Timeless / Goldie at Timeless



 枕元から億劫な気持ちと片手を伸ばしてリモコンを取った。あまり手ごたえの無いゴム製のキーをいじって、入れっぱなしだったCDを再生。じんわりと地面の傍を這うように流れていくオールド・ロックを聴きながら、天野美汐はうんざりな気持ちで寝返りを打った。
 外は雨。つられて室内の湿気が上昇。どこへ行っても纏わりついてきそうな空気がイライラするので、タオルケットを力いっぱい手繰り寄せるとそれを頭から被った。
「専横か」
「起きてたんですか」
「つめてえー」
「はいどうぞ」
 隣からの苦情に笑い返して、美汐は全身を覆っていたタオルケットの半分ぐらいを投げるように広げてかけてやった。相沢祐一はそれを受け取ると、上半身に少し巻き付けるようにして身を捩りながら、背を向けている格好の美汐に寄る。
「外は?」
「雨です」
「雨女ー」
「……」
 上掛けの下で片手を捻り、祐一の腕のあたりをつねる。
「痛い痛い」
「傷付きました」
「だって美汐が企画するとかなりの確率で雨だし」
「なんででしょうね……」
 心底不思議そうな声を上げる美汐の癖っ毛に手を入れて、祐一は笑う。
「まあ梅雨だし、しょうがないだろ」
「はぁ……」
 この日、本当は共に午前中だけ外出する予定だったのだが、生憎の天気である。それを朝のうちに美汐が確認し、不貞寝、現在に至るといった所だ。
「雨が嫌いになりそうです」
「まあ俺も好かないけど」
「洗濯物は乾かないですし、食べ物は駄目になりますし」
「生活レベルの話ばっかだなぁ美汐は」
「大事な事ですよ。祐一さん昨日テーブルにあったおはぎ食べたでしょう。あれ、危ないと思いますよ」
「マジか」
「何か食べたければ言って下さい。作りますから」
「いや悪いじゃん」
「悪くないです」
「そう?」
「はい」
 ふーんと嬉しい気持ちを誤魔化すように呟いて、祐一は再び美汐の髪に手を入れた。この抵抗感が、祐一に言わせればたまらないのであるが、美汐は特にこの季節ボリュームアップしてしまう自身の髪質が嫌で仕方が無い。髪質だけで言えば、余程祐一の方が女性ホルモンが多いと言えた。事実、美汐はちょっと嫌そうだ。
 週末である。学校も無ければ、この雨では取り急ぎやることもない。あまり自堕落な生活をするのは好まない美汐をして、ベッドの上でゴロゴロを容認する程、場の空気はかったるかった。
「みっちー、昼何食う?」
「誰ですかそれは。昨日のご飯が残ってますけど」
「じゃあ俺がチャーハンを作ってやろうみっちーに」
「誰ですかそれは。あんまり辛いのは嫌ですよ」
「グゥレイトォ! 豆板醤だけは多いぜ!」
「やですってば」
 ずっと背を向けていた彼女が、半身を翻して本気の目で抗議をしてきた。過剰に辛い物を食べるとパニックを起こす彼女に、祐一は1度全力で愛情溢れる苛めをした事がある。機嫌を取るのに随分と時間を要したが、ともあれそれ以来美汐の辛い食べ物に対する警戒心は特殊部隊のそれに近かった。
「じゃ、ささっと起きて準備するかー」
「そうですねぇ」
「……」
「……」
 微動だにしない2人。沈黙を雨のしとしとという音が埋める。
「じゃ、ささっと起きて準備するかー」
「全くもってその通りですねぇ」
「……」
「……」
「じゃ、ささっと起」
「ですねぇ」
 あらゆる部分が短縮されながらの無駄な応答である。相変わらず場の空気はかったるい。
「ダリーのか」
「はぁ」
「珍しい。常に淑女たらんとする物腰上品な貴女にしては珍しい」
「なんだか、雨も降ってますし、体の調子が」
 言いながら上掛けの下で片手を捻り、祐一の腕のあたりをつねる。
「痛いって! まだ何も言ってない!」
「では何を言うおつもりだったのか原稿用紙5枚に纏めて提出して下さい」
 欠伸をかみ殺しながらそんな事を言う辺り、彼女は本気で調子が悪いらしい。
 少し心配になり、上体を起こして顔を覗き込んだ。顔色は、悪そうには見えない。というよりも、元々色白なのではっきりと顔色に「辛いのです」とは出ないのが天野美汐であった。
「大丈夫か、割と素で」
「はい」
「即答するな、ちゃんと答えろ」
「……」
「……」
「はい」
「もう駄目だ」
「何故ですか」
「いや……ダリーってんなら良いんだけどね。俺はこういう方が楽だしー」
「でしょう。そういう気遣いです」
「嘘吐け」
「はい」
 祐一はベッドの上でジタバタした。こんなに面白い天野美汐は酔った時以来である。
「なんですか鬱陶しい」
「鬱陶しいとか言うな、面白すぎるぞ天野」
「まあ、そういう日もありますよ相沢さん」
 かつての呼び名でお互いにクスクスと笑い、祐一もまた、所定の位置に戻ってかったるく横たわる。
 風が出てきたのか、雨のいくつかが窓にぱらぱらと当たる音が聞こえ、なんとなく揃って閉じたままのカーテンに目をやる。
「まあ、面倒臭いから昼はもっとあとでいいか」
「夕方ぐらいのお昼ご飯が良いですね」
「わーいもう昼じゃねえー」
「緯度経度によってはお昼です」
「そんな屁理屈聞きたくなんてないもん」
「もん、という語尾は、少女が用いて初めて響き通りの柔らかさを持つと思うのです」
「よし、頼んだ」
「お断りします」
「実は飲んでるだろ美汐?」
「飲んでません」
 再び体を起こし、先と同じように心配そうな顔を作ってやると、美汐はタオルケットで顔を隠してそう言った。なんとなく愛らしいと思う彼女バカ一代。
 体を起こしっ放しだった祐一を、美汐は上掛けの隙間から両手を出して押し倒した。
「なんだ」
「いえ、寝てて下さい」
「何故に」
「いえ、寝てて下さい」
 言って、美汐は祐一に覆い被さると唇を奪い去った。正に奪い去ったと表現するに相応しい。
「なんだ急に」
「あと2分でいいです」
 そんな物言いも、先からの前振りによる不思議天野の一環かと思いきや、ここへきて時刻を示唆された事により、祐一は大変な事を思い出した。昨晩は彼女を隅々まで冒険してしまった為に疲れた体と頭ではあったのだが、彼は大事な予定を思い出したのである。
 即ち、午後2時からの大学ゼミ仲間との会合。これは随分前から決まっていた事なので、故に美汐と今日外出するとしても午前中だけという予定だったのだ。
 首だけを動かして壁の時計を見やる。薄暗い室内でぼんやりと輝くのはLEDのデジタル壁掛け時計。紛うことなくそれは「PM 1:58」を表示していた。
「キャー!」
「どうしたんですか生娘のような叫び声を上げて」
「なんて下品な例えを! じゃなくって、超遅刻じゃないか俺!」
 祐一の弁を疲れた顔で無視すると、美汐は再びリップをスチールしにかかった。されてしまうと、祐一としても強制的に彼女を押し返すことは出来ない。何故なら彼は彼女バカ一代。
 きっかり2分、美汐は祐一と唇を重ねたままでいた。
「はい、結構です」
「うう……まるで強姦だわ……」
「時間切れですね。さ、眠りましょうか」
 体と腕を伸ばして祐一の携帯を取り電源を落とすと、美汐はニコニコと笑って再びベッドに沈み込んだ。
 そもそも、恋人との外出を途中で切り上げて友達に会いに行くとは何事であるかと美汐は思うのである。おまけに午前中の予定すら雨によって中止だ。これはもう、祐一を強制的に監禁するしかないと心に誓ったのが、今朝方午前7時の事だった。
 時間切れになった今、諦めの境地に達した祐一は、それでも笑って美汐の髪に手を入れた。今度は、美汐も嫌そうな顔はしなかった。

[END]