嵐の山荘

一.


天城院燈馬は優秀な探偵である。

探偵に必要な要素というのは少なくない。まず挙げられるのが推理力と洞察力である。
古の探偵たちにも劣らぬ神の如き推理力と洞察力――それは彼の実力を知れば誰もが認めるところだろう。

また、名前というのも探偵に必要な要素の一つに数えられる。
古今東西の探偵譚を紐解いてみても平凡な名前の探偵など存在しない。

その点、天城院はそれをクリアしている。
天城院燈馬――どこに出しても恥ずかしくない探偵名である。現在活躍中の探偵の実に半数以上が”探偵ネーム”といういわゆる芸名を用いていることを考えてもこれがいかに稀有な要素であるかがわかるだろう。

唯一つの欠点といえば、彼には”探偵運”が欠けていることだ。

先に挙げた能力と並んで探偵には必要にして不可欠となる天賦の才――探偵運。
事件遭遇率を意味するその運が、唯一彼には欠けていた。

”探偵運”の存在については、探偵学の権威・海山神一郎博士の研究によって明らかにされた。
一人の人間が一年間に事件・事故に遭遇した回数を調査した結果、各個人ごとに大きな差異が表れることが判明したのだ。

事件頻発期の日本といえど一般的な数値は年に数回程度。ところが、稀にかなりの事件遭遇率を誇る人種が存在しているという事実も明らかにされたのだった。そのほとんどが現在探偵と呼ばれている人間たち。もちろん、この結果には最初から職業として遭遇した事件は数に含めていない。すべてが”偶然”による結果ということになる。

海山博士は、この種の特殊性が探偵に特有のものであることから、これを”探偵運”と名付けた。この探偵運についてはいまだ解明されていない部分も多い。探偵学者たちの間で現在最も注目されている研究テーマの一つでもある。

天城院は、探偵にしてその探偵運から外れた唯一の例外。
一般人ですら年に数回は事件と遭遇するこのご時世であっても、彼の事件遭遇率は不動のゼロ。これはある種の”特異点”であると考えなければ説明できない異常な数値と言われている。

それだけではなかった。事件遭遇率ゼロの無名探偵であっても、探偵の看板を掲げていれば極々稀に依頼が来ることだってある。ところが、だ。何故かいつも天城院が事件解決のため現場に乗り込んだ途端、タイミング悪く犯人が自主。事件は急転直下の解決をみる。これはもう、呪われているとしか思えない。

決して探偵として事件現場に存在できない宿命を背負わされているのか。
彼は、探偵運に見放された探偵なのである。

探偵全盛期のこのご時世であっても、捜査機関から招待を受けて事件の捜査に携われるのはほんの一握りの有名探偵たちだけである。それ以外の探偵たちは、偶然巻き込まれた事件を解決して名前を売るしかない。ある程度名前が売れてくると、今度は民間の依頼が舞い込んでくるようになる。さらに有名になって初めて、招待探偵となることができるの
だ。残念ながら、我が友――天城院にはそのための決定的な要素が欠けていた。

これまで私と天城院が訪れた”フィールド”は数知れず。
事件を誘引しやすい特殊な場が存在することは古くから知られていた。その場のことを探偵学の用語で”フィールド”と呼んでいる。

これまで天城院とともに孤島、山荘、館、古城、奇怪な屋敷と数々の”フィールド”を訪問してきたが、やはり事件遭遇率はゼロ。その間、嵐や吹雪に遭遇することも皆無だった。

探偵のほとんどが雨男、雨女であることも有名な話だ。一般的に悪天候下での事件遭遇率は飛躍的に大きくなることが明らかにされている。探偵が”嵐の山荘”、”吹雪の山荘”というお馴染みのシチュエーションに度々遭遇するのもこのような理由によるところが大きいのではないだろうか。

この点から見ても、天城院にその才が欠けていることは明らか。
私は頭を抱えるしかなかった。




二.


天城院のある意味神懸かった探偵運はどうしようもないのかと諦めていたある日のこと。

私の耳に面白い情報が飛び込んできた。
懇意にしている探偵学者の一人から提供された情報である。

それは、”死神”と呼ばれている少女に関する情報だった。少女の名は、此ノ坂雅という。
さる著名人の妾腹の子というあまり一般的でない出自の少女で、現在、高見原学園に在籍中。ただし、病気療養のためという名目で長期間学園には顔を出していない。いわゆる引き篭もり少女である。

この”引き篭もり”となった理由が興味深い。どうもこの少女、行く先々で事件を引き寄せているらしいのだ。事件続きのために高見原学園が呪われた学園としてニュースで取り沙汰されたことも記憶に新しいが、その事件がぱたりと止んだのは彼女の引き篭もり時期と完全に一致している。調査によれば、例外なくすべての事件現場に彼女が居合わせていたそうである。

それだけではない。さらに面白いのは、彼女の事件誘発率にある種の法則性があることだ。旅先でも事件と遭遇する機会は絶えないようだが、データを眺めていて、事件の規模、発生率が彼女の自宅からの距離に比例していることに気がついた。彼女が遭遇した事件の規模を地図上にプロットしていくと、彼女の自宅を中心とした同心円が現れる。自宅から離れれば離れるほど遭遇する事件の規模は大きくなり、確実度を増していくのだ。

彼女が強烈な探偵運の持ち主であることは間違いない。
おそらく有名探偵の中にもこれほどの探偵運の持ち主は存在しないだろう。
これも、一種の特異点に違いない。

この事実に思い至った時、私の頭に妙案が閃いた。




三.


探偵の中には小説家とコンビを組んでいる者も少なくない。
何故なら、探偵の活躍を小説として発表することがそのまま宣伝になるからである。そうした理由から多くの探偵はその活躍を記述するお抱えの小説家を有している。

私もまたそうした小説家の一人だ。
私たちのような作家を世間では一般の推理作家と区別して”探偵作家”と呼んでいる。

私は探偵作家であるが、実質的な探偵小説はいまだ一本も発表できていない。
理由は言うまでもないだろう。

また、私たち探偵作家は小説家以外にもう一つの側面を持っている。それが、探偵のマネジメント業務である。探偵に仕事の依頼を取ってきたり、時には事件に遭遇できそうな”フィールド”に連れて行ったり……探偵がこの世界で大成できるかは私たちの手腕に懸かっていると言っても過言ではない。

私も探偵作家として天城院に事件を与えるために、これまで様々な努力を繰り返してきた。

引き篭もり少女とその家族を説得して外に連れ出すこともその一環だ。
もちろん、簡単なことではない。宥め、脅し、賺し、ありとあらゆる交渉術を駆使しての説得。この期に及んで形振りに構っている余裕など、私にはなかった。

すべては友人――天城院燈馬のため。

私と天城院は、艱難辛苦の末、ようやく切り札となる少女――此ノ坂雅を連れ出すことに
成功した。




四.


七月某日。
私たち三人は日本最北端の地に降り立った。
事件の確実度を考慮した結果である。

夜のような暗さで空一面を覆う黒雲、叩きつけるような激しい風に思わず笑みがこぼれる。
既に事件の予兆が押し寄せてきているかのようだ。
近年稀に見る規模の台風がこの地域へと接近してきていた。この調子なら夜には立派な”嵐”が期待できるだろう。

私たちは”惨劇”の舞台となる”天馬山荘”へと足を踏み入れた。

「おおっ」

思わず感嘆の声が洩れる。
内部に展開された異様な空間――”探偵小説”蒐集家の主人が贅を凝らした意匠に圧倒された。まさに惨劇の場に相応しい舞台装置だ。

「ようこそ、天馬山荘へ」

こうして――名探偵・天城院燈馬のデビューを飾るに相応しい舞台が整いつつあった。



翌朝。
期待通りに私たちが逗留する天馬山荘は嵐のため外界から孤立した陸の孤島となった。
狂ったように吹き荒れる風が大粒の雨を伴って山荘一帯を蹂躙している。

「なんだ。天城院の奴、まだ寝てるのか」

昨夜は遅くまで二人で飲んでいたとはいえ、探偵ともあろうものが情けない体たらくだ。
溜息混じりに、正面で無心に朝食をつつく少女にこぼす。雅は一瞬だけ顔を上げたが、またすぐに朝食と格闘を始めた。どうやら今は朝食以外に関心はなさそうだ。

食堂では外界の嵐が嘘のように静かな時間が流れている。
私と雅以外にも数人の客が所在なげにコーヒーを飲んでいた。愛すべき”容疑者”たち。
誰もがこの嵐に閉口しながらも、暢気な世間話に興じている。至極平和な一幕だ。

しかし、嵐の前の静けさは長くは保たなかった。

悲鳴――。

一瞬の間。
それから、食堂から一切の音が消えた。
世界が無音に包まれたかのような錯覚に囚われる。

悲鳴が、また一つ。

風の音を縫って届く甲高い悲鳴が、渇望した事件の幕開けを告げていた。
長い尾を引く金切り声が、私たちを呼んでいる。

私は椅子を蹴倒して立ち上がった。
”容疑者”たちはぽかんとした表情で私を見上げる。愚かな。まだ事態の把握が出来ていないらしい。

「行くぞっ、雅!」

勢い込む私に、少女はふるふると首を振った。テーブルに視線を落とす。その視線の先には、デザートの杏仁豆腐が手付かずのまま。……まだ食事中ということらしい。

「……好きにしろ」

私は悲鳴に誘われるままに駆け出した。我に返った数人が後を追ってくる。
断続的に聞こえてくる悲鳴を頼りに山荘内を走った。これほど必死に駆けたのはいつ以来のことだろうか。

大して広くもない山荘のこと。あっという間に現場へと辿り着いた。

そこは、山荘の主人ご自慢の書斎だった。
天井まで埋める高い書架には世界中のありとあらゆる探偵小説が収められている。
主人が”堅牢な密室”と評したその書斎の中で、最初の屍体は発見された。

血溜まりとなった凄惨な部屋の中。
そこに、首無し屍体が一つ。

「ああ……」

歓喜の声。
思わず声が洩れた。

嵐の山荘。
探偵小説蒐集家の書斎。
密室。
首無し屍体。

名探偵に相応しい最高の舞台が、今、完成したのだ――。

そうだ。こんなことをしている場合ではない。
探偵を――天城院を呼ばなくては。

踵を返すと、今度は天城院の部屋目指して駆け出した。
痛いぐらいに高鳴る胸の動悸が抑えられない。
普段の不摂生が原因か、逸る気持ちに身体がついてこないのがもどかしい。
汗が噴き出す。息切れがする。
しかし、そんなことはどうでもよかった。

とにかく天城院にこのことを――。

その一念だけで、私は走った。




五.


「天城院、やったぞっ!」

文字通り部屋の中に飛び込んだ。
扉が施錠されていなかったことに違和感を感じている余裕もない。
友人の姿を探してぐるりと首を巡らす。
最初、不在なのかと思った。部屋の中に人の形は見受けられない。しかし、部屋の隅にあった奇妙な物体が私の脳裏に警鐘を鳴らしていた。
すぐにはそれが何なのか認識できない。

どこかで見たことがある……。
そうだ、これは――。

ようやく、目の前の物体が認識の中で像を結んだ。

「天城院……」

部屋の隅に設置されたベッド。
その上に天城院燈馬はいた。
ベッドの中央にちょこんと載せられる形で。

天城院の首は、恨めしげにこちらを見ていた。
先ほど目撃した惨劇。あの出来事の本当の意味が脳に浸透する。

あれは、あの屍体は――天城院の身体、だったのか……。

私の後からついて来た者たちもあまりの事態に言葉を失っていた。

なんという不運、なんという不幸だろう。
ようやく、念願の事件に巡り会えたというのに。
肝心の探偵が――最初の犠牲者になるなんて。

結局、私が天城院燈馬の活躍を小説にする機会は、永久に失われてしまったのだった。

しかし、このあまりにも衝撃的な惨劇すらもこれから起きる”天馬山荘連続殺人”のただの序幕にしか過ぎなかったことを、この時の私はまだ知らなかった。悪夢のような連続殺人劇はそれから七日七晩繰り返された。



  ――『天馬山荘殺人事件』より抜粋――



********************



あの衝撃的な”天馬山荘連続殺人”から半年以上の月日が流れた。

その後、私の唯一とも言える探偵小説『天馬山荘殺人事件』は無事に出版社から上梓された。
天城院を失った事件が念願の探偵小説に纏まるとは皮肉な話だが、彼を失った今、私に探偵小説を書き継ぐ術はない。『天馬山荘』の出版後、私はただ漫然と日々を過ごしていた。

そんなある日のこと、珍しい客人が私のもとを訪れたのだった。

「君の『天馬山荘殺人事件』は大変興味深く読ませてもらった」

私の目の前に腰を下ろした老紳士は開口一番にそう口にした。眼鏡の奥の鋭い双眸が刺すように私を見据える。まるで、私を値踏みしてでもいるような……。その人物の差し出した名刺を見て、私は言葉を失った。

海山神一郎――。

言わずと知れた探偵学の権威。そんな大物が私のような一作きりの探偵作家にいったい何の用があるというのか。

「それで、ご用というのは?」

おずおずと訊ねる私に海山博士はカップのコーヒーを一口啜って、それからゆっくりと口
を開いた。

「君の著作を読んで確信した。”天馬山荘連続殺人”にはまだ明かされていない真実が潜んでいる」

「そんなことは。あの事件は――」

「そうだ。あの場に居合わせた此ノ坂雅嬢が事件を解決に導いた」

そればかりは私にも予想外の出来事だった。犯人の妄執に彩られた連続不可能犯罪をあの少女が解決に導くことになろうとは、夢にも思わなかった事態だ。いや、持って生まれたあの強烈な探偵運。あれは彼女の運命のようなものだったのかもれない。

「もちろん、あの人物がすべての事件の犯人であったという彼女の推理に疑いの余地はな
い。その後の警察の捜査も彼女の推理の正しさを裏付けている」

「だったら何故?」

「しかし、”天馬山荘連続殺人”――その口火を切った天城院燈馬の事件、彼の死には探偵学的に非常に興味深い問題が潜んでいることに私は気がついた」

「探偵学的に? それはいったいどういう……」

「探偵運に関する命題だ。絶対的に事件に遭遇できない探偵運と絶対的に事件に遭遇する探偵運――この二つが同時に観測された時、どのような事象が発現するのか」

「……なるほど」

「実はこの問題に対して私も一つの仮説を持っていた。あの事件はその仮説が正しかったことを証明してくれたことになる」

「その、仮説というのは?」

「天城院燈馬は死亡するだろう、というものだ。そして、実際にその通りになった」

「そんな馬鹿な……。あれは天城院が不運だったからで――」

「偶然なものか。あれは必然的に現れた事象なのだ」

海山博士の強い口調に言葉を失う。

「探偵運というものが、二つの特性を掛け合わせた時、足し算引き算のようにより強い特
性が発現するという相対的なものではなく、常に絶対的な存在であるとしたなら――」

一拍措いて、続けた。

「――二つの特性に矛盾しない状況が発現するしかない」

「…………」

「此ノ坂雅嬢の探偵運により事件の発生が不可避なものとなるのなら、探偵として事件に関わることができない天城院燈馬は――被害者となるしかない。その理に従って彼は死亡した。これが、彼の死の真相だ」

「そんな……天城院の死が最初から確定されていたことだなんて」

海山博士が告げた残酷な真実に、顔を覆う。
喉の奥から嗚咽を洩らした。

「すべては君の計画通り、というわけだ」

思わず、伏せていた顔を上げる。
まさかこの男は……。

「そう驚くことはあるまい。――もう一人の犯人君?」

海山博士の告発に、確信した。
この男はすべてに気がついている。
しかし、何故……。

「君の書いたテキストをすべて信じるならば、そんな事実はあり得ないだろう。しかし、テキストそのものが嘘となれば話は別だ」

「あれはすべて事実を基にして書いた物に間違いありません。警察の資料と照合していただければそのことが確認できるはずです」

「そこだ。君はそのためにこそ『天馬山荘殺人事件』を書き下ろしたのだ。すべてが創作の推理小説と違って一般に探偵小説は一種のドキュメンタリーだと認識されている。そこに記されたことは事実であると、そう錯覚してしまいがちだ。君はその認識を自らの犯罪の隠蔽に利用した。作中に巧みに嘘を織り込むことによって」

「…………」

「もちろんすべてが嘘とまでは言わない。警察で確認できるような大まかな事実関係は現実の通りだろう。しかし、君の内面描写だけは信用することはできない。君が事件当時頭の中で何を考えていたかなんて確認の仕様がないのだから。私が信用するのは現実と照合できる事実だけだ。私は、君の内面描写は無視して実際に起こった出来事だけを考えてみ
た」

「それがどうしたと言うんです?」

「その中に一つだけ引っかかる事実があった。天城院燈馬が死亡時に泥酔状態にあったということだ」

「それはそうでしょう。前の日の晩に私と二人で相当飲みましたからね」

「そこが問題だ。探偵のマネージャーたる探偵作家が、これから事件が起ころうというその夜に、肝心の探偵に泥酔するほど酒を飲ませるだろうか? これから起こる事件を確信しているのであればなおさらだ」

「…………」

「君はわざと探偵を泥酔させ、無防備な状態で放り出した。さあ、殺してくださいと言わんばかりに」

「しかし、それで本当に殺されるとは……」

「天城院燈馬の死が確定的な事象であったことは先ほど説明した通りだ。――探偵運に関してかなり詳しく調べていた君のことだ。その可能性にも当然思い至っただろう。そして君は、そのことを今回の殺害計画に利用した。決して罪に問われることのない、完全犯罪だ」

彼の言葉の通りだ。私の罪を立証することはできない。私はただ探偵作家として探偵が事件に遭遇できる条件をお膳立てしただけなのだから。実際に手を下した犯人はちゃんと別に存在している。

「それを告発するとでも?」

しかし、海山博士はゆっくりと首を振った。

「そんなことなどどうでもいい。それよりも、君に此ノ坂雅嬢の存在を教えた懇意の探偵学者というのが誰なのか――それが問題だ」

「そんなこと、ですって……」

彼の言葉の意味を吟味している余裕はなかった。
私の一世一代の大勝負。
渾身の犯罪計画を。
それをこの男は……。
怒りで目が眩みそうだった。

「まだ気がついていないようだな。所詮君も天城院燈馬を殺害した実行犯と同じだ。哀れな操り人形に過ぎない」

「嘘だっ。そんな馬鹿なこと――」

信じられない。信じられるものか。
この私も、操り人形……だったなんて。

「その探偵学者こそが”天馬山荘連続殺人”を裏から操っていた真の黒幕なのだ」

「何故。何故そう思うのです?」

「他の職業でもそうであるように探偵学者にも研究に関する情報を漏らしてはならないという守秘義務が存在する。それが個人情報であればなおさらだ。ところが、君は此ノ坂雅に関するかなり詳細な個人情報を入手していた」

「そんなことは――」

「それでは聞こう。君は見ず知らずの少女を担ぎ出すのにどのような手段を用いたのだ? 出自に関するプライベートな情報を用いて、彼女の家族を脅迫したのではないのかね? それでは、その情報はどこから得たか。もちろんその探偵学者だろう。脅迫の材料になり得るだけの情報まで開示したとなると、そこに感じ取れるのは悪意だけだ」

私に反論の暇すら与えずに、海山博士は言葉を繋ぐ。

「その結果どうなったか。君はある計画を思いつき、実行に移した。その人物はそのためにこそ守秘義務を破ってまで君に情報を開示したのだ」

「私に、天城院を殺害させるために?」

「正確には、探偵運に関する理論を実証するために、だ。天城院燈馬が死亡したことはその結果に過ぎない」

それでは、私はそんなことのために利用されたのか。
私があの賢明なるも愚かしい実行犯を利用したように。

私の心の奥底に潜む天城院に対する殺意を敏感に感じ取って。
私の思考を思い通りに誘導して。
そして、思惑通りの成果を手に入れた。

私には、それを責める資格はない。
資格はないが……。

「私は君の犯した罪に興味はない。だが、探偵学者でありながら研究を汚したその愚か者だけは断罪しなければならない」

海山博士は強い口調で続けた。

「さあ、言いたまえ。その愚かしい人物の名前を」

さあ――と私を促す。
私にその人物を庇い立てする義理はない。

「……その人の名は――」

しかし私は、敢えて別の人物の名を口にした。
海山博士はその名を聞いて満足したようだ。

「ご協力感謝する。――これで私の用件は済んだ」

コートと帽子を引っつかむと、彼は私の前から慌しく去っていった。

これでしばらく時間が稼げるだろう。

やるべきことができた。
それまでは無事でいてもらわなくては困る。

私の内奥には、あの時のような暗い炎が静かに燃え上がっていた。


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