久々に生きた人間を見た。その人は鉄筋が所々、突き出しているコンクリートの瓦礫の上で赤く輝く西日を背に踞っている。僕は引き寄せられるようにその人の元に歩を進めた。近づく内にその人は小柄で長い髪をしているのがわかった。もしかしたら、女の人なのかも知れない。更に背には体の大きさに不釣り合いな程、巨大な剣を背負っている。どうやら、アレがあの人に押し付けられたもののようだ。僕はその人にどんどん近づいて行く。と、顔を伏して踞っていたその人は僅かに体を動かしたかと思うと音もなくその場から消えた。一瞬、呆気に取られて、動きを止めた僕は即座に体を反転させながらホルスターに入れていたもう腕の一部のようになった大型拳銃を引き抜き、左手で構えた。
「……やぁ、こんにちは。いや、もう『こんばんは』かな?」
銃口の先には先程まで瓦礫の上で踞っていた人がいる。その人の剣の切っ先は僕の首に触れていた。その人の身のこなしに僕の心は感心に絶えなかった。
「あんた……何なの?」
それと僕の予想は外れていた。その人は女の人ではなかった。女の子だった。
「何なのって、言われてもなぁ……」
僕は苦笑しながら、敵意剥き出しで僕を睨み付ける女の子を見た。まず膝近くまで真っ直ぐ伸びた髪が目に付いた。顔や服が汚れているのに何故か髪だけが艶のある黒色をしている。その顔もまだあどけなさを残しており、どう贔屓目に見ても中学生、下手したら小学校の中学年程度だ。
「笑ってないで答えなさい! あんたは一体何なの?」
その女の子は僕の態度が気に入らないらしく剣を握る手の力を少し強くした。僕は自分の首筋から血が僅かに滴り落ちるのを感じた。どうやら、この娘は僕を敵と認識しているらしい。僕は人と殺り合いたくなかったからなるべく刺激を与えないように銃を降ろし、穏やかに話し始めた。
「久しぶりに人に出会えたから、挨拶でもしておこうと思っただけだよ」
「……どうだか」
女の子は目で全く僕を信じていないと言っているのが容易にわかった。僕は溜め息を吐いて、もう一度自分に敵意のないことを話そうとして止めた。感じたのだ。世界がこうなってから毎日毎日僕を生と死の狭間に叩き落とす最悪な感覚を。僕は体をゆっくりと振り返った。今にも沈み行こうとしている夕日の光を全て遮るように無数の影が飛んでいた。
「ごめん……ちょっと待っていて」
僕は女の子をその場に残し、影達の群の方にゆっくりと歩き出した。
「っ! ま、待ちなさい、何処に行くのよ?」
僕の言葉に驚いたのか、女の子は慌てて僕に尋ねた。
「……あいつらを倒しに行く、話の続きはその後にするから、君はそこで待っていて……」
「……」
僕は降ろしていた銃と、右腕で後背に吊していたもう一つの銃をその影の群に向けた。
「……お前ら……」
僕の心の中には憤怒と憎悪の念が湧き立っている。余りにも理不尽なこの運命に。それを課した者に。そのやり場のない負の感情を僕は目の前の影達にぶつけた。
「全員……殺す……っ!」
僕たちに襲いかかろうと迫っていた影達は、危険を察知して散開し始めた。僕はそんな連中の徒労を嘲笑しながら、トリガーを引いた。影達は次々と音もなくバラバラに四散していく。その銃火は途絶えることなく何十発、何百発も球体に腕を付けただけの姿をした影達を駆逐していった。
その内、十数体が固まりながら、僕に突っ込んできた。それは何体も脱落しながらも、その塊は確実に僕に迫って来る。そして、とうとう最後の一体が無傷のまま、僕に近づくことに成功した。そして、全面に切れ込みが入ったかと思う間もなく裂けて、中から巨大な牙を出しながら僕に襲いかかった。しかしその牙は、僕を捕らえることなく空しく空を切っただけであった。影は慌てて上空に飛び上がり、周囲を見回した。僕はその様に笑いをかみ殺しながら銃口を影の脳天に付けると連続的に引き金を絞った。
僕は落下しながら、体を回転させて銃を連射した。隙が出来たと思い迫ってきた影の群はことごとく粉々に打ち砕かれた。苦もなく体を反転させて地面に着地した時には僕の周りには、無数の影の残骸が散らばっていた。それを軽く一瞥を投げるとまた先程の女の子の所に行こうとした瞬間、背後から轟音が鳴り響き、砂塵が舞った。振り返るとそこには見上げる程に巨大な影がそびえ立っていた。
首のない人の形をした巨大な影は右腕を振り上げるとその巨体から想像出来ない程の速さで僕に向けて振り下ろした。咄嗟に跳び去った後の地面にはその重量と衝撃波で大量の土砂が抉り取られ、クレーターが形成されていた。影は続けざまに両腕を振り回して僕を攻め立てた。僕はそれを紙一重でかわし続けながら、影の右肩の関節の一転に集中して撃ち続けた。そこには若干の亀裂が入り始め、一発撃ち込む度に亀裂は広がっていった。影はそれにも構わず執拗に攻撃してきた。
やがて、もう少しで影の右肩が砕けようとしている段階の時に思いもよらぬ事が起きた。着地した地面が朝方まで降っていた雨でぬかるんでいたのだ。僕は足を取られ、そのままバランスを崩して倒れてしまったのだ。そこに巨人が右腕を大きく振りかぶり僕に殴りかかった。僕は倒れた体勢のまま、影の亀裂を広げていった。しかし、向こうの肩が砕ける前に奴の拳が僕に到達する方が早いようだ。
僕はそれが自分の身体を叩き潰すその時まで抗い続けた。
否、抗い続けようとした。しかし、その時は永久に訪れなかったのだ。
巨大な腕は肘の先が斬り飛ばされ大きく弧を描きながら、その勢いのままぬかるんだ大地に深々と突き刺さった。
僕は呆気に取られながら、目の前にいる小さな影を見つめた。その小さな身体に鉄塊としか呼べそうにないくらい大きな剣を肩に担ぐように構えたその影はこちらに振り返った。
「あんた! 大丈夫!?」
その声にはきつい部分があったものの先程のような露骨な敵愾心は感じられなかった。
「……大丈夫……だけど」
僕は起き上がりながら、女の子の質問に答えた。すると女の子は一瞬、微笑を浮かべたように見えたがすぐにまた元に戻り影と対峙した。僕も銃を構え直しもう一度戦おうとするのを彼女は左手を出して制した。
「あんたの戦い方はあいつには不向きよ。下がってなさい。こいつは私が倒してあげる」
「え……? でも、」
僕が何か言おうとするのを彼女は遮った。
「いいから、見ていなさい」
そう言うと彼女は剣を両腕で構え、影と向かい合う形を取った。影の方も右肘から先を失いながらも胴体の部分から単眼を出して女の子を睨み付けていた。しばらくその状態が続いたが影の方が先に残った左腕を女の子に向けて振り下ろした。すかさず女の子はそれを剣で受け止めた。女の子はその小さな身体からは想像出来ない力を発揮して、巨大な影の一撃を受けきったのだ。
「ふん、その程度?」
間髪入れず女の子は剣を動かし、影の左腕を上に受け流し、一歩踏み込みながら剣を下から一気に薙ぎ払い左腕を斬り飛ばした。
「私の……」
女の子は大地を蹴り上げるとそのまま両腕を失い悶え苦しむ影に飛びかかりながら、剣を頭上に大きく振りかぶり、
「勝ちだ!!」
一気に振り下ろした。
女の子が着地して、影に背を向け、剣を背中に巻き付けた鎖に納めて僕の方に歩き始めた瞬間、影は音もなく左右に引き裂かれながら、その巨体を地面に横たえた。
今にも地平線に沈み行こうとする太陽の赤い輝きを背に受けて彼女は僕に歩み寄って来るその少女の姿に僕は世界がこんな事になってから初めて美しいという感情を抱いた。
「あっ!?」
ある程度近づいた時にその女の子が突然大きな声を上げ、僕の元に慌てながら駆け寄り、
「あんた、その傷大丈夫?」
僕の首筋にそっと触れた。彼女と対峙した時に出来た切り傷は思いの外深く、流れ出た血で襟元が赤く染まっていた。
「あぁ、傷口大きいなぁ。やっぱり、振り返った時に広げちゃったんだ」
彼女はそう言いながら、胸元から真っ白な包帯の束を取り出し、僕の首に巻き始めた。
「あ……大丈夫だよ。このくらいならすぐに止まるし」
「駄目よ。そのままにしておくと、私の気が収まらないの!」
僕は仕方なく彼女のやりたいようにやらせた。
……真剣に僕を手当てしている彼女の姿を見ていると不覚にも健気で可愛いという感情が芽生えてしまった。……より正確に言うと、生まれて初めて萌えてしまった……。
「ところで、さっきは何であんなに僕を敵視したの?」
満月が煌々と夜の大地を照らしている中、僕と彼女は焚き火をしながら肩を並べながら先程二人で捕まえたばかりの鼠と僕の持っていた乾パンで夕飯を食べていた。その中でふと思い出した疑問を彼女に尋ねた。彼女は夢中で鼠の丸焼きにかぶりついていたが僕の質問を聞くと顔を僕に向けた。口の周りを肉汁や油で汚しているその顔は見た目の幼さをより一層際立たせている。
「あぁ、あれ? 別に気にしないで。いつものことだから」
「? いつもの?」
「うん。ほら、私って見た目こんなだから、馬鹿な奴らがよく来るのよねぇ。でも、あんたが初めてだったわ。私と対等に渡り合った上に首筋に剣当てられても平然としてたの」
少女があっけらかんとしながら話す内容を聞きながら、僕は首筋に巻かれた包帯を撫でながら自分の無神経さに嫌悪した。この世界になってから、男女比率は8対2程にまで激変している。そんな状況下で女性は希少なはずだからどうしてでも手に入れたいと思う男はたくさんいるに決まっている。恐らく彼女はそんな男達の欲望とエゴに苛まれ続けていたのだろう。だから、彼女はその愚かな感情を打ち砕く程の凶悪な殺気と技量を持つようになったのだろう。そこまで彼女を追いつめた運命を憎みながらも、僕は新たな疑問が生まれた。
「じゃあ、何で僕にはこんなに友好的なの?」
「馬鹿だったから」
「へっ? 馬鹿?」
少女が笑いながら言った言葉に僕は情けない声を出した。それが可笑しかったのか少女は堪えきれず笑い出した。
「あはははは。だってそうでしょ? 普通、あの時は影と戦わずに逃げるものなのよ。それをあんたは私のことほっぽり出して、倒しに行くんだもん」
「あれ? 皆、武器持ってないの?」
「そりゃあ、この世界になってからは一人に一つずつ武器は持っているけど、好き好んで戦う奴なんて、自殺志願者か馬鹿しかいないわよ。でも……」
彼女は笑うのを止めると真剣な表情を浮かべながら、僕を見つめた。
「嬉しくもあったわ。私以外にもあいつらと戦う奴がいる。私以外にもこの理不尽な運命に怒り、抗い続ける奴がいる。そいつが今、目の前にいる。それがわかった時、世界こうなってしまってから初めて心の中に歓喜の念が湧き起こったの」
次第にその表情は明るく柔らかい年相応の笑顔に変わっていた。
「それに私とあんたは結構いいコンビかもよ」
「? どういう事?」
「あんたは一度に複数の敵を相手することが出来るけど、さっきみたいな大きな相手だと苦戦とまではいかないにしろ倒すのに時間がかかる。私は大きな敵でも簡単に倒せるけど、一度に大勢の敵と戦うには不向き。だから、二人で組んでいればどんな敵にも臨機応変に対応できるじゃない」
楽しそうに話しかけてくる彼女の様子に僕は少し安堵した。そして、ふとあることに気付いた。彼女の胸に銀色の十字架をあしらった首飾りが下げられていた。彼女もその視線に気付いたらしく、微笑みを湛えるとその首飾りを掌に乗せて口を開いた。
「これね。気付いた時から私が首から下げていた奴なの。多分、これはこうなる前の世界の私が大切にしていたもの。何でか判らないけど、そう思えるの」
そう言うと、彼女は空を見上げ黙ってしまった。おそらく、今は失われてしまった世界に思いを馳せているのであろうその顔は月の光に照らされて何とも言えない美しさを放っていた。僕はしばしの間、その横顔に見取れていたが我に返ると熱くなった顔を冷ますように首を振った後、根本的な質問を彼女にした。
「と、ところでまだ名前聞いて無かったよね? 君はなんて名前になったの?」
「え……あぁ、そっか、まだだったね。私はセリアよ」
僕はその言葉を聞いてもう一度、彼女の顔を見た。膝まではある髪も僕を見つめるその瞳もやはり黒かった。顔に出てしまったのかセリアと名乗った少女は頬を膨らませながら、突っかかってきた。
「もお、自分でもわからないから仕方ないでしょ。なんでこんな名前になったのか。それよりもあんたの名前は?」
「ああ、ごめん。それと僕の名前だね。僕はカイ」
「へぇ、割と何処でも通用しそうな名前になったのね。まぁ、そんなことどうでも良いか。よろしくねカイ」
「こちらこそセリア」
自己紹介が済んだ後、僕たちは知らず知らずのうちに笑い合えた。本当に心の底から。世界がこんな風になってしまってから初めて……。
あの日、世界は変貌した。人々が気付いた時には、望みもしなかった力を得る変わりに名前を、記憶を、居場所を、失いたくないものを全て奪われてしまったのだ。悲嘆に暮れる人々の前に影はどこからともなく現れ、襲いかかった。人々は訳の解らないまま持っている武器で戦い、殺されていった。次第に人々は誰も彼も己の運命に諦め、抗おうともせずに唯、滅びの道を歩むだけであった。
極少数を除いて……。
何故、僕がこんな目に遭わなければならないのかわからない。誰がこんな運命を課したのかわからない。唯、わかることはこの理不尽な運命と世界を僕は憎み最後まで抗い続けることを決意したことと、
「カイ、何やってんの! 早くしないと置いてくわよ!」
「あ、ちょっと待ってよ、セリア」
「ふふふ、冗談よ。冗談。だって決めたでしょ」
……そう……
「私達二人でこの運命に打ち勝つって!」
……セリアと出会えたこと……。
【終劇】