悪くはないか。
 途中下車した知らない駅に、どこからか響く祭りの囃子。

 祭りの夜は、まだ終わらない。



END