それは、夏まであとほんの少しの物語。
『Happy Tomorrow』
「ふう、いいお湯でした〜」
タオルを首にかけてリビングにやってくる風呂上りの栞。
なぜかしぐさはちょっとおっさんくさい。
そのまま冷蔵庫の前まで行くと、まるでルーチンワークのように冷凍庫からカップアイスを取り出す。
スプーンを取ると実に嬉しそうな顔で、ダイニングのテーブルにやってきた。
「栞、いいの?」
そんな栞に読んでいたファッション雑誌から視線を外さないままの香里が声をかける。
「えう? 何がです?」
今、まさに口元に持っていこうをしたスプーンを止めて姉に問う。
「栞も相沢君達に海に誘われてるんでしょ?」
ぱらりとページをめくる。
そこには『今年の新作水着! これで決まり!』などのあおり文句が舞っている。
「えへへ。そうなんですよ〜 海は久しぶりなんで来週が楽しみです〜」
幸せそうな顔でえへへ〜と笑う栞。
「……そうね。あ、そうだ。明日は日曜だし、水着買いに行こうか?」
そんな栞を見てちょっと苦笑した香里は、ふと視線をずらすとカレンダーを見ながら栞を誘う。
「わ、やったぁ。お姉ちゃんも新調するんですか?」
「まあ、ね」
あだるとな水着で祐一さんを悩殺です〜 などと、無謀なことを言う妹を生暖かく見守る香里。
何気にひどい。
「……で、何なんです?」
「え?」
「さっきの『いいの?』ってやつ。何のことなの?」
「ああ、ソレよ」
栞の手元のカップアイスを指す。
「……アイス。ですか?」
スプーンの刺さったカップを見て小首を傾げる。
「脂肪のかたまり」
「えう!」
何かに打ちぬかれたようによろめく栞。
「だ、大丈夫です。この前体重計を見たときには……」
「それっていつのこと?」
「……一ヶ月前です」
「量ってみましょう」
「えう!?」
まるで魔法のように香里の手元に現れる体重計。
「い、いやです……って、あれ? いつものじゃない」
「実はね。新しい体重計を買ったのよ」
「な、なんでわざわざそんなものを。お姉ちゃんは悪魔ですか!」
「仕方ないじゃない。壊れたんだから」
沈黙。
「……もしかして昨夜、お風呂でおねえちゃんが奇声を上げていたのと関係ありますか?」
「無いわ」
「でも!」
「無いわ」
「で、でも……」
「無いわ」
「……りょうかいしました。かんけいありません」
かくかくとロボットの如く頷く栞。
「よし」
ふるふると子犬のように震える妹を満足げに眺める姉。
「さ、乗りなさい」
足元に体重計を置いて栞を促す。
「だ、大丈夫のはずです。栞、自分を信じて……」
怪しい自己暗示をかけながら目を閉じて、そっと体重計に足を乗せる。
めまぐるしく変化するデジタル表示に一喜一憂。
わずかな沈黙の後、表示は決定される。
「……わ、前のときと同じです」
恐る恐る目を開けた栞がその表示にほっと胸をなでおろす。
「ど、どうですか、お姉ちゃん。問題無しです! って、お姉ちゃん?」
しかし、姉はそんな妹を無視してしゃがみこむと体重計のあるボタンを押した。
「……」
「な、なんです? 何を見てるんです!?」
ふう、とため息をつくと、やれやれと首を振る姉。
「その反応は何!? 何なのってば!」
「……これはね。体脂肪率も表示してくれるのよ」
「体脂肪率!?」
「ちなみに女性の標準は20〜25未満と言われているわ」
「……で、私の表示は?」
「……」
「……」
「……」
「……」
黙って姉からの答えを待つが、香里は黙して語らない。
そんな長い沈黙に、栞が耐え切れなくなった頃。
ゆっくりと立ち上がった香里が栞の耳元に何かを囁く。
「えう!?」
直後、アッパーカットを食らったかのようにのけぞる栞。
そのままダウンしそうな勢いだ。
「ダ、ダイエットです。海に行くまでに何としても!」
ぐっとスプーンを握り締めて燃え上がる栞。
「とりあえず、このアイスを食べてから!」
その成功率は限りなく低そうだが。
「……ダイエットって一人でやると挫けそうなのよね。いい仲間ができたわ」
小さく呟く、何気に黒い香里だった。
「わ、わ。いっぱいあります〜」
水着売り場であわあわと緊張気味に周りを見回す栞。
昨日の約束どおり、香里と新しい水着を買いに来たのだ。
「え、えっと。コレにします!」
手近な水着を掴むと高らかに宣言する。
「こらこら、そんなに慌てないの」
栞の頭に手を置いて苦笑する香里。
栞の手に握られているのは豹柄のビキニ。冒険が過ぎますよ?
「いろいろと見てから決めましょ。ちゃんと似合うやつ選んであげるから」
そう言うと栞の手を掴んで歩き出す香里。
「えう!? ち、ちょっと待つです。お姉ちゃん! いろいろな意味で!」
姉の目線の先を見て抵抗を試みる妹。
その目線の先は子供コーナー。
「どうかしたの?」
何か問題が? とばかりに首を傾げる香里。
自分の行動に何の不思議も感じてないようだ。
「って、どういう意味ですか!」
香里に掴まれた右手はそのままに左手をぶん回す。
「? ああ!」
栞の手を外してぽんっと両手を打つ。
一方の栞も、やっと分かってくれたのか。と胸をなでおろす。
「お姉ちゃんと行くのが恥ずかしいのね?」
「違います!」
「大丈夫、お姉ちゃんは平気だから」
「何がですか!?」
全力で抵抗する栞。
「い、いいですか。私にあそこに行けというのはあまりにも酷なことだとは思いませんか?」
姉の拘束を振りほどいた栞は頬を膨らませて抗議する。
「そんな天野さんみたいなこと言われても……」
「なぜ、そこで苦笑しますか! しょうがないなぁ。みたいな顔をしますか!」
じたんだを踏む栞。はたから見るとかなり面白い。
「もういいです! 自分で選びます!」
香里に背を向けると肩を怒らせて奥へと歩き出す栞。
「やれやれ」
肩をすくめて両手を挙げる香里。
それ、決めゼリフです。
「さて、今日水着を買ってきたわけだけども」
二人の手にはデパートの紙袋。
「ちゃんと、ワンサイズ小さいの買った?」
こくっと頷く栞。
「よし! このサイズを目標にダイエットよ!」
「お、おー」
気合の声を上げる香里に釣られて手を振りかざす栞。
「ん、ピッタリ。うまくいったわ」
黒のビキニとせくしーな新しい水着を身につけご満悦の香里。
ダイエットもうまくいってご機嫌のようだ。
「……」
一方、白いセパレートの水着を身につけ、無言で自らの胸に手を当てる栞。
なぜか胸の部分には余裕がありそうだ。
結局栞は、さらにワンサイズ小さいものを買いなおす羽目になった。
ダイエットに成功したが胸だけ痩せた。という事実とは関係ない。と思いたい。切実に。
「なんでなんですかー!」
おわれ。