「なあ冥介。”シンデレラ”って――どう思う?」
いい歳した男二人の飲み会で、どのような経緯を辿ってこのような話題に行き着いたのか、もう憶えていない。発言をした当の熊先輩からしてどこか焦点の定まらない目をしているあたり、お互いに相当酔いが回っている証拠だ。空いた缶の数を数えてみれば、我な
がらリーズナブルな体質だと思う。
時刻はとうに深夜。
最終バスの時刻に帰り損ねた時点で、僕の運命は決していた。
「おい、ちゃんと聞いてるのか?」
先輩は缶のプルタブを引き開けると、中身をぐびりと呷った。
まだ飲む気なのか、この人。
当然のように僕のところにも一缶回ってくる。
「……えー、もちろん。心温まる御伽噺について、ですね」
仕方なく、プルタブに指をかける。
「馬鹿を言え。シンデレラが白雪姫の継母も及ばないぐらいの腹黒だって話だ」
……それは初耳。スキージャンプ級の飛躍だ。
「あ、信じてない。信じてないな?」
「それ、きっと”ツンデレラ”とかの間違いですよ」
ちょっと可哀想な人を見る目。
「阿呆。正真正銘、”シンデレラ”の話だっ!」
テーブルに叩きつけられた缶から少量、ビールがこぼれた。
存外真剣な瞳。
どうやら冗談や戯言の類でもなさそうだ。
だとしたら、何を根拠に?
”シンデレラ腹黒説”、ちょっと興味が湧いてきた。
聞くだけ聞いても損はない。
姿勢を正す。
「もちろん、根拠はある――」
なかったらただの法螺話だ。
「なあ冥介。お前さん、”シンデレラ”のラスト、不思議に思ったことはなかったか。どうして12時を過ぎたのにガラスの靴だけ消えなかったんだろうって――」
あ……。
そんなこと――考えたこともなかった。
また一口呷って、先輩は言う。
「な、不思議だろう? ドレスは12時過ぎて消えてしまったんだ。だったら何故、ガラス
の靴は消えない?」
御伽噺と看過していた部分。
そこにこんな落とし穴が。
「こう考えれば辻褄は合う。あのガラスの靴は魔法の産物ではなく、シンデレラの私物だった」
……なかなかに刺激的な仮説だ。
しかし、それだと大きな疑問が残る。
「それでは、どうして一般階級の娘に不釣合いなガラスの靴がシンデレラの手元にあったんでしょう?」
実用性に乏しいガラスの靴は本来なら貴族や王族の嗜好品であると考えられる。
「まさか盗んできた物だとでも?」
「もちろん違う。”シンデレラ”の展開を思い出してみろ。国中の女にガラスの靴を履かせてシンデレラ以外にぴったり合った女がいなかったんだぞ。だとすれば、もともとこの靴はシンデレラのために誂えられた物と考えるしかないじゃないか」
なるほど。ただの酔いに任せた戯言でもなさそうだ。
「それでは、結局、ガラスの靴の入手経路はどこなのか。一般階級の娘が貴族や王族と出会う機会が乏しいことを考えると、靴を作った職人から直接贈られたのではないかと考えられる。――いいか。ここからが大事だぞ」
先輩は試すように一息措いてから、続けた。
「足にぴったりなガラスの靴ともなると正確な足のサイズが必要になる。直接これを測れたことからも、この二人がかなり親密な仲であることは疑いない。シンデレラと靴職人は――恋人同士だったんだ。」
喉の渇きを癒すようにまた一口。
恋人がいながら王子との出会いを求めて舞踏会に参加したがるあたり、シンデレラはただの純情な娘ではあり得ない――とも、先輩は付け加えた。
あ、だとすれば――。
ふとした思い付きが口をついて出た。
「そうだ。姉たちに舞踏会へ連れて行ってもらえなかったのも、恋人がいる身を妬んでのことだったのかもしれない」
「お、冴えてるじゃないか。そいつは気づかなかった。――な、このあたりで既に”シンデレラ純情説”は怪しくなってきただろう?」
深読み誤読の屁理屈だって理屈のうち。
いやはや、面白くなってきた。
当然、これだけで終わるはずもない。
「さあさあ。それではそろそろ最大の疑問点に取り掛かるとしようじゃないか!」
先輩は、揉み手をするようにして楽しげに告げた。
「何故シンデレラは、わざわざ自前のガラスの靴を履いて舞踏会へ出かけたのか?」
通常ならば魔法使いに用意してもらったそのままの格好で出かけるはずだ。
しかし、シンデレラはそうはしなかった。
12時を過ぎてガラスの靴だけが残ったことがそれを証明している。
この謎を解くには魔法の靴と本物の靴の違いを明白にしなければならない。
それならば、考えるまでもない、か――。
頭に浮かんだ考えをそのまま口にした。
「魔法で出した靴は12時になってしまえば消えてしまう」
僕の言葉を引き取るように、先輩は続ける。
「――そして、それでは王子の手元に自らの証を残すことができないから、だ。だからシンデレラは自前のガラスの靴を履いて舞踏会に出かけたんだよ。――すべては王子を籠絡するため。このことは、舞踏会で靴が脱げてしまったことからも証明される」
「たまたま脱げてしまったという可能性は?」
「誂えたようにぴったりのガラスの靴だぞ? そうそう簡単に脱げるものか。わざと脱いだのでもなければな」
「…………」
ここまで言われると。
物語内のドラマチックな展開はすべてシンデレラの計略によるもの――。
不思議とそんな気がしてしまう。
しかし、まだ疑問点がないわけでもない。
「シンデレラにとって魔法使いの登場はまったく予想外の出来事です。本来なら舞踏会に参加できなかったシンデレラにそんな計画を立てられたはずがないんじゃないですか?」
「それこそシンデレラの恐ろしさを示す証拠じゃないか」
ふ、と鼻で嗤った。
「魔法使いという想定外のファクターを取り込んで臨機応変に計略を組み立てた大した策略家だよ」
「そもそも舞踏会で自分が王子の目にとまる保障はなかったのでは?」
「大した自信家だろう? 自分の美貌なら間違いなく王子を籠絡できると確信していなければ、このような計画は立てられない。この点からも、シンデレラの恐ろしさの一端が垣間見える」
「それだけの自信があるなら、わざわざそんな回りくどい計略を組み立てた理由は?」
「着ているドレスが普通の物であれば自らの美貌だけで勝負していたはずだ。計略に頼らざるを得なかったのは、ドレスが魔法による物であったため。12時以降まで王子の前にいて突然魔法が解ければ王子を幻滅させてしまう。しかし、国中を探し回ってようやくの発見というドラマチックな演出の後ならば、正体を明かしても演出効果で誤魔化せると判断したんだな」
「…………」
滔々と流れ出す理屈に、ついに僕は言葉を失った。
「結局、王子はそれと知らずシンデレラの策略に嵌まり、シンデレラは無事后の座に収まったわけだ。――さあ、これにてQ.E.D.」
シンデレラ。
からくり仕掛けの出会い。
この人、本当に法螺話の大伽藍を完成させてしまった。
感心するやら呆れるやら……。
一仕事終えてひとしきり満足げに笑った先輩は。
男って馬鹿だよなあ……と、しみじみと呟いた。
ええ、まったく。
心の中で盛大に頷く。
先輩は缶の残りを一気に呷ると、くしゃりと潰して放り投げた。
空き缶はからんと鳴って山の一角に収まる。死屍累々の骸の山だ。
呆れて見つめる僕の瞳をどう勘違いしたのやら。
「心配するな、まだまだあるぞ」
言って先輩はまた一つ、缶に手を伸ばした。
夜は――まだまだ長い。