夏。外は既に日も落ち、空は暗く眠りに付いている。
 星々の瞬きも地を照らし出すことはなく、月の淡い光も視認を助けるのには心もとない。
 しかも、現在祐一のいる場所は、周りに街灯の類はほとんどない。月明かりでどうにか視認できる程度。

「あっちぃなあ」

 しかし、日が沈んだからといって夏の熱気はほとんど衰えることなく、外気を熱し、祐一に発汗を促す。
 祐一はそっと胸元のポケットからハイライトを取り出すと一本咥えて、火をつける。
 フウッと吐いた煙が、夜空に仮初の白い雲を描いたように見えた。
 と、祐一の耳に、何かの音が届く。
 それは、人の声のように聞こえた。それも一定のリズムで音階を階段のように並べて紡がれる、歌のよう。
 それを聞いた祐一は、ハアとため息をつく。口元に咥えた煙草から紫煙を燻らせながら、頭を掻く。

「どうしたもんかねえ」




  (こえ)





「って、のんびり煙草なんて吸ってる場合じゃないでしょ」

「いや、そりゃそうなんだが」

 ちょっとばかし、煙草を吸ってぼへーっとしていると横から叱責が入る。
 祐一がそちらを見やると、香里が腕を組みながらこちらを睨み付けていた。

「で、どうするのよ?」

「どうすっかねー」

 事のあらましは実に単純なものだ。
 期末考査から解放され、念願の夏休みに突入した大学一回生の祐一は、前々から友人達と計画していた旅行に行くこととなった。
 メンバーは祐一と高校時代からの面子、北川、名雪、香里、そして香里の妹の栞に先輩である舞と佐祐理の計七人。ちなみに北川はハブろうかという案も出ていたが、涙を流しながら訴えかける北川の意思を尊重して参加を許可。
 宿泊先は居候させてもらっている家の家主である秋子に紹介してもらった古めかしい旅館。温泉もあり、近くに海と山もある格好のロケーション。
 五人は現地に着くなり、海へ直行。夕方まで一頻り遊んだ後、宿へ戻って温泉へ入り、食事を取った。
 その後もドンチャン騒ぎはあったものの、本当に何のひねりもない普通の旅行だったのだ。
 が、二日目の夜、北川提案の肝試し大会を敢行することになったのだが、それが現在の状況を招くこととなる。
 当の肝試しは二人組、ないしは三人組に別れ、各自旅館から少し離れた集合地点からこの近くの山のふもとにある神社に行き、予め北川がセットしてきたろうそくに火をつけてから持って帰ってくるというシンプルなもの、そこで早速グループ分けを行い、結果祐一は香里と組むことになった。
 そして、順番は三グループ中、二番目。トップバッターから一組ずつ、交代交代に懐中電灯を手に、出発することとなった。
 神社への道のりは昼間にも通ったことがあり、覚えているので迷うことなく、すんなりと行けるだろうと思っていた。実際行けた。
 ところが、

「あれはなんでしょうね?」

 祐一が視線を向けた先、そこには一人の少女がいた。

「……女の子よね」

「女の子だな」

「見た目は普通よね」

「ああ、そうだな。但し、後ろの景色が見えてなければ、だけどな」

 そう、神社の敷地に立つ、その少女の身体は半透明だった。
 年は十を過ぎた頃だろうか。腰まである長い黒髪、スッと通った鼻梁、円らな瞳、病的と表現できるほどに白い肌。紅を引いたような赤い唇がその白に映える。
 年相応のかわいさと、しかしまた年に不釣合いな美しさも備えたなんとも美しく、奇妙な少女だった。

「まあ、見た目的にも普通、と表現しづらいがな。将来が楽しみだ」

「そうね。ってあれは成長しないでしょっ、どう見ても幽霊だし」

「あ、それもそうか」

 なんとも間の抜けたツッコミに、間抜けな答えを返す祐一。
 但し祐一は素で返しているが、香里は普段はこんなツッコミはしない。単にテンパっているだけだ。
 少女は、二人に気づくことなく、本殿へと続く境内の石畳の中ほどに立ち、空を見上げている。
 そして、その口が細かく動き、歌を紡ぐ。その歌は声を張っているわけでもないのに、不思議とはっきりと祐一達の耳に届いている。
 その旋律はとても穏やかで、清らかで。まるでキンと冷たく張った水面を柔らかな風が通り抜けるような、そんな歌。

「不思議だな」

「……何が?」

「ありゃどう見ても幽霊、あるいはそれに類する、要するに非日常の存在だ。なのに、それを目の当たりにしてるのに、どうしてこうも穏やかでいられるんだろうな?」

「どうしてかしらね」

 不思議と、恐怖は湧いてこない。かといって好奇心が生まれるわけでも、興奮が生まれるわけでもない。
 ただ、そこに立ち、少女を見、その歌声を聴いている。
 過去に、いろいろと不思議な経験をしてきている祐一でさえ、こうも穏やかな気分でその不思議を見たことはなかった。
 そして、あんまりにも穏やかで、自然にその場にいれたから、

「ちょ、ちょっと相沢君?」

 自然に、祐一の足は前に出ていた。

「綺麗な、いい歌だな」

 少女に歩み寄りながら、祐一はそう声をかけた。
 自分でも何故そうしたのかはよくわからなかった。強いて言うなら、ただなんとなく。もしかしたら、これは少女の罠とやらかもしれない。
 そう思う心もあったが、何故かそれはないと断言できる自分がいた。

「……?」

 声に気づき、歌を止めて少女がこちらを向く。
 黒曜石のような瞳が、ジッとこちらを見つめてくる。後ろから香里が駆けてくる足音が、祐一の耳に入る。

「だれ?」

 抑揚のない口調で、そう聞いて来た。

「俺の名前は相沢祐一。ちょっぴりシャイなナイスガイだ。で、後ろにいるのがクールビューティー美坂香里女史だ」

 親指で自分と香里を順に指しながら、アホな自己紹介を口から滑り出させる。

「ふぅん」

 どうやらあまり受けなかったのか、ジトッとした目で見つめられた。

「じゃ、君の名前は?」

 と、祐一自身も軽く流し、逆に相手に問いかける。

「わたし? わたしはしずく」

「しずくちゃんか」

「ちゃんは余計よ」

「んじゃ、しずくでいいか?」

「……別にかまわないわ」

 やけに馴れ馴れしい人間、祐一に対して多少の呆れを交えながら申し出を許諾する。

「って、何普通に自己紹介してるのよ」

 ようやく、後ろに控えていた香里が祐一の肩を叩きながら、話しかけてくる。

「ん、ああ。いやしかし初対面との人間との挨拶は大事だぞ?」

「そりゃそうだけど……ってそうじゃなくって、どうやったらこんな不思議な娘に何気なく声を掛けれるのよ」

「そうね。それはわたしも同意するわ」

 と、横から同意の声が飛ぶ。

「普通、わたしみたいなの見たら逃げ出すか影で見てるかするものじゃないかしら?」

 そう言ってクルリと後ろの景色が透けて見える身体を回す。

「そうよ、それをまあノコノコと歩いて近寄って、あまつさえ自己紹介始めるだなんて、どういう思考回路してるのよ、相沢君は」

 と矢継ぎ早に二人から責められる。
 どうも、この二人、精神構造が似ているような気がする。と祐一は内心思った。

「いや、しかし、なんか幽霊……でいいのか?」

「ええ、一応幽霊よ」

「そっか、でその幽霊っぽさがないじゃん、しずくって。で、なんかこう神秘的なんだけど穏やかで親しみやすいオーラが出てるっつうか。ってその辺は香里も同意したろ」

「そりゃしたけど、何もいきなり声を掛けることはないじゃない」

「そんなもんか?」

「そうよ」

 祐一自身に自覚はないのだが、先の行動は香里、としずくからすれば突拍子のない行動だったらしい。

「……変な人。でも私を見てそういう印象を持つ人間って、めずらしいわ。そこの彼女、美坂さんも」

「そうなのか?」

「そうなの?」

「ええ、大抵はその前に恐怖に駆られて逃げ出すもの」

 そう言うと、しずくはフッと視線を横に向ける。その視線に、やや自嘲染みたものを感じたのは祐一の気のせいだったのだろうか。

「ま、でも俺達はなんともないぞ。まったく怖くない。な、香里?」

「え、ええ。そうね、かわいい、とか、綺麗、とかは思うけれど。怖いとは思わないわ」

「な、何を言い出すのよ、貴女は」

 褒められることに慣れていないのか、急に綺麗とか、かわいいとか言われて、やや慌てふためくしずく。

「おお、照れとる、照れとる」

「べ、別に照れてなんかないわっ」

 反論するも、その真っ白な美貌にやや朱が差しているのを見れば、彼女が今どういう感情の下にいるのかは一目瞭然だった。

「わかったわかった、そういうことにしてやるよ。で、本題なんだが、なんでこんなとこで歌なんか歌ってるんだ?」

 これ以上は本気で怒り出すかもしれないので、早めに話を切り上げ、次の話題へ持ち込む。

「え? ああ、歌はね、歌いたいから歌ってるのよ」

「実に尤もらしく、単純明快な返答だな」

「何か他に理由があると思ったのかしら?」

「いや、まあこんなところで幽霊な不思議少女が月夜の下、いい歌を歌ってたら、そりゃ何か特別な理由があると思うだろ」

「美坂さんもかしら?」

「へ? ええ、そりゃまあ、そんな端的な理由だけだとは思わなかったわ。他に理由付けがあるのかも、とか考えたし……」

「なるほど、やっぱり人間ってそう思うものなのかしら?」

 ちょこんと首を傾げながらしずくは疑問を口にする。

「セッティングが整えられすぎてるからな。それにほら、しずくは幽霊だしさ。この世に残っているのにも理由が必要なんじゃないのか?」

「まあ、それなりには」

「だとしたら、その理由と歌が繋がっていると考えても不思議じゃないだろう?」

 祐一のその考えを聞いてしずくは数度小さく頷きながら、思案する様子を見せる。
 そして不意に月を見上げて、

「そうね、そうよね。もしかしたら、そうなのかもしれない」

 と、妙に納得した感じで呟いた。

「どうしたの?」

 香里がしずくに尋ねる。
 その声にしずくは香里へと視線を戻し、首を左右に振る。

「いいえ、こちらの話。でも相沢さんの意見は参考になったわ、ありがとう」

「そうか。ああ、俺の名前は気軽に祐一と呼んでくれて構わないぞ」

「あたしも。下の名前で呼ばれる方が慣れてるし」

「そう、ならそうさせてもらうわ。祐一さん、香里さん」

 親しみを込めて、祐一達の名前を呼び、彼女は微笑んだ。
 クルリと、こちらに背を向けて、しずくは境内を、本殿に向かって歩き出す。
 祐一たちも自然とそれに追従するようについていく。
 月光だけが、神社を照らす。月明かりを反す石畳は、それが持つ本来の色合いのほかに、どこか神秘的な輝きを持っているように思えた。
 サアっと、ゆるく風が吹きぬける。僅かに木々を揺らし、音を立て、けれど祐一たちを取り囲む熱を一気に取り払うには至らないほどの、風。
 しかし、それでも、その風は祐一たちから僅かながらに暑さを拭ってくれる。
 どこか遠くで、鈴虫の鳴く声が聞こえた。
 それと同時に、しずくが歩きながら、また歌い始める。まるで鈴虫の鳴き声と、風に揺れる木々の音を伴奏とするかのように、彼女は、歌を紡ぐ。
 ゆっくりな歩調で、リズムを刻む。風に乗せて、どこか心が澄むような歌声を響かせる。
 彼女は切々と歌い上げる。
 その歌詞は一人の少女の儚い想いであり、想い人に汝が行く先を知らせるための光でもあった。
 やがて、本殿の、賽銭箱の手前まで来ると、しずくは立ち止まり、歌を止める。

「ねえ、祐一さん、香里さん」

「ん、なんだ」

「なにかしら?」

 こちらは振り向かず、静かに、第一声のときのような抑揚を抑えた口調で、しずくが話しかけてくる。

「貴方達は、歌ってどういうものだと思うかしら?」

「う〜ん、音楽?」

 祐一の至極尤もだが間抜けな答えに、しずくはクスリと一度だけ笑いながら話を続ける。

「ええ、そうね、歌は音楽だわ。でも歌は音楽の中でも、どんな独自の、特別な意義を持つと思うかしら?」

「そうね、音楽の中でもどういう意義を持つのか、っていうなら、やっぱり、祈り、なんじゃないかしら?」

「祈り?」

「ええ、そう。どんな音楽も他者へ想いを伝えることができる。でも歌はそんな音楽の中でも、言葉を紡いで作られる。だからそこにはその人の想いがもっと具体的な形で、そう、願いが込められていると思うわ」

「感情だけでなく、想いだけでなく、時にはこうあってほしい、こうあれ、という願いごと、道標にもなれるってことか?」

「だから、歌は時として歴史を後世に伝えるためにも用いられる。そういう事実を伝え、そこで得た教訓を生かすために。それは、人の行く先を案じ、その先に幸を願う、祈りなんじゃないかしら?」

「祈り……」

 先ほどよりも、強く、風が吹いた。
 気づけば、鈴虫の鳴き声も止んでいた。

「もしも、もしもよ。貴方達は、愛する、或いはそれぐらい大切な人と離れなければならなくなってしまったら、どうする?」

「愛する人と、」

「離れる?」

「そう、悪いことなんかしていない、それはどこかで勝手に決められたこと。でも、それでもやっぱりそれは抗えないことだとしたら、貴方達なら、どうする?」

 その言葉は、二人の心に保存されている記憶を、そっと取り出す。
 香里は、今は元気に外に出かけることが出来る、けれど少し前まではもうすぐ別れなければならず、その別れに耐え切れずに突き放した妹のことを。
 そして祐一は、そんな姉妹の経緯を、そして、あの冬にやってきた、肉まんと漫画が好きだった迷惑ないたずらっ娘のことを。
 どちらも、それは大切な人との別れと言えた。
 香里にとっての大切な人は、血を分けた妹、栞であった。今でこそ別れずに仲良く暮らしているが、けれどあの時は確かに別れを自覚していた。
 祐一にとっての大切な人は、そんなクラスメイトと街で出会ったその妹であり、そして、冬のほんの僅かな期間、寝床を共にした、自分の妹みたいな家族であった。
 いつも冷静な印象を与えながらも、どこか暖かな優しさを持つクラスメイトと、一々こちらのイタズラに引っかかってくれる可愛い後輩。そして何度いたずらされても憎みきれず、大抵のわがままもしょうがねえなあと最後には聞いてやってしまっていた大切な家族。
 姉妹とは今でも仲良く。けれど、家族のほうは、今はもういない。
 そんな、別れを覚悟した、あるいは別れを経験してしまった大切な人たちに想いを馳せながら、二人は静かに考えた。

「それが、避けられないことなら……、いや、避けられないことであったとしても、俺は、俺に出来る精一杯のことを、その人のためにするさ」

 口調はなるべく軽く。真琴のことを思い出し、若干震えてしまいそうになる声を隠しながら、祐一はそう答えた。
 その答えに、しずくがこちらへ振り向き、祐一と目を合わせる。
 その視線には、どこか冷たい、否応ない重圧が込められていた。睨み付けられていないのに、どこか体を視線で押さえつけられているような感じを受けた。

「本当に、できるの? 言うだけなら、簡単よ。けれど、その場に直面して、祐一さんはもう一度その言葉が言えるって誓える?」

 そう、彼女は問いかける。本当に、その場に相対して、そう考えることが出来るのか、と。
 しずくは、祐一のその答えが口先だけではないか、それを確かめたかったのだろう。
 祐一はその問いに、肩を竦め、

「ああ、できるさ。悪いが、そういう別れは経験していてな。一つは途中までだが、もう一つは最後まで。別れを、見届けた」

「…………」

 ジッと、しずくは祐一の目を見る。澄んだ黒の瞳は、何もかもを見透かしそうで、事実祐一が嘘をついているかいないかぐらいは見透かされるようで、彼女はそう、と頷いた。

「私も、経験はあるわ。結果的に、別れは訪れずに済んだけど、すぐ傍まで別れがやってきていたのを肌で感じていた。しずくさん、別れは確かに辛いものよ。でもね、それは避けても何にもならないわ。自分から離れて、近づく相手を傷つけてまで遠ざけて、そうやって自分の殻に閉じこもっても、その時は楽でしょうけど。別れの後にきっと後悔することになるわ。幸い、あたしは相沢君のおかげで精一杯やったほうがいいんだって気づけた。もしあのまま、閉じこもっていて、そして本当に別れが訪れてたと思うと、ゾッとするわ」

 一度だけ、香里は祐一に目をやって、それからしずくと目を合わせて、語りかける。
 たとえ別れることになっても、精一杯やれば、きっと後悔はしないから、と。

「別れがいずれ訪れるからって、全てが無意味になるわけじゃあない。想いはそこにあるんだからな。それに、俺達は過去に生きてるわけでも未来に生きてるわけでもない、現在(いま)を生きてるんだぜ? 今できることを精一杯やらないでどうするって話さ」

 しずくは、俯いて、石畳をジッと見つめる。
 長い髪がパサリと降り、表情を隠す。

「今ってのは鷹のように自分の横をすり抜けていく。だけど過去は石のように重く沈んでいてどんなに頑張っても動かせない、未来はゆっくりと歩み寄ってくる牛のようで、届かないし、遅すぎてこちらが見つめてる間には決してこちらへたどり着かない。そんなことに感けてたら、現在(いま)を取り逃しちまう」

「別れは悲しいわ。けれどだからってその別れが訪れるまでの間をも悲しい時間にすることはない。ありきたりで、傍から見たら本当に当たり前、今更って思う考え方かもしれないけれど、当事者にとっては、それは何よりも心に留めておかなければならない考え方だと思うわ」

「そうかもね。別れが全てじゃない。別れの前にもできることはあって、それは別れなんかに負けるはずがないって、ことかしら」

 しずくが顔を上げる。先ほど問いかけるときに見せていた、重くのしかかる視線はなく、その表情はどこかすっきりとしたものだった。

「そういうことだ。でも、そんなことはとっくに気づいていたはずだろ? あんな歌を歌うしずくなら」

 そう言われて、しずくはハッとなった。先ほどの吹っ切れた表情とは違い。何かを不意に見つけたかのような表情。

「そう、そうだったわ。わたしは、もう見つけていた……」

 しずくが歌って見せていた綺麗な歌。それはしずくの、想い人への想いであり、そして精一杯の、相手への願いであった。
 別れても、今まで過ごした時間を幸福だと思えるように、精一杯頑張ろうと、そして別れた後も、想い人行く先に、幸のあらんことを望み、祈った。そのために、捧げた歌。

「忘れ物が、見つかったってところかしら?」

 香里は、しずくの表情から、彼女にどういう経緯があったのかを、少しだけ理解する。
 それこそが、彼女がここに留まっていた理由。

「ああ、確かにしずくは歌いたかったから歌ってたんだな。歌っていたことに理由はないんだな。歌は手がかり、理由は忘れ物を探すためで、その為にここに留まっていたってわけか」

「そうね。わたしもようやく思い出したわ。けれど貴方達も聡いわね。本人とほぼ同時に気づくだなんて」

「ふっ、俺ほどの男になればこの程度を悟ることなどわけないのさ」

「だったら、普段も気配りの出来る聡い男でいて欲しいわね、相沢君。日常の名雪たちをいじっている姿を見ているとお世辞にも聡明さを感じることはできないから」

「ぐ、善処します」

「ふふ、あは、あははは。やっぱり、面白いわね、貴方達」

 腹を抱えて、けれど声は控えめに、しずくが笑う。
 和やかな空気が流れ込み、思わず、祐一と香里も微笑んでしまう。

「……っはー、面白かった。さて、とっ」

 トンと、軽快に石畳を足で叩き、ステップを踏むように、しずくは本殿から鳥居のほうへと境内を走る。
 中ほど、最初に歌っていたところまで来ると、こちらを向いて、紫陽花のようにしっとりと穏やかに、けれど同時に向日葵のように晴れやかに、二律背反の不思議な雰囲気を持たせて、微笑む。

「お別れ、かな?」

 祐一が尋ねる。

「ええ、短い時間しかお話できなくて、残念だけど」

「いいさ。それに、しずくが忘れ物を見つけることができたんだ。むしろ喜ぶべきだ」

「そうよ」

「ふふ、ありがとう。本当に面白くて、優しい人たちね、祐一さん、香里さん」

「よし、親切ついでに。もう一つ、面白いものを見せてあげよう」

 そう言うと、祐一は後ろに手を回し、なにやらゴソゴソと手を動かす。
 再び前に持ってきた手に握られていたのは、一本の手持ちロケット花火だった。

「なんで、そんなもの持ってるのよ?」

「いや、うまくいけば、待ち伏せて北川達を脅かしてやろうかなーと」

「……やっぱり聡明さとは程遠いわね、相沢君」

「ちっちっち、ありふれたイベントをよりスリリングに演出してやろうという俺の気配りだよ」

「はいはい、で、それをどうするのかしら」

 心底呆れたこえで、香里は祐一に先を促す。

「いや、何、これからここを旅立つ、短い間ではあったが言葉を交わした友人に対する手向けの花束さ」

 そう言いながら、胸元のポケットからライターを取り出し、火を灯す。

「花火だから、花束ってこと? 洒落がきいてるわね」

 しずくがなるほど、と頷く。

「ま、相沢君にしちゃ上出来ね」

「どーも、香里は俺を酷評する傾向にあるようだな」

 文句を言いながら、祐一はライターの火を花火の導火線に近づけ、火をつけた。
 シュワァと音を立てながら、導火線が短くなり、やがて火が本体へと辿りつく。
 ポン、という軽い音と同時に、光の弾が上空へ上り、しばらくしてから上空で弾け、小さな花を咲かす。
 光の弾は断続的に上げられ、空に次々と花を咲かしていく。

「ま、ちと派手さには欠けるが、我慢してくれ」

「ううん、嬉しいわ、本当に、ありがとう。最後に貴方達に会えて、本当に良かった」

「俺も、しずくに会えて良かったよ」

「あたしもよ。久しぶりに、今を生きるってことを再確認できたしね」

 やがて、しずくの足元から淡い光が立ち上り、次第に彼女の全身を包んでいく。
 花火の光に負けるか負けないか、それぐらいの淡い光の中、しずくは穏やかな顔で佇んでいる。
 驚くべきことが起こった。十歳ごろの容姿をしていたしずくだったのだが、光に乗じて身長が伸び、体型が丸みを帯び、どんどんと大人へと成長していくではないか。
 やがて、祐一たちよりも少し上ぐらいの年、大人の色香が充分に纏ったところで成長が止まる。

「ありがとう。そして、さようなら」

「さよならだ」

「さようなら」

 そして、しずくはニコリと微笑むと、自らも淡い光となって、空へと登っていった。
 神社に、元の空気が戻ってくる。先ほどまでは不思議と気にならなかった暑さが、全身に纏わり付いてくる。
 鈴虫の鳴き声と、木々のざわめきも、かすかに聞こえる。

「……俺達より、年上だったんだな、しずく」

「そうね」

「年上相手に偉そうに説教しちまったわけか?」

「かもしれないわね。けれど間違ったことを言ったつもりはないし、結果的に彼女にとっての切欠になったんだから、いいじゃない」

「そうだな」

 さっきの答えは、祐一の中にある真実だ。だから、それを胸を張って堂々と言ったことは間違いではないのだ。

「さ、さっさと蝋燭とって帰りましょう? 時間がどれくらい経ってるかは知らないけれど、早く戻らないと心配するわ」

「だな。で、蝋燭はっと」

「あそこよ、賽銭箱の横」

「お、ホントだ」

 蝋燭を見止め、拾いに行く。
 歩き出すと同時に、ポケットから取り出してみた携帯電話の画面には、出発地点を出発してから二十分ほど経っていることを示していた。
 片道が、五分程度であるから、体感していた時間より、実時間は経過していなかったようだ。
 蝋燭を取り付けてある皿ごと拾い上げ、ライターで火を点ける。

「さ、行こうぜ」

「ええ」

 そうして、二人は友人達の待つところまで戻るべく、境内を歩き出す。淡い月明かりが足元を照らし、手に持った懐中電灯が少し前を照らす。

「でも、相沢君って思ったより詩人よね」

「ん、なんでだよ?」

「だって、彼女の問いかけに答えてたときの言葉、普段なら真面目に聞いてられないわよ、クサくて」

「ああ、まあ、自分でもよくあんな言葉がスラスラでたと思うよ。けど」

「けど?」

「きちんと、自分の想いが伝えられたから良いんだよ。歌だって、その歌詞は普段口にしないような言葉を並べてるだろ? あれと同じさ」

 自分の中の想いを、形にして汲み上げたなら、それを言葉にして相手に伝えたならば、普段よりも、特別な言葉で綴られる。
 歌も、真摯な想いを、特別な詞で模るように。

「そう、かもしれないわね。うん、納得するわ、貴方のその考え」

「だろ?」

「ええ、ホント」

「ただ……」

「何かしら?」

「他のやつには言うなよ、あんなセリフ言っただなんて。流石に他のやつに知られるのは恥ずかしい」

「さーって、どうしようかしらねー」

「な、香里、お前っ」

「ふふ、冗談よ、さ、行きましょみんなのところ。そして楽しみましょ、現在(いま)を」

 先ほどの一時を引きずるような、特別な言葉。祐一は一瞬呆気に取られながらも口元に笑みを浮かべ、頷く。

「ああ、行こう。香里」

 やや早足で、友人達の元へ帰る二人を、夜空だけが、時を刻みながら見つめていた。









 あとがき


 アポロです。
 夏が舞台、ということで安直に旅行→肝試し→幽霊という流れをやりました。
 ちなみにタイトルは天野月子の『(こえ)』より。『零〜刺青(しせい)(こえ)〜』っていうホラーゲームの主題歌にもなっており、そこから幽霊を話に持ってきてます。
 歌もこう何か心の隅からスッと忍び寄り、染み渡るような感じがしてグッドです。ジャンル的にはロック。他の曲も良いので興味がおありでしたら是非。